旧資料備忘摘録 2020-9-26 Up

▼今野美雄『陸上競技の科学』S28
 ネズミは輪の中で45分間、走れるという。
 試合前、4日休むと、好記録。

 この本より以前、マッサージも食事も、練習プログラムも、なにひとつ、科学的に研究されてなかった。というか、外国にそれを学ぶ意思が、選手にも、コーチにも、まったく無かった。

▼I・スボトニック著、田村・井街tr.『スポーツマンのフットドクター』1985、原1977
 アメフトは、体の小さいやつは、怪我をしやすい。
 スピードをつける唯一の方法は、速く走ること。

▼金子公宥『パワーアップの科学』1988
 ゴサマー・アルバトロス号がドーバーを飛び渡ったとき、ペダル漕ぎの力は、0.35馬力だった。
 ヒトの全力ペダリングは、0.8馬力くらいになる。

 男女で、筋収縮の速度差は、7.5割から9.8割。力の差は、4.2割から6.2割。

 筋トレで遅くなってしまうことは、単筋に関してはありえない。しかし、全身について、生ずる問題だ。
 それを回避するには、アジリティ・トレーニングを併用する必要があるのだ。

▼紺野義雄『スポーツ・トレーニング』S38
 著者は、精神主義を最初に批判した。

 古橋 本人がいわく、絶頂期はどれほど泳いでも疲れた感じがしなかったと。
 名選手かならずしも名コーチにはならない。

 リラクゼーションという概念は、日本へは、ゴルフとともに拡がった。力が低下するからスコアが落ちるのではなく、コンディショニングの問題だと、直感的に把握ができたので。

 ようやくこの時代から、五輪強化策として外人コーチが普通に招聘されるようになった。
 日本では、力闘しているように仲間から見えることが大事で、リラックスによる好成績追求ができない社会環境がある。

 疲れたら、4日でも1週間でも休むことが、大事なのである。
 「テクテク歩いて飢餓に堪えるというようなミンドロ島式精神」(p.368)。

 あきらめたときの苦笑いは、世界の中でも日本人だけ。

▼鹿間・尾崎 共著『失われた日本の生物』S49 ブルーバックス
 日本にも8mのワニがいた。豊中市待兼山で化石が出た。50~60万年前の、クロコダイルの仲間。
 昔の日本は今のアフリカ同様の動物相で、ライオンもいた。

 日本にオオカミが棲み付いたのは100万年前。当時は世界最大級だったのに、だんだん小さくなり、絶滅。
 ロバよりも小さい馬が、有史以前から いた。

▼防研史料 〔箱 まる35/337〕『九七式目標燈教程案』S6-5
 航空機に対して着陸目標を示す灯火で、自動車の上に取り付ける。
 航路標識にも使える。

 ※昭和6年なのに97式というのはおかしいから16年かもしれない。とりあえずメモのままに写しておく。

▼防研史料 〔箱 まる39/126〕『歩兵砲手必携』S11-1
 92式歩兵砲は、敵のMGを撲滅制圧する重火器である。
 歩兵聯隊砲になっている41式山砲は、敵の重火器を撲滅制圧する重火器である。

 大隊砲の手順。
 「装薬号」を まず確認。
 確実に「編合」し、薬筒を螺入させる。
 余った薬包は、あとで強装薬を使用する時のために、捨てないでとっておく。
 砲弾が尽きたら、余剰装薬は捨てていい。平時ならば、焼却しなければいけないが。

 装填の前に、安全栓の抽脱を視認しろ。
 大射角のとき、閉鎖する直前に弾薬がずり落ちてしまう欠点がある。これがとても面倒。
 ※だから迫撃砲がいいのだ。

 山砲は、輓曳する場合は、1馬でOK。

▼防研史料 〔箱 まる39/114〕 『機関銃、歩兵砲射撃教範』S7-7
 このMGは、三年式である。
 歩兵砲とは、曲射歩兵砲と平射歩兵砲。どちらも十一年式。

 平射歩兵砲は、400m先に1秒で弾丸が届く。1000m先だと3秒かかる。
 400m先を射つとき、その弾道高は終始、歩兵の立姿高を超えない。低伸する。
 1000m先を射つときは、途中で最高10m、地面から弾丸が浮き上がる。

