『第一次大戦前の英訳版《孫・呉》兵法』を、AI(Qwen)を駆使して和訳してもらった。

 原題は『The Book of War: The Military Classic of the Far East by Sunzi and Wu』で、刊年が1908年です。
 おそらく「ブック・オブ・ウォー」というのは「兵法(書)」の訳なのでしょう。
 また Sunzi は「孫子」(=孫武)、Wu は、「呉」(=呉起=呉子)であるようです。日本人は江戸時代にこのふたつを併せてしばしば「孫呉」と称していました。

 日本贔屓の英訳者のカルスロップは、ひょっとすると『大正三年日獨戦史』上巻(大5)の中に出てくる英バーナジストン大隊のリエゾン幕僚、「カルスロップ中佐」なのかもしれません。『偕行社記事 No.723』によれば、第一次大戦中、青島の後のどこかの戦線で、惜しくも陣没したそうです。すいません、ネット情報環境がこれほど発達し充実もしている昨今、正規将校の業績を確認することはオンラインでおそらく可能なはずですが、小生に根気がなくなってしまいました。だから「そうじゃないのかな」と思っているだけで、放置してます。

 『孫子』について私が言いたいことは、あらかた拙著『新訳・孫子』に書いてございますので、ここでコメントすることは格別にございません。

 例によって、プロジェクト・グーテンベルクさま、ITに詳しい御方はじめ、皆さまに深謝いたします。

 以下、本篇です。(ノーチェックです)

書名:『戦争の書:極東の軍事古典』

著者:孫子(紀元前6世紀頃活動)
   呉起(ご・き)

訳者:エヴァラード・ファーガソン・カルスロップ

公開日:2013年10月23日[電子書籍番号 #44024]
    最終更新日:2024年10月23日

言語:英語

謝辞:このテキストはポール・クラーク氏およびオンライン分散校正チーム  によって編集され、インターネット・アーカイブ  が提供するページ画像をもとに作成されました。

*** ここからプロジェクト・グーテンベルグ電子書籍『戦争の書:極東の軍事古典』の本文が始まります ***

注:原著のページ画像はインターネット・アーカイブにて閲覧可能です。

[転記者の注記]

・アンダースコアで囲まれたテキスト(italics)はイタリック体(斜体)で表されています。
・本文末尾に加えられた修正一覧を掲載しています。


戦争の書
極東の軍事古典

中国語から翻訳
E・ F・カルスロップ大尉(英国王立野戦砲兵)

ロンドン
ジョン・マレー社、アルバマール街、W.
1908年


目次

序文               7

孫子の十三篇

第一篇 計(戦略的評価)     17
第二篇 作戦(戦争の遂行)    20
第三篇 謀攻(戦略的攻撃)    24
第四篇 軍形(戦闘隊形)     28
第五篇 兵勢(軍勢の活用)    31
第六篇 虚実(弱みと強み)    34
第七篇 軍争(戦闘の機先)    40
第八篇 九変(状況への柔軟対応) 44
第九篇 行軍(軍の移動)     47
第十篇 地形(戦場の地勢)    53
第十一篇 九地(九つの戦場状況) 58
第十二篇 火攻(火を用いる戦法) 67
第十三篇 用間(間諜の活用)   70

呉子の言説

序文               75

第一章 治国(国家の統治)    77
第二章 料敵(敵情の把握)    85
第三章 治兵(軍隊の統制)    93
第四章 将徳(将軍の資質)    101
第五章 応変(状況への対応)   108
第六章 励士(士気の鼓舞)    116

戦争の書


序文

I

紀元前5世紀に著された『孫子』と『呉子』は、今日に至るまで中国の軍事文学において最も著名な戦争論著である。戦車は姿を消し、兵器も変化したが、これらの古代の兵法書は依然として高く評価され続けている。なぜならば、両書とも戦争の根本原理、すなわち政治や人間性が軍事作戦に及ぼす影響を主に論じており、その原理がいかに不変であるかをきわめて鮮やかに示しているからだ。

