停電時に デジタル通貨(電子人民元)はどうなるのか の実験をしているのか?

 『ワイヤード』の女性記者による2020-12-23記事「The Secret History of the First Microprocessor, the F-14, and Me」。
   グラマン社の子会社に「ギャレット・エアリサーチ社」があった。
 50年前に初飛行した「F-14」戦闘機には、同社開発の、チップが6個という原初的なコンピュータが搭載されていた。
 インテルのマイクロプロセッサ「4004」が製造され始めたのが1971年後半だったことを思いだして欲しい。それは「電卓」に搭載されたが、チップは4個であった。同じプロセッサにソフトを読み込ませることによって、たとえばピンボールゲームになり、たとえば金銭登録機になる。

 F-14に搭載された《マイコン》は、たとえば高度に応じた音速の変化を計算してくれた。主翼の後退角を自動調節するためにそれがどうしても必要だった。

 セントラルエアデータコンピュータと称した。開発したのは、若き日のレイ・ホルトである。彼と弟のビルが、1968から1970にかけて、「ロジック設計」をなしとげた。

 この歴史は誰も知るまい。海軍は数十年間秘密にし続けた。本人たちも語らなかった。レイがじぶんとビル(故人)の過去の仕事について公表してもいいよと海軍から言われたのは1998年だった。それで記者も最近、ズームによる直接取材ができるくらいに、ネットで下調べできたわけ。

 レイ・ホルトは今76歳で、ミシシッピ州の町に住み、高校で無給でロボット工学を教えている。

 レイは加州のコンプトン市で育った。自転車を修理したり、真空管ラジオを直したりして小遣い稼ぎをしていた。高校時代は野球に打ち込み、数学はできたが国語がよくなく、総合成績はBだった。

 アイダホ大学を皮切りに電子工学人生が始まった。学業修了後、ベンディックス、ウェスティングハウス、ギャレットエアリサーチと転職。
 スタンフォード大でたまたまつきあった彼女(このワイヤード記者の実母)の実父がギャレットの社長であったという縁故あり。

 「F-14」以前には、機械式の計算機が存在した。「F-4」にはそれが搭載されていた。
 レイはギャレット社で唯一、大学でコンピュータ設計を習得していた人材だった。「F-4」のメカニカルコンピュータの内部を見せられ、それをすべてソフトウェア化するように、レイは上司から命じられた。

 チップを製造するのはAMI社である。この会社のエンジニアがいろいろ助言してくれた。原始的なチップは過熱に弱かったのだ。理論的に作動するプログラムであっても、チップに熱的な負荷をかけすぎるアルゴリズムは、避けなければいけなかった。

 彼らは、複数のCPUでの並行処理を可能にした。拡張性もさいしょからかんがえられていた。
 そのような製品は、まだ世界のどこにもなかった。

 特許訴訟の問題があるので、マイクロプロセッサとは何か の定義は、敬遠される。レイがその創始者だったのかもしれないのだが……。
 レイはハネウェル社の副社長だったこともある。

 ※お勉強バカたちがつい忘れがちなのが、先行者には《隠し玉》があるということ。ある技術の背景がすべて資料になっているわけではない。気のいい先輩が全部教えてくれるとも限らない。大型旅客機や一線級戦闘機の世界となれば、格別だ。三菱重工はそろそろ身の程を悟り、小さいところから巻き返す算段を立てたらどうなんだ。

 次。
 AFP の2021-1-1記事「Iran says will enrich uranium up to 20%: IAEA」。
    イランはIAEAに対し通告。ウランの濃縮度を20%に上げると。その濃縮プラントはフォルドウにある。
 ウィーン合意では濃縮上限は3.67%だった。イランはそれを越えて4.5%弱まで達していたという。

 モサドの暗殺工作の直後、イランの国会は、20%に濃縮したウランをすくなくも120kg貯蔵しろという法令を成立させていた。IAEAの査察も終わらせよと。

 ※敵がなにかアクションを起こしたタイミングをすぐに捉えて、こちらの腹案を堂々と推進してしまう。これが巧みな政治というものだ。竹島や尖閣で敵がなにかやらかすたびに、こちらも不寛宥の返報的処置を積み上げて行く。あらかじめ行程表を考えておいて、即時敏速に、半自動的にそれを実行に移す。このようにしないと儒教圏人は隣人をあなどるだけである。punitive justice を以て返礼して行け。



「日本有事」って何だ

(管理人Uより)

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