テヘランではGPSは使えない。ロシア製のスプーフィング・マシンが稼動しているので。

 Joseph Trevithick 記者による2021-2-3記事「British Troops Get Small Swarming Drones They Can Fire From 40mm Grenade Launchers」。
    豪州のディフェンドテクス社が開発した、40ミリ擲弾発射機(ただしドイツ製のあたらしいやつ)から射出できる、クォッドドローン。各種弾頭をとりつけられるという。
 しかもマリに出張している英軍が、もうそれを受領していると。

 ディフェンドテクス社はこの製品を2019年に発表している。
 擲弾発射機からの運用のためには、全長は5インチに収めるべきだとメーカーはいう。

 ※類似品はすでに複数ある。固定翼の自爆UAVを射出できるものが先行している。ただしシステム価格がATGMを超え、とうてい普及は無理だった。クォッドコプター型にしたのは値段を抑制するためだろう。だがそうすると、40ミリ擲弾発射機にこだわる理由があるのかということになる。ちなみに、弾薬の全長がイレギュラーである関係で、バレルを前方にスライドさせる方式の古い擲弾発射機では、こうしたロイタリングミュニションは装填ができない。Z軸で左右にバレルを曲げて装填する方式か、最も古い単体の中折れ式でないと、装填じたいが不可能なわけだ。

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 2020-4-15記事「Louis Armstrong Remembers How He Survived the 1918 Flu Epidemic in New Orleans」。
   「サッチモ」こと ルイ・アームストロングは1901年にニューオリンズの貧民の子として生れた。
 だから1918~19年パンデミックのとき彼は死体の山を見ているし、街の音楽プレイヤーたちがどうやって「自粛」時代を生き延びたか、身を以て体験をしているのだ。

 11歳で学校をドロップアウト。隣が「黒人浮浪者の家」という救貧施設だったがそこの世話にはなっていない。一家は、祖母、母、サッチモ、そして姉(または妹)。部屋は狭すぎ、全員、ひとつのベッドで寝ていた。

 1930年代の大恐慌時代には、負債返済のためにツアーに次ぐツアーだった。暴徒に襲撃されて負傷し、遂にヨーロッパへ逃げたのも30年代のことである。 ※たしかパリでしょう。

 彼は1954年に自伝を書いている。
 それによれば、パンデミック当時17歳であったサッチモの身体はインフルエンザに対する抵抗力を発揮したという。
 ニューオリンズではパンデミックは1918-10に起きたという。
 ウィルスを持ち込んだのは9月入港の貨物船であった。

 自伝いわく。10月9日にニューオリンズ市の保健衛生局長から行政命令が下された。すべての公立学校、私立学校、教会学校、私立大学は閉鎖させられた。教会、劇場、映画館も閉鎖。人が集まるスポーツイベント、大勢が参集する葬礼や結婚式は禁止された。

 当時サッチモは、音楽酒場や、ミシシッピ川の旅客用蒸気船内で生演奏することによって生計を立てていた。それら「アミューズメント会場」は市の命令で一律に封鎖されたので、サッチモは、隣州にツアーに出るしかなかった。
 しかしルイジアナ州のホーマからニューオリンズに戻ったとき、まだWWIは終わっておらず〔つまり11月11日よりも前〕、パンデミックは前よりも酷くなっていた。サッチモ以外のメンバーは全員、インフルにやられて倒れたという。サッチモだけは、日ごろ心がけている「フィジック(まじない術)」のおかげで病気にかからなかったという。

 サッチモは人よりもウィルスにはさらされていたはずである。というのも、演奏イベントが禁止され続けたので、馴れぬアルバイト(たぶん病院での非正規ケアワーカー的な各種雑務)のかたわら、病院には入れない家族や友人中の発病者たちの手当てもしているからだ。

 ようやく彼は、ホンキートンク酒場(ピアノが置かれている南部の労働者向け酒場で、売春婦たちも出入りした)での演奏の仕事にありついた。そこはアミューズメント会場としては三流なので、シャットダウンのおめこぼし対象だったのだ。
 ルイ・アームストロングはそこで、淫売や賭けゴロたちの客を前に、ブルーズを吹奏しまくったのだった。

 ※こんなパンデミックにもかかわらず、1920年代の世界は大投資のギンギラ時代になる。それが2022年以降の現代で再現されてくれたら、めでたいのだが……。ひとつ確かなことは、いかな悪疫が流行ろうが、酒場と売春宿が消滅することはない。それはどこかでかならず、営業され続けたのである。日本でも、吉原は閉鎖されてなかったのではないかな?

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 Liu Zhen 記者による2021-2-5記事「China declares success in latest anti-missile intercept test」。
    バイデン政権がロシアとの核管理条約を延長すると決めた翌日の深夜、中共軍は、弾道ミサイル(試験標的)をミッドコースで迎撃したというのだが詳細は何も語らず。
 直前に、太原衛星打ち上げセンターの近辺にノー・フライ・ゾーンが布告されたので、ABMはそこから発射したのだろう。

 インドは今年、レンジ5000kmの「アグニV」弾道ミサイルを実戦配備するのではないかと見られている。1月にそのような新聞宣伝があった。

 ※今の技術ではミッドコース用ABMは敵の戦略弾道弾の飛来コースのほぼ真下から打ち上げる必要がある。太原はインドから北京に向けて発射されたIRBMを迎撃するのにちょうどよい位置にある。ところがインドはIRBMを潜水艦に搭載して、太平洋から発射して北京を狙うことが可能になりつつある。これをやられると中共側ではミッドコース迎撃用のABMをどこに配備しても北京をカバーし切れない。だからインドネシア近海でのASW環境調査に躍起になっているのだろう。

 ※トランプ政権はINFから脱退し、バイデン政権もそれに復帰する気などない。とうぜん、北京の次の心配事は、米国の新INFが極東のどこに展開されるか――なのだが、これを米領ではない他国の固定基地に展開するなんてことが政治的にできるわけがないので、けっきょく、米空軍の大型機もしくはF-15E級の戦闘機から《空中発射》する中距離核弾道ミサイルが模索されることになるだらうと思ふ。平時はハワイとグァムに少数を置き、緊張時に前線のスポーク飛行場に臨時展開するというスタイルだ。このハードウェアをオフザシェルフですばやく完成できたらスタンディングオベーションものだが、もたもたと開発していれば、西太平洋のどのあたりからでも直接に発射して北京を打撃できるハイパーソニックの完成度が追いついてきて、すべてはサンクコストに……。