Daniel Gross 記者による2001-9-20記事「Previous Terror on Wall Street — A Look at a 1920 Bombing」。
1920年9月16日、ウォールストリートの雑踏。正午のベルが鳴ったとき、1頭曳きの質素な馬車が爆発した。爆薬の量は数百ポンド。
23丁目のJ.P.モルガン商会の、要塞のようなビルの前だった。そこは「ザ・コーナー」と通称されていた。
ビル内にはジャック・モルガン・ジュニアとトマス・ラモントの執務室があった。ラモントはパリ平和会議の金融面での方向を仕切った。
御者は、爆発の数分前に馬車を置いて逃げ去ったのが目撃されている。
半径半マイル内のビルのガラスは割れた。
ビルの12階部分の「日除け」がこの爆発のために発火したという。
ビル内では、若き証券取引マンだったジョセフ・P・ケネディ(のちの大統領のおやじ)も、腰を抜かした。
13人が即死。
その中にはモルガンのチーフ・クラークであったトマス・ジョイスが含まれる。
負傷者は300人。
NYCストックエクスチェンジが暴力行為によって取引中止となったのはこの日が初めてだった。
第一次大戦後だったので、篤志看護婦の経験者がたくさんいた。だから地域住民がただちに救護にあたっている。
死体はすみやかに道路の両側へ安置され白布をかけられた。
この時代には無政府主義者が横行していた。ジャック・モルガンは手紙爆弾を受け取ったことがあった。それは失敗したのだが。
郵便受けに犯行声明が入っていた。「アメリカン・アナーキスト・ファイターズ」と名乗っていた。
ウォールストリートは翌日、平常通りに仕事を再開している。これは彼らの意地だった。何があろうとビジネスは前進をするのだと世界に示すつもりだった。
この事件、真犯人が分かっていない。当局は誰も起訴できなかった。
被害総額は200万ドルであった。
WWI中、「リバティーボンド」(戦時公債)が発行され、これを中産階級が買った。これによりウォール街は、戦間期において、ロンドンから世界金融首都の地位を奪う。そういう時節にあたっていた。
この爆発現場に面していたモルガンのビルのファサードは今も保存されている。そこには爆発で出来た月面状の傷痕があるのが確認できるのである。
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ストラテジーペイジの2021-9-15記事。
中共がイタリアの無人機メーカーを違法に企業買収しようとして露見し、イタリア政府により阻止された。
イタリアの法律では、国外の企業が国内の軍需企業を買収する前には政府の許可が要るとしているのである。
中共は、イタリア国内での取引のように見せかけようとした。
会社は「アルピ・アヴィエーション」社。
その製品には、重さ8.7kgの「ストリクスC」UAVがある。固定翼機だ。
分解して背中で担ぐ。
8分で組み立てて手投げ。
着陸回収はパラシュートによる。
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S.A. Applin 記者による2021-9-15記事「Why Facebook is using Ray-Ban to stake a claim on our faces」。
先週、フェイスブック社は、299ドルで「レイバンストーリーズ」というモバイル端末サングラスを発売した。
カメラが内臓されていて動画を撮影してそれを「フェイスブック」にアップロードできる。音楽を受信して聴ける。電話もできてしまう。
※わたしの世代だとレイバンといったら黄色いサングラス形の防弾ゴーグルを想起してしまうのである。猟用の空気銃のタマや散弾避けの。サバイバルゲームとこの「ストリーズ」を結合させたら、ゲーム配信の世界も変わるだろう。
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Seulkee Jang 記者による2021-9-13記事「North Korea once again imports refined oil from China」。
北鮮は中共から、精製済みの石油をまた購入した。
「ナムポ」港に9-1と9-2にタンカーが着岸した。中型タンカー4杯分という。
そのほとんどは軽油だと見られる。
というのは9月に北鮮内の軽油価格が急落したからだ。
(管理人Uより)
右や左の旦那様、ユグドアの事はこちらに記載しております。