Mack DeGeurin 記者による2021-12-9記事「DARPA Is Exploring Ways to Wirelessly Charge Drone Swarms」。
これまで、マイクロ波やレーザーを使って空中の電動ドローンへ遠隔給電してやる方式はいろいろ実験されているが、いずれも、距離がすこし伸びると、伝送できる電力がガックリと弱まってしまい、実用的には程遠かった。
それに対してシアトルの「エレクトリックスカイ」社がDARPAの肝いりで開発している「ウィスパー・ビーム」方式は、無線による遠隔給電ながら、距離による減衰が無いという。
ロンドンのセントポール大聖堂内などで不思議がられた音波伝播現象に「ささやきの回廊」がある。
屋内の大ホール(ギャラリー)の、平面図として円形あるいはパラボラ形の内壁に沿って、誰かが発したささやき声が、何度もバウンドして行き、たとえば円周内壁を半分以上まわりこんだところに位置した別の人に、そのささやき声がハッキリと聞き取れる現象である。
この現象を電磁波に応用したのだそうだ。
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William E. Welsh 記者による記事「Colonel William O. Darby and the U.S. Army Rangers」。
ウィリアム・ダービーは1911アーカンソー生まれ。好い男だったので、ウェストポイント陸軍士官学校に推薦入学できた(州選出の連邦上院議員に推挙権があった)。
卒業して少尉に任官したのが1933。席次は346人中の177番。砲兵科だった。
1940に大尉になった。
1942-1、北アイルランドのベルファストに赴任。
マーシャル陸軍参謀総長のお気に入りであったトラスコット大佐は、このダービー大尉に、英軍のコマンドー部隊を模倣したレンジャー部隊を創設させようと考えつき、コマンドー作戦の司令官であったマウントバッテン卿に、訓練を頼んだ。
米陸軍は、とりあえず5個のレンジャー大隊を欲していた。4個は北アフリカと欧州で使いたい。1個は太平洋で使うつもりだった。
レンジャー大隊は、全員、志願者よりなる。63人の小銃中隊×6個で、1個大隊とした。中隊長は大尉もしくは中尉。この6個とは別に、大隊には、本部指揮中隊も置く。
ダービーは6月に少佐に進級した。 ※大尉では大隊長になれない。
ダービーが部下将校を面接・選考し、その将校たちがこんどは、じぶんの部下とする下士官・兵をそれぞれ面接して選考した。
当初、新編のレンジャー大隊から少人数ずつ、英コマンドー部隊や、カナダの第二師団に「実戦見習い」として分派された。それで、8月のディエップ作戦では12名がじっさいに上陸し、沖の軍艦からも多数が「観戦」していたのである。この12人のうち3人は戦死し、複数名はドイツ軍の捕虜になった。
北アイルランドでの訓練は、迫真性を出すために実弾を用いた。
当初、レンジャー中隊では、各4名に、.45ACP弾を発射するトンプソンSMGを持たせた。この4名は、前路斥候に任ずるのである。
また、BAR(フルオート射撃も可能なライフル銃。だが軽機関銃とは呼ばれなかった)は各中隊に8梃ずつである。
またレンジャー隊員は全員が、英国のフェアベーン・サイクス格闘ナイフ(分厚い軍用コートを着た敵兵を刺殺できる細身で諸刃の短剣)を携帯した。
ダービーは、本部指揮中隊が、臨機に重火器支援中隊ともなるようにした。すなわち本部中隊員は誰でも、必要に応じて迫撃砲や対戦車火器を操作できなくてはならなかった。重火器はすべて本部中隊に集め、小銃中隊には、いっさい重火器は持たせない。行動が遅くなるからである。
ダービーは、7.62ミリの非常に重い「軽機関銃」(数人がかりでないと運べない)を排し、その定数を、BARをさらに増やすことで置き換えさせた。
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