メンテナンス中の船火事の予防には、多くの海軍が失敗している。

 Charlotte Jee 記者による2020-7-13記事「The lowdown: Immunity to covid-19 may be short-lived, according to a new longitudinal study of people who have caught the disease and recovered.」。
    ロンドンのキングズカレッジの研究者等が96人の新コロ患者について3月から6月まで調査したところ、新コロの免疫は、短期間しか続かないと判明した。

 まず自覚症状がスタートしてから3週間で、その患者の対ウイルス抗体はピークに達する。
 しかしその抗体の力を3ヵ月後も十分に維持できている人は17%のみであった。

 ここから簡単に結論すると、新コロは、同じ人を、何度も襲い得る。
 群れの免疫、は成立しない。ワクチンができたとして、それを1回接種しても、効果は時間とともに減退してしまう。

 ※これが本当なら、今回の東京五輪だけが不可能になるのではなくて、近代五輪そのものがもう不可能だということを意味しているのではないか?

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 Tatsumi Yuki 記者による2020-7-10記事「Is the Aegis Ashore cancellation a mixed blessing?」。
    地ージスをやめにしたことにより、日本政府は、防衛計画の大綱と、中期防を見直さねばならない。
 2021年度予算要求まであと2ヶ月しかない。短期間で特急でやるしかない。

 ※「イスカンデル」に代表される変則軌道弾道ミサイルの意義を一言に絞ると「ミッドコースをなくしてしまった」ことにある。弾道弾はミッドコースの頂点で最も低速になる。だからMDとしては、その前後でヘッドオンコースから直撃する迎撃が、現実的となっていた。しかしBMが通常のミッドコースを「非抛物線」に変えてしまうと、それに対してMDのヴィークルがヘッドオンコースをとることが、まず不可能になる。ブーストフェイズでは、地上から加速しながら遠ざかる目標を下から追い撃ちすることは昔も今も不可能。ターミナルフェイズでは、ポップアップ&垂直落下という急峻な軌道になるので、これに対するヘッドオンコースを、遠くから発射されたMDの衝突ヴィークルで辿ることは、やはり、できない。つまり、「イスカンデル」類似のBMに対しては、ターゲット都市のすぐ近くから発射される短射程のPAC-3だけが対応ができる。

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 H I Sutton 記者による2020-7-12記事「Canada’s Secret Cold War Submarine Drone Is Still Relevant Today」。
    1980年代、北極の氷の下を、静粛化したソ連潜水艦が通り抜ける音を探知するため、米国とカナダは、海底にアンカリングしたソナーと、それをカナダの陸上基地局まで結ぶ有線の、大規模なネットワークを構築しようと考えた。SOSUSよりも先進的な技術を使うものだった。「スピンネーカー」(大三角帆)と呼ばれた聴音器。

 ただし水上艦では永久氷盤に阻まれて有線(光ファイバー)を引き回せないので、『テセウス』という大型の無人自動水中作業艇を専用に建造した。

 これは今のボーイング社の巨大無人潜航艇『オルカ』の先達だと言える。
 『テセウス』は長さ35フィート、胴径4フィート。

 永久氷盤の穴からこの巨大魚雷を投入する。有線誘導魚雷と同じメカニズムで、尾部から光ファイバーケーブルが繰り出される。
 じっさいに作業したのは1996年だったという。いまだにその全貌は公開されていない。

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 Michael Peck 記者による2016-8記事「Your History Book Needs Help: The Battle of Kursk Did Not End Nazi Germany」。
    1974年にマーティン・ケイデンが書いた『クルスク戦』は、1943年の独ソ会戦を一挙に有名にした。
 両軍あわせて8000両の戦車が激突した。

 マンシュタインは、ソ連軍の大突出部が陣地で強化されてしまう前に、そこを包囲殲滅できると思った。
 だがヒトラーが遅疑逡巡したために、チタデル作戦は7月まで発起できなかった。ヒトラーは、パンター、ティーガー、エレファントの3種の新しい重戦車を投入したがり、そのために時間が過ぎてしまった。

 独軍がクルスクに集中した戦車は3000両。兵員は80万人。比較すると、1944の西部戦線のバルジの戦いでは、独軍は兵員を40万人集めたが、戦車は600両しか動かせなかった。

 ところが、これだけ集中しても、ソ連軍の数はもっと多かった。クルスク所在のソ連戦車は5000両。航空機は3000機だった(独軍は2000機)。

 ソ連は縦深25マイルの帯を塹壕陣地化し、正面幅1kmあたり3000個の地雷を埋めた。
 独軍の攻撃発起は1943-7-4。典型的な両翼包囲機動だった。

 7月10日、シシリーに米英軍が上陸した。2日後、ヒトラーは、東部戦線での攻勢を中止させ、複数のSS機甲師団を抽出してイタリーへ向かわせた。

 ソ連軍は、集中して前進してきた独軍部隊がおのずから消耗しはじめたタイミングで、全線で圧迫して各所で逆包囲を図った。独軍は退却した。

 げんざい分かっている真相。ケイデンは炎上するティーガーのイメージを広めたが、クルスクでは独軍戦車は323両が喪失されたにすぎない。
 クルスクに投じられたティーガーは146両。うち、破壊されたのは6両のみである。

 地雷にやられた戦車はほとんど回収された。1943年だけでドイツは1万2000両の戦車と突撃砲を生産している。
 それに対してソ連軍は1600両の戦車を喪った。

 クルスク会戦は決勝的野戦ではなく消耗戦だった。独側は5万4000人死傷。ソ連側は17万8000人死傷。そしてどちら側にも大量の「降服」が無い。決勝ではなかったからである。

 クルスクで最多の戦車がいちどに撃ちあった場所は、300両対500両。
 それよりも1941-6のドゥビナ会戦(750両対3500両)の方が、規模は大きかっただろう。

 装備品の喪失が多くなるのは、長駆の退却モードに入ったときである。動かないものを捨てていくしかなくなるからだ。