仮説。もしプーチンが自国史に詳しかったなら、順番としてまず「モスクワ市内に限定した部分動員」を、下令しただろうね。

 1917革命は、王宮所在都市サンクトペテルスブルグに、一時的に46万人もの未訓練徴兵を武装させた状態で蝟集させてしまい、かたわら、近衛兵代わりとなる(ツァーリに忠実で頼りにできる)親衛騎兵聯隊は前線へ派出してしまって、王都の警固をガラ空きにさせるという、ありえない愚挙が必然招致した「自殺点」だった。

 たぶん史家の誰も指摘してないが、これは平時の軍隊倉庫の過度集中(首都一点集中)と、戦時の鉄道輸送力の一時的飽和が、重なったための、避けられない滞留でもあっただろう。
 つまり首都にしか兵食・馬糧の十分なストックがなかったので、とりあえず首都で新編聯隊を編成するしかなかったのだ。

 この歴史はしかし、現代ロシア政府に対しては、面白い教訓となり得たはずだ。

 1917-9のロシア軍(ツァーリ軍)は、輸送手段(馬車)と鉄砲さえ揃えば、東部戦線で勝てる見込みがあった。だからツァーリ政府は大量動員を急ぎたかった。

 それに対して2022-9のロシア軍(プーチン軍)には、戦場で勝てる見込みはもうない。トラックや戦車をいくら与えても、もうダメなのだ。しかしさいわい、核大国&化学兵器大国のロシアは、国境防備には不安はない。ウクライナ軍は「本来の国境線」は越えて進軍できないのだ(越境すれば毒ガスが使われるだろう)。
 ということは、これからはダラダラとした長期戦が続くしかない。
 ならば、当面は、国内の反政府世論をひきしめることも優先事項であるはずだ。

 反政府デモが起きると困る首都モスクワ市内から、デモに参加する気概のある住民を全員、放逐してしまう必要がある。

 その方法は簡単だ。「部分動員は当面モスクワ住民だけを対象とする」と公式に告示すればいいのだ。それで18歳から65歳までの反政府的な男子は全員、旅費自弁で、モスクワを離れてくれるだろう。政府は一文も使わずに治安を維持できる。

 追い出しの手順がある。ツァーリのようにいちどに46万人も徴兵するのではなく、最初は4600人くらいからスタートする。反政府傾向のある二十代後半の男子を狙い撃ちに召集令状を送達。それに反発した街頭デモが発生したなら、ただちにその全員を捕らえ、参加者のうち18歳から65歳までの者は、男女の別なく、最前線送りにしてしまう。

 いっぺんこれを見せ付けておきさえすれば、もうその後は、敢えて首都でデモする者などいなくなるだろう。プーチン政権は安泰だ。

 鞭と同時に飴も与えたらいい。シベリアの鉱山町の永住者は今後も徴兵対象にしない、というアナウンスをしても、政府の懐はいたむまい。それで輸出用の資源開発がはかどる。

 首都の人口が希薄化すれば、首都の物価は下がる。残留した市民はその恩恵を受け、政府を憾まなくなるだろう。
 逆に、首都からの脱出者を受け入れた周辺都市では、物価が上がる。もとからの住民は、モスクワから流れてきた連中を憎む。
 これによって、ロシア全体が団結して「反プーチン」で結束することも、なくなるだろう。

 余談。
 明治38年9月に、日比谷で暴動が起きた。ポーツマス媾和条約の内容が気に食わないというのだ。いったいその元気満々の野郎たちはどうしてそれまで徴兵されず、満洲に送られていなかった?
 これが「輸送(補給)手段の限界」というやつなのだ。当時の日本に馬と輜重荷車が余っていて、軽便鉄道資材も十分にあったなら、それら暴徒たちを余すところなく徴兵して後備兵として満洲送りにしてしまい、最前線警備中の現役兵と交替させて、現役徴兵の帰郷復員を急がせることぐらいは、簡単に実現できたのである。