これらの書物が書かれた当時、中国は常に動乱に巻き込まれた諸侯国の寄せ集めだった。戦争の主因は民衆の意思ではなく、君主や貴族の個人的野心や陰謀であった。したがって、「士気」(モラール)を維持するために愛国心や大義名分に頼ることはできなかった。代わりに、著者たちは「絶望」の力こそが軍隊に団結力と活力を与える最も強力な要因であると説いている。将軍には果敢な攻勢に出ることが強く勧められており、本国から遠く離れた地で行動し、敗北が即ち破滅を意味し、脱走も距離のために困難になるような状況を自ら作り出すべきだと主張する。実際、西洋のことわざでいえば「舟を焼く」こと、中国の表現でいえば「屋根の上に登らせた者の梯子を外す」ような行動をとるべきなのである。

一方で、敵を絶望的な状況に追い込むことだけは慎むべきだと注意が促されている。その例として孫子は、「敵を決して完全に包囲してはならない」と述べている。逃げ道を少しでも残しておけば、敵将の決意と兵士たちの闘志は弱まるからである。

興味深いことに、これら古代の兵法家たちはすでに「士気」、言い換えれば兵士たちの精神状態こそが戦争における決定的要因であると考えていた。中国の人々は気象条件の影響を他国以上に受ける傾向がある。よく知られているように、傘は兵士の装備品の一部であったほどだ。同様の理由から、戦術上の事情が許せば、高地の日当たりのよい側に陣を構えることが防御に最適だと推奨されている。

また中国軍では軍旗の数が異常に多く、単なる集合地点としての用途を超えている。実際、軍旗の主な目的は士気の維持にあった。林のように密に掲げられた旗が整然と立っている光景は、兵士たちに活気と安心感を与え、軍楽隊と同様の効果をもたらした。だからこそ孫子が「軍の行進は森のごとく静かであれ」と述べたのは、まったく的外れな比喩ではないのだ。

おそらく中国では武人の職業が歴史的にあまり尊重されなかったためか、通常、君主自らが戦場に出ず、専門の将軍に軍を預けることが多かった。当時、戦争に勝つための秘訣を携えて諸国を渡り歩き、最も高く払う者にその知識を授ける「兵法家」と呼ばれる人たちがいたのである。このような状況では、君主が遠隔地で戦う将軍に政治的に介入する問題が当然生じてくる。この点について、孫子と呉子は次のように述べている。国を統一し、公正で強固な統治を行うのは君主の責務であり、勝利の前提条件ではあるが、遠方の戦場で生じる諸問題については将軍こそが最高の判断者であり、君主の干渉は遅延と災厄を招く。

「戦争」とは「荒廃」を意味する。したがって、作戦は敵地で行うことが不可欠だった。しかし、いったん敵地に入った後は、もはや果敢な攻勢を取るべきではない。孫子は「初めは乙女の如く慎み深く振る舞え」と助言する。敵に先手を取らせ、行軍で疲れ果てさせたり、誤った行動に出させたりした後、「その時こそ、兎のごとく飛び込め」と説いている。

日本軍の持つ強烈な攻撃精神とは対照的に、孫子・呉子の戦術は本質的に「攻勢防御」(オフェンシブ・ディフェンス)的なものだ。すなわち、戦わずして機動と陽動作戦を駆使し、敵が手の内を見せ、戦闘能力を失ってから戦うのである。将軍の務めとは、敵がもはや効果的に抵抗できなくなるまで、決戦を避けることにある。

しかし、両兵法家は受動的・消極的な防御に陥る誤りを犯していない。孫子は、「防御的な展開戦略では兵力が分散され、どこも弱体化し、敵の集中攻撃によって個別撃破される危険がある」と明言している。むしろ、機動力と機知ある作戦によって戦闘を回避し、敵を策略で兵力分散に追い込み、あるいは我方の意図通りに行動させ、その後で襲いかかる防御こそが理想とされる。