 曲射歩兵砲は、近距離を大射角で射つと、着弾までに20秒くらいかかる。
 曲射歩兵砲は、Maxで、1500m先の敵を射つ。ミニマム射程は400mである。

 平射歩兵砲は、400m以内なら、無修正で対戦車射撃が可能。
 横行する戦車は、その先端をねらえ。

 曲射歩兵砲は、砲弾が爆発したときの威力半径は10mである。
 深さ〔奥行き巾のこと〕10mの鉄条網を、曲射歩兵砲弾×10発にて、啓開できる。

▼防研史料 〔123〕『歩兵砲射撃の参考』S16-10
 まず試射。ついで、効力射。
 ただし、 8発以上の「点検射」をやった方が、精度が増すのは言うまでもない。

 ※どうも41式山砲ではないかと思われる。

▼防研史料 〔127〕『九七式曲射歩兵砲射撃教育規程』S17-11
 タマの効力は92式歩兵砲に略ひとしい。
 7mの厚さの茂み越しに撃てば、敵方からは、昼間でも、こちらの発射煙は見えない。

 コンクリートに命中すると爆煙は白く見える。
 土に命中した場合の爆煙は、黒色の中に黄色を帯びる。

 瞬発榴弾の場合、その爆煙は、横に拡がる。
 ハードターゲットなら、火光が認められる。
 夜だと、青く光って見える。

 短延期信管だと、観測困難なほど、爆煙は薄くなる。※土にめりこむので。

 本砲の最短射距離は500mらしい。
 最大射距離は2500m。
  以上、印刷はS18-3。※九七式だというのに、ほとんど部隊には渡していなかったことが推定される。

▼防研史料 〔130〕『軽迫撃砲射撃教範』S13-11
 落速は初速より大である。
 存速は弾道の最高点において最小である。

 最小射程は100m。最大は1500m。

▼防研史料 〔箱マル45/98〕 『十年式擲弾筒弾薬説明書』S5-1
 タマとして「十年式曳火手榴弾」を220m飛ばせる。
 同手榴弾は、鋳鉄製である。
 弾体には上下2条、「定心帯」を有する。
 炸薬は、塩斗薬75グラム、または、茶褐薬65グラムを、直填圧搾してある。
 火道は、7.5秒(プラマイ0.5秒)。

 起爆筒は銅製で、雷汞0.7グラムと、茗亞薬1.2グラムを入れる。
 鋼製。

 装薬筒は方形薬1.1グラムが入っている。
 鋼製。
 その雷管室には、小粒薬0.1グラムが点火薬としてあり、底螺子には雁皮紙を貼って、その小粒薬がこぼれぬように塞いである。

 あちこちに「ベルニー」……つまりニスを濃厚に塗ってある。もちろん塞紙にも。
 ネジ部には、「黒ワニス」をもれなく且つ多量に塗ってある。

 本体は「ボール紙」でふさいである。
 ※断面図を解説しよう。炸薬は「弾体」本体の中に入っている。工業雷管に相当する「起爆筒」がこの本体の尻の穴から植え込まれている。弾体の底面穴は起爆筒の直径よりも相当に大きい。だからそこに相当の隙間が開いている。その隙間を「ボール紙」が塞ぎ、それによって、炸薬の粉がこぼれ落ちないようにしている。弾体の底面穴の側面にはネジが切ってある。そして「装薬筒」の天井凸部の外周にもネジが切ってある。このネジを嵌合することによって、弾体と装薬筒とは結合され一体の飛翔体になる。結合された状態では、起爆筒の下端は、装薬筒の凸部天井中央のリセスにピタリと接する。その接する部分(起爆筒の下端部)は「絨板」と表記されているのでフェルトが詰まっているのかもしれないが、本文に説明が無く、不詳。装薬筒の内部は装薬室で、装薬が充填されている。この装薬がもし開放空間で発火しても、弾体にその火が回ることはないだろう。薬室には、上方や側方に通ずる穴が皆無だからだ。しかし、擲弾筒の中でこの装薬を発火させれば、高熱高圧のガスが、ネジ山の隙間から入り込み、ボール紙を貫通して弾体内の炸薬に点火してしまう可能性がある。弾体の天井部もネジ蓋とボール紙で塞がれている。そこには安全栓と曳火点火機構がある。この弾体は上下に、組み立て用のアクセス穴があるわけだ。なぜ装薬筒との結合面はネジだけにしてアクセス穴はなくしておかなかったのか、まったく不可解。

