▼防研史料 〔箱まる39/291〕 戸山学校『再版 歩兵夜間教育』M36、原M34
「工作」は築城のこと。十字鍬は音が大きいので、使うな。
「方匙」「小十字鍬」。
「小笛」の信号も用いた。
「帽の日覆」。
▼防研史料 『「チ」式七、九粍軽機関銃説明書(改訂)』S14-10
支那軍から大量に鹵獲したチェコ軽機の使い方解説である。
単射もセレクトできる。
連続300発撃ったらクールダウンせよ。500発まで撃っても問題は起きないが、バレルの寿命が縮んでしまう。
1500発までは、まったく手入れが要らない。
タマは、本部製7.9mm「チ」式九八式普通実包のほか、押収「モ」式/智式軽弾(S) あるいは 押収「モ」式/智式重弾(SS)を使える。
※モ式とは支那軍のモーゼル小銃の弾薬という意味であろう。
各銃に、予備バレル×1が付属している。
銃全体で8.9kg。
照尺は1500mまで。
20発入りの弾倉は889グラム。
レートは600発/分。
初速は750m/秒。
▼防研史料 〔箱まる44/122〕『九六式軽機関銃手必携』S17-3
「伏射」と書いて「ねうち」と読ませる。
2.5倍眼鏡は、対空射撃にも使える。400m~600m目盛を使用する。
敵兵が近いときは3点射する。敵兵が遠いときには5点射せよ。
夜間は「九三式携帯羅針」で方向を維持する。
後脚は、夜間射撃用である。
「閂子」のふりがなは「せんし」である。
トリガーガード前に「安全子」がある。セレクターは無し。
ピストルグリップ(握把)は、外面が漆塗りである。
きりかえは「火」←→「安」のみ。安全栓。
撃たないときには薬室内にはタマは無い。常にオープンボルトで止まる。全弾を射ち尽くしたときのみ、ボルトが前進位置で止まる。
弾倉には後方に丸窓があるので、残弾は読める。
射ち殻は右下方に落ちる。
眼鏡は1500mまで対応する。
300発まで、過熱を気にしないで射っていい。
500発までは問題ないものの、バレル寿命が縮む。
1500発までは、手入れしなくてもOK。
薬室とガス漏孔にはクロームメッキをしていない。
11年式軽機は500発/分だった。
▼防研史料 〔箱44/123〕『九九式軽機関銃取扱法』S16-10-27
弾倉抜きで9.9kgである。
30発入りの弾倉は1.38kg。1銃につき、常に16個の弾倉が伴う。
レートは550発/分。
初速は715m/秒。
2.5倍眼鏡で、地上1500mまで対応する。対空照準だと、時速300kmで横行する目標まで対応。
▼防研史料 〔箱44/139〕『九九式軽機関銃高射用具応急案説明書』S19-12
時速300~500kmの敵機に応ずる照準具〔二重リングに十字の大型フロントサイトと、一重リングに十字状の小型リアサイト〕も、いっしょに考えた。
防杭を打設し、それをピントル銃架とせよ。二脚の少し後ろ、蜘蛛の巣フロントサイトの真下で、その棒杭の上に載せる。
結合は、ハリガネで工夫して自作せよ。
距離600mを基準に考える。
これで対空射撃するときは、肩付けはするな。
▼防研史料 〔箱まる44/161〕『十一年式軽機関銃 取扱上の参考』S13-6
約10kgである。
このMGの安全栓は、半回転すると、引き金がひけないようにロックするのみ。撃針を制止するものではない。
やはりオープンボルトでストップする。
▼防研史料 〔箱まる44/171〕『一〇〇式機関短銃 取扱法』S19-5
3.7kg。着剣すると、4.27kg。
着剣全長 1.27m。剣なしだと885.5ミリ。
バレル 230ミリ。内部はクロムメッキされている。
初速は340m/秒。
レートは700発/分。
実用レンジは300m。
30発入りの弾倉は570グラム。1銃につき、8個が、員数である。
連続500発までが耐熱限度。
▼西田稔『馬駆強行五百粁』S14-6
