Michaela Dodge 記者による2021-6-11記事「Out of Sight Should Not Mean Out of Reach: Deterrence and the Proliferation of Hard and Deeply Buried Targets」。
地下に設けられていてしかも防爆構造の、イランのウラン濃縮工場のような攻撃目標を、米軍は、HDBT(硬化地中埋設目標)と呼ぶ。
コンクリート掩蓋付きの塹壕のような、地表施設も、HDBTである。
トンネルや地下道も、HDBTである。
多くのHDBTは地下250mより浅いところにあるが、まれには700m、しかも硬い岩盤をくりぬいてある、なんてものもある。
対HDBTの武器としては1997年に「B61 Mod 11」核爆弾が導入された。そしてそれいらい、ほとんど改善がされていない。
核爆弾を地中数mのところで起爆させると、HDBTを破壊する力は15倍から25倍になる、と2005年に国家研究諮問委員会が言っている。つまりはイールドをそれだけ小さくできるので、地表の副次加害を抑制できる。
B61は進化していないが、トンネル掘り技術は過去30年でずいぶん合理化され、コストが下がっている。
起爆の深度をもっと大きくできれば、地下攻撃用核爆弾の仕事はもっと効率向上する。そこで、B61やB83弾頭を、非常に硬化したケースの中に入れて投下し、地中深く潜らせる案が、2003-3から検討された。
RNEP研究、という。
2006に国防科学委員会はRNEPに関連して、こう指摘した。
それはすぐに使われる、そして効果的であろう――と敵が思ってくれぬような兵器には、何の抑止力もない、と。
RNEP研究は鋭意進めなければならない。しかし予算が必要である。FY2004には議会は750万ドルつけてくれたが、FY2006では400万ドルに減ってしまった。
こうした研究の必要を説くと、必ず「それはあらたな軍拡をもたらす」と言って反対する阿呆が湧いてくる。
地中モードで爆発させる核兵器は冷戦時代からあったものだ。
それを洗練してイールドを小さくしようというRNEPは、冷戦時代の核兵器とは比較にならず地表にばらまく二次放射能を減らし、かつ、地中の敵の核工場や戦争指揮所は確実に破壊してやれる手段なのである。
これと同じものをロシアや中共が持っても一向にさしつかえない。1発数メガトンの水爆より、よっぽど地球を汚染しない。そしてイランや北鮮による核使用も抑止される。敵のキチガイ指導者たちが、いくら地下壕に逃げ匿れしても必ず殺されると悟るからだ。
次。
Larry Holzwarth 記者による記事「The Unique Hygiene Habits of Our Founding Fathers」。
18世紀の米国独立戦争中の、衛生全般について。
当時、毎日入浴する人は非難の目で見られていた。召使いが大量の水を運び、湯を沸かす必要があったので。
独立以前の米国では、ハブラシはあるにはあったが、多くの人はぼろきれで歯を拭いており、口臭対策としては丁香やミントを噛んでいた。
ワシントンはマウントヴァーノンでは若いときは夏に川で水浴びしていた。
独立戦争中は、朝、着替える前に入浴した。
ワシントンが最初の抜歯をしたのは24歳。大統領に就任したときは、本来の歯は1本のみで、あとはぜんぶ、入れ歯であった。
メイプル甘味料や砂糖を好んでいたため。
フランクリンは全裸で川泳ぎするのが好きで、ロンドン滞在中、テムズ川でも実行した。
バスタブを私有し、石鹸水で満たして入浴することを実践した、おそらく最初のアメリカ人のひとり。
18世紀の医学は、夜気にあたることは身体に悪いと断じていた。
ところがフランクリンはその学説に逆らい、極力、寝室の窓を全開にして寝た。いっしょに出張旅行したジョン・アダムズと、そのことで論争になったこともあり。
フランクリンは「空気浴」というものを実践した。
1時間、開放した窓の近くの椅子に全裸で座るというもの。冬は特に好んだ。それで元気が出るのだという。それをやっているときに来客があっても、そのまま通して、平然たるものであった。もちろん見た客は狼狽した。
トマス・ジェファソンは温水洗浄反対主義者であった。
石鹸も嫌いで、ひたすら冷水で洗った。
毎朝、冷水で足を洗っていた。
1752に外科医のウィリアム・ハンターが男女用のオーデコロンを製造販売しはじめた。それにはナンバーがついていた。
ワシントンは、ハンターのナンバー6のコロンを愛用した。
アレグザンダー・ハミルトンは当時もっとも清潔な生活をした男だろう。
早朝に起床し、かならず全身浴。歯磨きは毎日幾度となく励行。
