1990年4月1日は、大塚さんのマイティマイトに乗せてもらった日。

 大塚康生先生のご訃報に接し、整理作業中の古日記(カレンダーに書き込んだメモ)を見直していたら、すこしずつ記憶が蘇ってきた。
 マイティマイトというのは空挺用の特殊な軽量ジープで、当時、大塚さんはそれを2台、ご自宅に私有しておられた。ご自宅は東京県境に近い埼玉県の某市にあり、アニメの銭形警部が埼玉県警所属という設定になっているのもそのためだと事前に誰かから聞かされていた(真偽は存ぜぬ。直接お尋ねしようとは思わなかった。訊いておけばよかったな……)。
 そしていまはどうだかしらないが、そのご自宅のすぐ近くに舗装されていない農道のようなところがあって、そこをブンブン飛ばしてくださったのである。シートベルトがあったかどうか、まったく思い出せない。

 この平成2年4月1日は、日曜日だが、わたしが(株)戦車マガジン〔そのご、デルタ出版と社名変更〕の正社員になった日だった。わたしは東工大の院生だったときから編集部のバイトをしていたので、入社初日にいきなり大塚大先生のご自宅を手土産なしで訪問し、奥様には『また変なのが来たか』という顔をされながら、いきなりジープに乗せてもらったことになる。
 なんでそんな役回りなのかというと、わたしは新入社員のくせに文章が老人向きだから、ご高齢の執筆者の担当になるのがよい、という流れであったように記憶する。
 じっさい、波長は合った。
 デザートシールド作戦のさなかであったが、大塚先生は雑談の中で断言された。「アメリカはぜったいにやりますよ」。これは、デザートストーム作戦の発動を言い当てたのである。当時の日本の主流のマスコミ論調は、米軍はクウェート奪還作戦には出ないという異次元の解説ばかりしていた。この主流マスコミの豚痴気な言論空間には辟易する人たちが、大塚さんの世代と、わたしのような、その息子世代の、戦後生まれの軍事マニアであった。
 ――黙祷――。

 次。
 『Airborne Assault ParaData』の記事「Airborne jeep」。
 英国の空挺部隊OBが運営しているサイトのようだが、簡単に訳し、大塚先生への手向けにする。
 ご注意! これはマイティマイトの解説ではありませぬ。

 第二次大戦中の英軍空挺部隊は、米国発明のジープを、対戦車6ポンド砲の牽引等に役立てた。
 そして、空挺輸送グライダーであった「ホルサ」の機内に収容できるよう、改造が試みられた。
 改造点は以下の如し。

 フロントバンパーと取っ手を切除。

 正面ラジエターグリルの前にスペアタイアを固縛。偵察任務中の防弾の足しになればという考えだったが、結果的に、冷却効率を悪くした。

 偵察任務バージョンでは、ピントル銃架を追加。「ヴィッカーズ K」型機関銃(単装のことも連装のこともあり)を、前方助手席の者が射撃できるようにした。

 車両背面のジェリ缶は、前列の2座席の中間へ移動させ、さらに、前列2座席の背当てのうしろにも予備ジェリ缶を2個、増設。

 風防は撤去。

 ハンドルは取り外し可能にした。警笛ボタンはダッシュボードへ移設。

 車両側面に固縛されていた土工具類は、バンパーへ移設。

 車体左前方についていた灯火管制用ヘッドライトは除去。グリルの2個のライトも外し、かわりに、より小型のライトを左右の泥除け上に設置。メインの2個のヘッドライトは、多くの場合、英国製灯火管制用ライト×1個に変更された。

 こうした改造をおこなった英軍の空挺ジープは、ノルマンディ上陸作戦から、ライン川渡河作戦まで多用されている。アーンヘム地区に対するマーケットガーデン空挺作戦で大活躍したこともいうまでもない。

 第二次大戦後も、1950年代後半まで現役であった。ヘイスティングズ輸送機の主翼の下に吊るして行き、そこから物料傘で空中投下できるようにしたバージョンが、パレスチナ戦争やスエズ戦争にも投入されている。

 諸元。全長333cm。車巾157.5センチ。車高は 収納時には132センチに縮めることができる。車重1040kg。

 次。
 Charles Schmidt 記者による2021-3-18記事「Did the coronavirus leak from a lab? These scientists say we shouldn’t rule it out.」。
   武漢生物兵器研究所から新コロが漏れ出したという可能性に言及すると、学者仲間からはキャリアの自殺だぞと警告される。しかし、その可能性はあるにきまっているのである。



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