チャハル作戦では、ラクダに小行李を運ばせていたことが113ページの写真から分る。「大同」のあたりか。
誰何の「誰か!?」は、支那語では「スイヤ!」である。
3寸くらいの蠍がいた。
▼独歩一六五大隊史編集委員会『比島派遣守備隊戦記 瀬能、多賀部隊』S53
ミンダナオのダバオ戦。
イロイロ市街を掃討した97式軽装甲車は、川村支隊の戦車隊。
ダバオにもワニがいる。
日本製双眼鏡は6倍。米軍のは8倍であった。
黒人兵もいた。
▼藤井清『玉砕』S38
北支→パラオ→ニューギニアのヌンホル島→ビアク。
師団が甲装備となったとたんに、歩兵砲中隊に37ミリATGが新配備された。
敵航空機は、B-25が最も多かった。それにP-38とP-40が混ざる感じ。
▼防研史料 〔箱まる47/12〕『九五式凍土破砕機 取扱法』S11-3
火で熱した鑿を鎚打ちすることにより、装薬孔をあける器材である。
パワーは人力。
3脚を組み、滑車と心矢を用いる。
▼防研史料 〔箱まる47/31〕『潜水機 取扱法』S7-9
覆面付潜水服とポンプ。
橋梁工事のとき、水中作業に使う。
最大深度20m。
溯行し得る最大流速は、深さ1mにおいて6~7m/秒。※これは泳ぐのではなく、川底を歩くのだろう。
命綱はマニラ麻で60m。
暖水なら「潜水面」のみを着装する。
送気機は2気筒天秤式。ダイレクトではなく、気蓄罐を仲介させている。
潜水手は1~2名。
助手(紐を持つ)1~2名。
喞筒手8名。 ※エンジン式ではなく手動式。竜吐水みたいな。写真付き。トホホ……である。
その他……で1チーム。
潜水中は沈着に動作し、躁急なるべからず。
上昇はゆっくり。水面附近で5分停止してから、上船しろ。
その後、血行をよくし、少量の「メントル」酒を飲め。
潜水病は、12m以深で起きる。10mより浅ければ、何しようが安全だ。
▼防研史料 〔箱まる47/38〕『九二式軽門橋 取扱法』S7-8
騎兵旅団の専属装備のようである。
40名、または騎兵用の車両×1を載せて渡河できる。
浮嚢舟〔ゴム・ラフト〕と橋床からなる。
ゴム筏×2の上に、四角い板1枚。その二辺にのみ、手すりあり。カギ付きの棹×4本をあやつって、川を渡す。ミニフェリー。
▼防研史料 〔箱まる47〕『九九式重門橋 取扱法』S17-8
舟手15名の他、全備重量16トン級の中戦車×1を搭載し、大河の機航渡河に使用する。航速3m/秒。
※南方がかたづいたらすぐに対ソ戦を始める気だった。そのタイミングにあらかじめ合わせて準備された教育資料。さすがに対ソ戦どころじゃなくなったが、印行だけは予定どおりに……。おそるべし。
96式大操舟機を船外機として取り付ける。
あかとり……ビルジポンプ。
トラックで運搬する(7両)。
近距離なら、輜重車34両でも運搬できる。
2舟とする場合と、3舟とする場合がある。
川上に舳先を向けて舟を2ハイか3バイ並べ、その上に板を渡す。その姿で此岸と彼岸とを往復する。
門橋舟は1舟の重さが1045kg。1舟は3分割される。前と後ろは、波を被ってもいいように、覆いがついている。
他に、九三式折畳舟、九五式折畳舟、九七式駄載折畳舟、丙車載式橋脚舟、九九式重門橋門橋舟。
※これらはぜんぶ「おりたたみ舟」と称すが、もっと正確に言えば、分割&合体舟であろう。
▼防研史料 〔箱まる48/340〕『九八式六屯牽引車 取扱法(案)』S19-6
5トン内外のものを引っ張ることができる。
直立6気筒水冷ジーゼル。
シリンダヘッドは鋳鉄製。
自重6.9トン。
全長4.3m。
全幅2.05m。
全高1.9m。
接地長2.58m。
最低地上高35cm。
接地圧 537グラム/平方センチ。
乗員7。
4サイクル水冷 最大1700回転/分。
燃料は「重油」と書いてある。
※馬力がわからん。不思議な資料。
▼防研史料 〔箱まる39/219〕『歩兵対空行動』S18-3repr. 原S11-7
