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 Keoni Everington 記者による2021-9-24記事「US House passes bill inviting Taiwan to take part in 2022 RIMPAC」。
 米下院を通過した次年度軍事予算の執行に関する法「FY2022 NDAA」。来年のリムパックに台湾海軍を参加させなさいと国防総省に推奨。

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 坂部護郎・著『戦争秘録 将軍長岡外史』S16-3-5 二見書房pub. の内容のごく一部をご紹介します。

 清国兵は弱く、戦えばかならず負けて逃げる、というイメージは、日清戦争に従軍した新聞記者、光永、野間、遅塚らによる観戦記が、定着させた。

 所沢に飛行場ができるまでは、埼玉県には軍の駐屯地がなかった。それで長岡が県知事にかけあって茶畑を買収した。

 大正4年8月7日、予備役に編入された。直後、既存の飛行協会とはまったく別の「国民飛行会」を設立した。
 そのとき全国に配った「設立趣意書」にいわく。
 「敵の飛行機が無数の焼夷弾を投下したなら、全市は忽ち火災を起し、死屍は積んで山をなすであらう」。
 国民飛行会の事務所は、麹町の兵林館の2階と、兵林館の支配人である中川治三郎の自宅の6畳間。これを無償で借りた。

 大正5年、「日本飛行政策」と題するパンフレットを執筆し、手の届く限り配布した。
 「我国は防空上既に島帝国に非ず」
 「日本に襲来する敵の飛行隊は主として焼玉[やけだま]を投げ附けるだらう」
 「飛行機を防ぐには飛行機を以てせざるべからず」
 「防空設備は各市に必要がある」
 「防空上の陸海軍の別なし」
 「飛行機製造は民業たるべし」

 さらに航空省の独立を主張し、飛行予備将校の育成を説いた。

 関東大震災の後、「帝都復興評議員」に推された。
 その第一回の評議員会。11月15日に開かれた。
 長岡の熱弁。
 「将来の都市は絶対に耐火、不燃たると同時に耐弾性を具備するを要す」
 「成るべく多くの地下鉄電車を市内に敷設し、そのプラットホームの廣さは、少くも市民の半数を入るるに足るものたるべし」
 「市内の家屋建築には、耐震耐火耐弾の三性能を備へしむべし」
 「都市の編成に一大心臓を設くるは危険なり。今日の苦き経験に鑑み、條蟲のそれの如く個々に分割せられても尚各個に生命を有する如く編成するを要す」
 「電信、電話、電燈線を瓦斯、水道同様地下に埋没し耐弾性を附すべし」

 大正7年にわが国最初の防空映画『悪夢』を製作させた(p.350)。諸口十九、五月信子。

 ※現代人には読みにくくてしょうがない戦前(幕末以降)の刊行物を現代文に直してほしい、あるいは要約してほしい、あるいは特定の情報要素だけを抜き出してほしい――という御用の方はいらっしゃいませんか? 適価で請け負います。ジャンルは問いません。