シャツは1日着たら必ず洗濯に出した。
夏のフィラデルフィアでは、一日に数度、シャツを着替えた。
大金持ちのジョン・ハンコックも似たような生活だった。
当時の医師たちは、病気は空気伝染だと信じていた。それでハミルトンは、清潔なシャツは疫病を防ぐと信じたのだ。
ジョン・アダムズは冬でも冷水で顔を洗う派。
当時の人は何で尻を拭いていたか。農民だったら、麦藁。
大都市では、新聞紙や古本のページ。ボロ切れも使った。もちろん使い捨てである。
独立戦争時代、野原を行軍中の部隊は、都市がどこにあるか、すぐにわかった。人や家畜の糞尿の匂いが遠くまで風に乗って漂ってきたからだ。そして河川も、都市の下流には、かなりのところまで各種の汚染物質が流れていた。
粉をかけた男子用のカツラ。あれは虱除けだと誤解されているけれども、ただのファッションである。ルイ13世時代(17世紀前半)のフランスから英国まで広まっていたのだ。
※余談だが16世紀の肖像画に描かれている「エリザベス・カラー」。当時は地球の寒冷期であったと信じられる。だから来日したポルトガル人も似たような工夫で気管支炎を予防していたのだ。そして独立戦争中も北米は猛寒波に襲われていた。ハドソン川が完全に凍結した。
ルイ13世は禿頭だった。そしてかつらを使うことを選んだのである。
すると、ルイの宮廷では、これが男女のファッションになった。階級をあらわすシンボルとして。
G・ワシントンはこのカツラを着装することを拒否している。彼の地毛は、赤毛であった。公式の式典でどうしても白毛に統一しなければならないときは、彼は地毛にパウダーをかけた。
ジェファソンも赤毛だった。彼は厭々ながらもカツラをかぶった。のちに渡仏すると彼は気が変わり、豪奢なかつらを楽しんだ。
かつらに虱などがとりついた場合は、それを除去する洗濯業者がいたので、そこに出して清掃してもらった。
したがって、ノミ・シラミだらけのカツラを我慢してかぶっているような貴人は、当時の米国にも、居なかったと思うべし。そこは清潔だったのだ。
ワシントンの初代大統領の任期のおわりごろには、公人が公式の場に短髪で出席することが認められるようになって、男子のかつらは、ほぼ用がなくなった。
ただし南部では、金満家に雇われている使用人たちが、それから数年、この男子用かつらをかぶらされた。
米国ではなぜか18世紀に急速に短髪が男子ファッションとなり、束ね髪は廃れている。
大統領就任式で、粉かけかつらをかぶった、最後の大統領は、ジェイムズ・モンローである。
トマス・ペインは身なりにかまわなかった人のようで、それが彼の晩年を不遇にした。1809年にNYCで死んだとき、葬式には6人しかやってこなかった。
当時の貴人はじぶんでヒゲなど剃らない。すべて召使にやらせたものである。
カミソリも石鹸も、欧州から輸入する必要があり、高価で希少だった。
だから毎日シェイヴできる人は真の金持ちだった。ワシントンは、召使のビリーという男〔おそらく黒人〕に毎日午後、剃らせていた。当時、朝にヒゲを剃る人はいなかった。そしてまた、18世紀後半になるまでは、髭剃り前に熱湯を用意することもなかった。すべて冷水が使われた。前述のように、温水は身体に悪いのだという迷信があったため。
当時の上流階級は、ノミ、シラミ、ダニとはほぼ無縁に過ごすことができた。たとえばフィラデルフィアの大陸会議に出席するための長距離旅行でも、じぶん専用の馬車があり、衣類はたびたび、煙で薫蒸されている。
旅館の寝床には、虫がいた。ときどきこれも薫蒸されるのだが、不特定多数の旅人が利用するので、ゼロにはできない。
虫を気にする人には、寝台用に、藁マットが推奨された。すぐに中味を捨てて交換ができるからである。
船旅では、虫に悩まされることは少なかったようである。
ワシントンは軍隊衛生にはやかましかった。兵隊のベッドのシーツは週に1回、洗濯したのと交換せよ、と指示している。
見回って、じぶんの命令が守られていないことを発見したときは、現場の責任者は、厳しく罰せられた。
兵隊は川で水浴びした。石鹸などないので、自家製の「灰汁」が使われた。それは快適な使い心地ではありえない。
将校たちは、キャンプ・フォロワーの中にまじっている洗濯屋に、衣類を洗わせることができた。だが、頻繁な洗濯はよくないとか、みっともないと信じている下級将校もいた。
喫煙には、粘土製の長いパイプがよく使われた。熱気をさますために。
GWは非喫煙者だったようだが、家の中で誰かが喫煙するのは気にしなかった。
噛みタバコは19世紀に流行。さっそく連邦議会内にはその吐き出し壺が備えられた。
ジェファソンは、禁煙している。
フランクリンも、中年時に禁煙した。