批議を免れざるもの多々。

 ストラテジーペイジの2020-5-14記事。
    2011年にF-35がアフターバーナーを使って最大速度を数分間維持するテストをしたところ、エンジン排気管と期待尾部に、過熱による「あぶく」が発生してしまった。
 そこで、F-35パイロットは、マッハ1.3のときはアフターバーナーの使用を40秒以内にすること、また、マッハ1.2のときにはアフターバーナーの使用を80秒以内にすることを、過熱予防対策として、指導されるようになった。

 現代の典型的な戦闘機は、時速900kmで巡航できる。F-35はそれよりも高速で巡航でき、なおかつ3時間滞空できる。

 現代の普通の戦闘機は、巡航速力時において、1分ごとに、燃料の0.5%から0.6%を消費する。
 アフターバーナーを使うと、速力は3倍に達するが、燃料消費率は20倍以上になってしまう。

 F-35は、マッハ1.2で10分間までなら、アフターバーナーなしで巡航できる。もしそれ以上の時間、超音速飛行を続けたいならば、アフターバーナーを使うしかない。

 比べて、F-22は、アフターバーナーなしで、マッハ1.5での巡航を、パイロットが望む限り、いつまででも続けられる。
 しかしF-22も、マッハ1.5より機速を上げようとすれば、自動的にアフターバーナーが作動する。

 レシプロ・エンジン時代にも、水、もしくは「水+メタノール」をシリンダー内に3~5分間だけ噴射することによって「空戦時緊急最大出力」が引き出せるようにした設計は、あった。

 次。
 Julia Wolkoff 記者による2019-3-21記事「Why do so many Egyptian statues have broken noses?」。
      ブルックリン博物館を訪れて古代エジプト・コーナーにさしかかった客は皆、一様の質問を学芸員エドワード・ブレイバーグに投げかけてきた。なぜ、彫像の鼻が皆、欠けているのかと。

 エジプトが専門のブレイバーグはそれまで、やたら古い遺物であるそれら芸術作品に部分損壊があるのは普通のことなのだと漠然と思ってきた。が、言われて初めて気がつく。鼻だけが欠けているのは、意図的な破壊なのではないかと。

 この視点からあらためて、紀元前25世紀~A.D.1世紀の遺物についての調査を進めた結果、今では、「古代エジプトの偶像破壊主義」という展示企画ができるほどに、ブレイバーグの理解は深まった。

 ブレイバーグは、立体偶像だけでなく、平面レリーフにおいても、しばしば鼻部分を撃ち欠いているものがあることに注目した。いったい、わざわざそんなことをした理由は何だったのか。

 古代エジプト人は、神像の中に、神格が宿ると信じた。また、死んだ人の魂も、その人をあらわした彫像の中に宿ると信じた。

 ブレイバーグの仮説。偶像の鼻を欠損させたのは、その像のもつ力を不活化しようとの目的に出たものであろう。

 古代エジプトの国家信仰は、地上の王が神に対してよくすることにより、神がエジプトを庇護してくれる、というものだったのだろう。

 墓や寺院内に安置された、彫像やレリーフは、超自然と現実世界とが出会う場所だった。ある儀式が執り行われたときだけ、それらの彫像やレリーフ内に、神/死者の魂 が宿った。偶像の鼻の破壊は、その「神/死者の魂 を宿らせる力」を消去するのが目的だった。

 鼻は呼吸の能力と考えられた。鼻がなければ、その偶像は、息ができない。だから死物となるのである。

 また、偶像から耳を打ち欠いてしまえば、その偶像は、もはや誰かの祈りや願いを聞くことはない。

 古代エジプト人は、神にいけにえなどをささげるときは左手で、それを受け取るときには右手を使った。偶像の左腕や右腕が断ち落とされているのには、その捧げ物の授受をできなくする意味があった。

 ケチな墓泥棒たちも、恐れていた。もし、死者そっくりの偶像をそのままにしておいたら、その死者の魂によって復讐されてしまうにちがいないと。だから、財宝を盗み出す前に、手際よく偶像を不具にした。

 エジプト文明の初期から、こうした流儀はあった。
 意図的に損壊されたミイラが、出土するのである。

 ヒエログリフは、エジプト人の戦闘開始前の儀式を教えてくれる。敵将の人形をワックスでつくり、それを破壊せよ、と書いてあるのだ。

 ファラオたちも、じぶんの像や似顔が毀損されることを恐れた。頻繁に、そのような行為に及んだ者は厳罰に処す、と触れている。

 ブレイバーグは唱える。広範囲におよぶ偶像撤去が、エジプトの権力者の代が替わったときに、政治的な意図から実行されることもあった。

 たとえば、ハトゥシェプスト と ネフェルティティ の二人の王妃は、生前に権勢を誇っていたにもかかわらず、彫像・図像がほとんど残されていない。
 後代の王の正統性にとって、王妃ハトゥシェプストの存在の記録は不都合だった。
 また、ネフェルティティ は、けっきょくは元に戻された不都合な宗教変革と結びついた名前だった。
 だから、消されたのである。

 神像や人像は、墓地や寺院の、三方の隙間のようなところに安置された。そして壁の後ろに隠された。

 像の部分破壊は、ロックハンマーのようなものではなく、鑿を使って精確に為されている。おそらくはそれをさせるためのプロの職人が雇われていた。けっして、乱暴な破壊行為ではなかった。

 7世紀のムスリム時代になると、エジプト住民はそれらの像の力を怖れなくなり、石像はブロック状に刻まれて、建材として再利用された。

 パブリックな空間に置かれた像……。それは、過去に起こったことを語り、人々に記憶させようとする権力が誰にあるかを、示しているのだ。