 炸薬は、漏斗で少しづつ弾体内に注ぎ込み、棒をもって搗き固めつつ逐次に弾体に填実する。

 使用部隊または縦列に交付された状態では、安全栓を抜くための索〔輪状の紐〕は噴気孔の方向と一致している。これを擲弾筒を使わずに手投げするときは、右手で、装薬筒が上、安全栓が下になるように握り、そのさい紐輪が左側を向くように(右手首の側にはないように)握る。左手で紐リングを引き抜いてから、点火機構部を何か固いものに叩きつけると曳火が始まる(導火薬の噴気が紐輪を抜いた方向に吹き出し始める)ので、数秒以内に手投げする。このとき噴気孔の向きが正しくないと、自分の右手首を噴炎で火傷してしまうことになる。擲弾筒から発射するときには安全栓は抜いておくけれども、曳火の点火をする「叩きつけ」動作は無用だ。というのは、発射のGにより、硬いものにたたきつけたと同じことになるからである。

 この十年式より前からあった「手榴弾」(型番なし)は、爆発威力だけを比較すれば、十年式よりもあったという。

 十年式手榴弾は、斜面上に対して過早に投げると、秒時が長いので、こっちにころがり落ちてくる。
 破片は300m飛散する。

▼防研史料 〔88〕 『八九式重擲弾筒取扱法』S10-10
 全備重量4.7kg。
 携行は、筒覆をして、背嚢上部に縛着する。

 射角は常に45度。薬室の容積を変化させることにより、射距離を調節する。
 89式榴弾 なら 最大670m飛ばせる。最小レンジは120mである。
 曳火手榴弾を飛ばす場合は、最大で190m。最小レンジは40mである。

 信号弾は、高さ100mに打ち上がる。
 10年式用のタマも、全部、使える。
 他に、94式練習弾がある。

 筒は、単肉鋼製。8条ライフル付き。
 黒色錆染で、方向照準線が、赤く引かれている。

 10年式手榴弾と91式手榴弾は、同じ距離分角で撃てた。
 89式榴弾は、120mから670mまで5m刻みで射程を調節できる。
 10年式手榴弾と91式手榴弾は、40mから190mまで、やはり5m刻みで調節し得た。

 分解はみだりにしてはならぬ。
 89榴弾の急射は、1人でやるなら、1分間に10発。2人がかりであれば、1分間に20連射可能。ただし、あらかじめ安全栓は抜いてあること。

 膝射は「折り敷け」の姿勢から。
 射手は、心手期せずしてこの筒をおおむね45度に把持できる如く、あらかじめ教育される。

 装填は、左手で筒を45度に保持したまま、右手で入れる。
 だが筒内にはライフリングが刻まれているので、装填のさいには、右手食指により、いきおいよく弾みをつけて押し入れてやらねばならん。このとき、弾丸の頂部を押すと、腔発のおそれがある(曳火手榴弾を飛ばすとき)ので、必ず弾丸の肩部を押す癖をつけておくこと。

 腔内が汚れていると弾丸は筒の底部まで届かず途中に停滞し、やっかいな抜弾作業が必要となる。
 不発のときは、再三、撃発を試みろ。なおも不発火ならば、10秒待って、タマを抜け。

 信号弾だけは、筒を垂直に立てて射つ。
 そのさいの設定分画は、Max。

 駐板の片縁だけ地につけて撃つと、柄桿は壊れるし、タマも当たらない。
 弾丸の二重装填は、致命的である。曳火手榴弾を天地さかさまに装填してしまう場合も、致命的。※これを最前線の暗闇で防止できるわけがない。

▼防研史料 〔94〕 『八九式重擲弾筒弾薬説明書』S13-3
 95式発煙弾を使える。
 89式榴弾は、全備重量800グラム。
 炸薬は、茶褐薬150グラム。袋には入っておらず、直接圧搾填実されている。

 ※十年式擲弾筒は、ガス抜きポートでレンジを調節していた。重擲は、弾底と筒底とのスペースを変えてレンジを調節する。

 89式榴弾の携行は、4発づつ、「括包」に入れる。

▼防研史料 〔86〕 『八九式重擲弾筒弾薬 試製一式目標指示弾 説明書』S16-9
 あたらしい目標指示弾の紹介のみ。

▼防研史料 〔97〕『擲弾筒説明書』S16-8
 ロシア製の1915年式である。
 外装有翼弾。WWIで使用された。
 全備重量44kg。

 タマは推定で1.96kg、炸薬も推定で290グラム。手榴弾のケツに矢羽をつけたようなシロモノ。
 射程は60mから300m。拉縄で発射する。引き金は何度でも引ける。