ピラミッドは、古代人民の「地球温暖化讃歌」を建築形状に籠めたものである。

 戦車砲で鉄筋コンクリート製アパートを意図的に崩壊させて行く露軍の戦法をドローン映像により確認できる。
 それで、「砲弾やミサイルに堪え得るブロック工法は何か」と模索するうち、やはり4600年ものあいだ、崩れもせずに遺り続けた「金字塔」(Pyramid)について調べるしかなくなった。

 すると、予期せぬ発見があった。ピラミッドのサイズと地球平均気温の、逆相関関係だ。

 紀元前2700年頃から2500年頃にかけては、地球気候は年々、寒冷化するように、当時の人々には感じられた。
 だいたいBC2600の地球平均気温が、AD500年の地球平均気温と同じである。
 AD500年頃から800年くらいにかけては、地球はさらに冷え込んだものだが、BC2600の場合は、そこが「低温化の底」であって、すぐにまた、地球気温はV字上昇傾向に転じてくれた。

 古代エジプト人が初めて石積みの巨大ピラミッドの建築を決意したのは、この「低温化の底」のタイミングであった。

 まずBC2650年頃、サッカラに、ジュセル王の《階段ピラミッド》が築造された。

 続いて、メイドゥムに、スネフェル王の《崩れピラミッド》。まだ工法が確立しておらず、試行錯誤だ。

 そしてBC2600年頃、ダハシュールに、スネフェル王の《屈折ピラミッド》と《赤ピラミッド》が建つ。この《赤ピラミッド》で、設計ノウハウはほぼ大成した。

 そしてBC2550年頃、ギザに、クフ王の三大ピラミッドが並び建つ。そのひとつは、空前絶後のサイズとなった。しかし、これ以降は、ピラミッドのサイズはガックリと小さくなってしまう。

 ギザの巨大ピラミッドができたとき、すでに気候はV字上昇に転じていた。それから300年ばかりも、人々は、気候の心配はしなかったのである。BC2600年と同じ低温にふたたび転落してしまうのは、BC2000年頃だ。しかしそこからはまた、地球はながらく温暖であった。

 気候が回復したので、ピラミッドは小さくなったと考えられるだろう。
 おそらくエジプト王朝の富は、気温回復にともなって増大したけれども、人々の「危機意識」が低調化したのだ。『祈りが通じた』と人々は考えることができた。だから巨大ピラミッドの追加の必要は、もうなくなったのだ。

 当時のナイル流域地方において、気候が寒冷化すれば、どんな悪いことが起きたのかは、私の想像を絶している。が、それは全住民にとって、著しく不吉だったのであろう。
 危機意識の大きさが、より一層巨大なピラミッドの築造に、エジプト人を駆り立てた。フラッシュ・サーフィスの輝きによって、地上に太陽を写しとろうとまで考えたのだろう。まずまちがいなく、上下を挙げての、祈りのようなものだっただろう。

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 Staff Writer 2017-10-19記事「Did Climate Change Cause Ancient Egyptian Civilization to End?」。
   さいきん考古学者たちがつきとめたこと。古代において、地球のどこかで大きな火山噴火があると、ナイル川の氾濫は、小規模化してしまったようだ。肥沃な泥が、耕地の上に補給されなくなってしまった。

 アレクサンダー大王は、たまたまこのようにして弱っていたエジプトに侵攻して、征服できたのだろう。

 ナイル河は、毎年夏に増水し、数ヵ月、氾濫する。イスラム化して以降のエジプトでは、その水位変化の正確な記録ものこっている。

 ※おそらく地球が寒冷化していたBC2600年前後のナイル河流域も、氾濫の縮小が、穀物収量の逓減をもたらしていたのだろう。それ以前のエジプトは、「働かなくとも食える社会」に近かったと思う。その天国が、気候の寒冷化のせいで、うしなわれて行ったとすれば……? なんとかしなくては、と、まなじりを決するのが、人情ではないか。

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 雑報。
   ラヴロフはプーチンが破滅すると見越して、わざとキチガイ発言をしたと思う。ヒトラーがユダヤ人だと言ったらしい。それでイスラエル政府がモスクワに謝罪を求めている。

 露軍はとうとう、将校による「督戦射殺」を復活させているという。

 TB2が、高速で回避航行中の露軍のパトロール・ボートを、誘導兵装によって直撃した。これは世界戦史史上初の、無人機からの投弾による対艦攻撃の成功例だと思う。