さいとう・たかを先生のご訃報に接して。

 むかし長野市の目抜き通り交差点に「丸光(まるみつ)」というデパートがあって、その最上階に近いところに書店があって、窓際の、ゆったりした広さのフロアに、リイド社のコーティング印刷カバー付きのちょっと大きめ版型の『ゴルゴ13』の単行本が数十巻分、平棚に積んで置いてあったものでした。

 それを、ハイティーンであった私は、数日かけて、1巻からじゅんばんに、ぜんぶ立ち読みしたのである(まだビニール巻きなんてされることのない鷹揚な時代でした)。

 この「劇画」には特筆すべき以下のような特徴があって、それが強烈に、私をひきつけました。
 なんといっても主人公のキャラクターです。

 自我を「村」や「集団」にはあずけず、個人の中だけにすっかり確立していた。だから、わたしたちがリアル世界で知っている日本人たちとは、まるで異色。群れず、つるまず、じぶんの定めたポリシーについて妥協しない。それでもゆるされてしまう。女とセックスするのにも、他の職人と必要に応じて交渉するのにも、一向、さしつかえがない。あらゆる予期せぬシチュエーションにおいてコミュニケーション・スキルがちゃんと発揮される。「西洋的自我」とはこういうものか――と思わせた。こんなキャラクターを創出した作品は、同じさいとうプロの他の劇画にもないのでは? おそらく日本の小説ぜんぶ探したってないだろう。今の世代のマンガ作家にも、それはできていません。快挙というより壮挙。空前にして絶後なのである。

 つぎにやっぱりキャラクターで、ピンチに陥ったときにあわてずさわがず、克服する道をただちに探して淡々と実行してしまう。「これは何の罠だ?」といった、咄嗟の短い切りかえし台詞……。そうやって切り抜けてミッションを成功させた後も、ひきつづき、黙然としている。そういう頼れる「御仁」には、日本のリアル世界でも、日本の戦記文学の中でも、遭遇したことがなかったものですから、もう、それだけでも完全にシビレたものでした。これもまた、他の劇画にも、日本中の小説にも、類似のキャラクターはみつからないことと思います。
 (ただ、東郷なんたら、という名前は、戦前の『少年倶楽部』の冒険小説の主人公を確実に意識しているとは思います。戦後小説が回帰し得なかった戦前の世界観の延長に、劇画だけが、回帰できたのかもしれない。)

 さらにまだある。これは今にして思えば多少「問題ある」キャラクターと申せますが、西洋人を相手に仕事をするにさいして、主人公が決してヘラヘラしない。愛想笑いすらしない。それでも自我が確立されているプロフェッショナルならば周囲が許す。仕事上の問題もないのだという手本を示した。この境域にまでおのれの人格を高めなくては日本人はダメなのである、という「指針」を与えられた気が致しました。海外で仕事する予定なんてゼロだった私ごときにも、そんな思いをさせたのですから、すごい作品と言うしかない。

 以上にもうひとつ特長を付け加えると、「西洋事情」ですね。『信濃毎日新聞』には載っていない海外裏話が、田舎青年には、とにかく新鮮だったのです。それをすべて吸収したいと思って数十巻を一気に立ち読みしたのでした。

 時代は移りましてインターネットで地球の裏側のゴシップねたまで詮索ができるようになり、私もいつの頃からかもう『ゴルゴ13』(を含めた漫画/劇画の全ジャンル)は読まなくなって久しい。世紀の境い目ぐらいからだったでしょうか。床屋に置いてある単行本(小学館版の、カバーのない小さい単行本)を手にとったら、フキダシのなかにびっしり詰まった活字がとにかく小さくて、老眼鏡なしでは苦痛なので、あきらめました。もうその頃には、私じしんが、世界の軍事事情を皆様にお知らせして驚いてもらう、情報の送り出し側の立場に、変わっていたのであります。

 さいとう先生、ありがとうございました。

 以下、余談。
 これから先、さいとう先生についてのテレビ特集がいくつか組まれるだろうと想像するが、さいとう先生が御自身に関してのあれやこれやをルソーみたいに赤裸々に「告白」したと思ってたらナイーヴだよ。

 以下、じぶん用の備忘メモ。
 『ゴルゴ13』シリーズ中、小生の原作が採用されているのは、以下の2作品だけである。

 そのさいしょが「直線と曲線の荒野」(小学館『ビッグコミック』1993年7月25日号に前編初出、後編次号)。たしか連載25周年記念の公募に応募したもので、その受賞の式ではじめてさいとう先生に面謁を賜り、ふたつのことを指摘されたのを想い出す。「ワープロの横書き印刷は読みにくい」「〆切までに直せる時間があるならどうして最後まで何度でも推敲をしないのか。じぶんならギリギリまで直して良くする」。また、若いとき、床屋の渡り職人になるつもりで鋏を持っていたが、劇画を描き出してからは、退路を思い切るためにその鋏は捨てた、という回顧談も聞いた。

 次が「北緯九十度のハッティ」。しかし初出のDATE記録がみつからない。とうじは日記をつけていなかったんだ。それではダメだね。