戦場での戦術についていえば、決戦、すなわち正面攻撃は巧みな将軍の取るべき手段とは見なされていない。理想的な攻撃計画とは、広く言えば軍を二つの部隊に分けることにある。「一方の部隊で敵を引きつけ、他方の部隊でこれを撃破せよ」。ここには現代の作戦にも通じる、牽制(二次攻撃)と主力(予備兵力)による決定的打撃という考え方がすでに明確に存在しており、軍事原理の連続性を驚くべきほど示している。

また、地形が戦争に及ぼす影響についても多くの紙面が割かれている。谷間や河川の渡河作戦は今日とほとんど変わらない方法で行われていた。中国には多数の大河があり、軍事作戦に大きな影響を与えていた。孫子はその一つとして、「河川の渡河を阻止しようとしてはならない。敵は恐らくその地点での渡河を諦め、別の地点から妨害されずに渡ってしまうだろう。むしろ、敵軍が半ば川を渡ったところで攻撃すべし」と述べている。また、「敵よりも川下に陣を張ってはならない。それでは、洪水に見舞われるか、水源を毒されるか、あるいは敵が川の流れに乗って奇襲を仕掛けるおそれがある」とも説いている。

二人の著者はいずれもプロの兵士ではあるが、繰り返し「戦争が勝利であっても、その後に災いをもたらす」ということを強調している。呉子は「数多の勝利によって天下を握った者は稀である」と述べ、慎重に両軍を比較し、勝利が確実であると判断されるまで決して戦を起こすべきでないと主張している。そしてこう付け加える。「勝つ軍は、勝利が確実になってから戦いを始める。敗れる軍は、勝とうという望みを抱いて戦う。」

そのため、彼らは敵情の収集、特に間諜の重要性を強く強調している。また、当時の戦争が同じ民族間で行われていたため、間諜の活動は非常に容易だった。間諜は自国において極めて高い敬意をもって扱われ、後に中国の国家的英雄として称えられた人物の中にも間諜が多数いたことからも、その果たした役割が決して忘れられなかったことがわかる。彼らはしばしば何年も辛抱強く働き、敵軍の高位にまで登りつめ、誤った助言をしたり内部に不信感を広めたりすることで、将軍の手に二枚刃の剣として用いられた。「実に、彼らの力は驚嘆すべきものだ」と孫子は叫ぶが、同時に「その取り扱いは将軍にとって最も困難で繊細な任務である」とも戒めている。

II

孫子および呉子は、むしろ中国よりも日本で一層敬われてきたかもしれない。中国では戦争は国家生活における厄介な局面と見なされ、戦場での勝利が国家の最高の業績とは考えられてこなかった。これに対して日本では全く逆で、日本軍の将兵の何世代にもわたって孫呉の教えが教育の中心に置かれてきた。かつては他の芸術と同様、軍事術にも神祕が宿ると考えられ、戦略家自身もそのような神秘性を奨励していた。中国からわずかに持ち込まれたこれらの書物の写本は、長きにわたり所有者によって厳重に秘匿されていた。後に広く知られるようになると、膨大な数の日本の注釈家が現れた。というのも、中国文学は凝縮された表現で書かれており、読者の頭の中で展開・解釈されることが前提だからである。

今日では、孫子・呉子の教えはヨーロッパの近代軍事学者の科学的著作に取って代わられた。だが彼らの教えはことわざとなり、最近の戦争で日本が勝利を収める一助となったことは疑いない。古代の兵法家たちの長年の研究を通じて、日本人は「敵とその戦力を確実に把握すること」「十分な準備と訓練を重んじること」の重要性を深く信じるようになった。何よりも「勝利こそが国家存亡にかかわる」という切実な覚悟が彼らの決意を固め、勝利へと導いた。それはまさに、孫子の「絶望から生まれるエネルギーこそが勝利をもたらす」という教えを実証するものであった。