対化行動=ガス雨下されたときの行動。※対ソ戦のための心得。
▼防研史料 〔箱まる39/205〕『夜間行動教育の参考』S11-5
鉄帽は、伏せていても、150m先から、40cm探照灯で照らされたら、反射して見つかってしまう。だから、鉄帽には土を塗るか、擬装網で覆うこと。
匍匐には第一から第三まである。
▼防研史料 〔箱まる39/208〕『夜間攻撃の参考』S19-9
白兵夜襲はもう諦める。
これまでは、小銃の威力が小さいことや、友軍相撃を回避することを重視していた。だがこれからは、強襲が必要だ。米軍の照明下で、敵からの熾烈な制圧射撃をおかして進まねばならない。となったら発砲しながらでないとダメだろう。
突っ込むかどうかの判断は、大隊長や中隊長がしなさい。
我が砲兵はきわめて劣勢なので、対砲兵戦はしない。
敵陣内戦闘は、すなわち、対戦車戦闘になるだろう。
煙の利用について。第6款。
歩兵中隊は、縦深横広に疎開して前進せよ。
歩兵小隊は、徹底せる匍匐と各個掩壕の構築をしつつ前進せよ。
もっていく道具。微光灯、小笛、夜光羅針、「軽破壊筒」、鐵條鋏(ペンチ)、掻探具、「集団装薬5瓩」。
▼長野県警察山岳遭難救助隊ed.『アルプスに賭けて』S47
S42に起きた46人被雷事故。やはり、ベルトの金具、カメラなど、かなっ気のところに落ちている。
キスリングの紐通し穴のわっか金具にまで。
「オロクさまだ」……死んでいる。
2799mの兎岳ていどでも、急性肺炎にかかる。呼吸ごとに鼻血を吹き出す。
自衛隊ヘリは、人命に関することで、他に救出の手段がないときにだけ、知事の要請にもとづいて救助出動してくれる。
天候のため救助できぬときは、医療品を投下する。注射は、法を犯して警察官がしなければならない。外勤課長「私が責任をもつ」。
犬の足にカンジキを固定する方法はない。
勤務は2週間交代。
トイレは「キジ場」という(p.123)。
▼防研史料 〔箱まる45/146〕『試製96式十五糎榴弾砲 および 同弾薬車 実用試験成績』
分隊は、分隊長1、車長1、砲手14(砲車に10、弾薬車に4)、運転手1、助手2。
砲手は、人数が多いようだが、これより絶対に減らせない。
牽引スピードは、短時間ならば、32km/h出せる。
平均 14km/時である。
山道の登りは 10km/hに落ちる。
架尾は、人力の限界の重さだ。
サイクルレートは 4年式15Hと変わらぬ。
射撃の砲手におよぼす影響は四年式よりずっとよい。 ※爆風でいためつけられないということ。
テストには、92式トラクターを使った。
14km/時では燃費が悪かった。もっと遅くしないと、燃料が続くまい。
▼防研史料 『96式十五糎榴弾砲 取扱法』S15-11
砲身は単肉である。
口径は149.1ミリ。 ※日本の15Hは米軍の155ミリより小さく非力であったことに注意。それを同じものとみなして戦術を考えていたのが、開戦前の陸大アタマ。
砲身長は3523ミリ。23.6口径長。
方向は、左右とも15度まで変えられる。
高低は、俯角5度から、仰角65度。
▼防研史料 『96式十五糎榴弾砲取扱注意事項』S19-9
拉縄は、射角に応じて、長短2種ある。
閉鎖機の焼きつきとは、螺部に塵埃が着いて、それが熱で溶けたものなので、ヤスリで取る。
射角43度以上で撃つときは、砲身が駐退するあたりの地面を40cm掘れ。それをしないと砲尾が地面にぶつかる。
たとい瞬間であろうとも、時速20km/h以上で運行するな。
▼防研史料 『三式十二糎高射砲 取扱上注意事項』S19-8-1
「信管測合機」
角注油注脂部。
「二式砲側電気照準具」の電計を「高射算定具」と連係して規正す。
※装弾板の助けがあるとはいえ、装填には相当の膂力も必要だったようだ。なにしろ砲身が上を向いたままだから。
電気発火できる砲だが、電気門管が無いから、この関連の部品は廃止となる手筈。