III

両兵法家の伝記についてはほとんど記録が残っていない。彼らはいわゆる愛国者ではなく、雇い主を次々に変えたプロの戦略家だった。中国史書には、孫子に関する有名な逸話が載っている。ある君主が、宮殿の近くで孫子に自らの兵法を実演して見せてくれと依頼し、その演習に宮中の女子たちを預けた。演習中に、ある一団の隊長が孫子の指示に従わなかったため、孫子は彼女を処刑するよう命じた。その女性は君主の最愛の妃であったが、孫子は「彼女の命を助けるよう命じることは、君主が戦場の将軍に政治的に干渉する行為である」と指摘し、処罰を執行させたという。

一方、呉子は道徳的に疑わしい人物として描かれている。彼は二度、自身の主人が戦争していた国に縁ある妻を、疑念を招かぬよう殺害したと伝えられている。さらに中国の歴史家にとってはそれ以上に重大なことだが、彼は母親の臨終に立ち会わなかったともされている。

E. F. C.(訳者:エヴァラード・ファーガソン・カルスロップ)

注記
訳者はJ・C・サマーヴィル少佐の親切な助言と批評に感謝する。


孫子の十三篇

第一篇 計(戦略的評価)

孫子曰く――

戦争は国にとって極めて重大な事柄である。軍隊の生死はこれにかかっており、国家の存亡を左右するものである。
ゆえに、その道を深く究めねばならない。

さて、戦争においては、戦術や状況の他に、五つの不可欠な要素がある。
第一は「道」[1] 、第二は「天」、第三は「地」、第四は「将」、第五は「法」である。

「道」とは、正しい政治的統治の道である。君主が正しければ民衆は心を一つにし、死をも恐れず君主に命を捧げる。

「天」とは、陰陽[2] 、寒暑、時節のことである。

「地」とは、距離・地形・広さ・戦略的位置のことである。

「将」とは、智謀・誠実・仁愛・勇気・厳格さを兼ね備えた人物のことである。

「法」とは、軍隊の編制・階級・統制のことである。

将軍はこれら五つを熟知しなければならない。熟知すれば勝ち、知らなければ敗れる。

さらに、これら五つに加え、以下の七つの要素についても、我が軍と敵軍を比較検討しなければならない。

七つの要素とは:
君主の徳、将軍の能力、天・地の利、軍の規律、兵士の兵力、訓練の程度、賞罰の公正さ。

これらを知れば、勝敗を予測できる。

もし私の部下の将軍が私の策に従って戦えば、必ず勝利し、引き続きその将軍を用いる。もし私の策に背けば、敗れて罷免されるだろう。

よって、前述の諸要素において我が方に優位があり、将軍たちが一致しているなら、勝利が期待できる状況を作り出せる。ただし、具体的な戦機や戦法は事前に固定できるものではなく、状況に応じて臨機応変に策を変更しなければならない。

戦争とは欺瞞の術である。
ゆえに、行動できる能力があるのに行動不能を装い、
敵に近いのに遠くにあるように見せかけ、
遠くにいるのに近いように見せかける。

小利をもって敵を誘い、混乱させて捕らえる。
弱点があっても完璧であるかのように見せかけ、敵を威圧する。
強そうに見せかけて、敵に避けるように仕向ける。
怒らせて敵の計画を混乱させる。
弱そうに見せかけて、敵に侮らせる。
敵の兵力が充実していれば、疲れさせる。
団結していれば、内部を分裂させる。
弱いところを攻め、思いがけないところから現れる。

これらは勝利する戦略家の秘訣である。ゆえに、これを事前に漏らしてはならない。

廟堂(朝廷)において戦前の評価を行うとき、上記の諸点において優れている方が勝つ。
多くの要素を備えている方が勝ち、
少ない要素しか備えていない方は勝てない。
一つも備えていない方は、絶望的である。

こうした諸条件について両軍を比較し得るならば、勝敗を予知することが可能である。


第二篇 作戦(戦争の遂行)

孫子曰く――

戦争を遂行するには、軽車千両(四頭立ての戦車)、革車(重装備車)千両、甲冑を着けた兵士十万人を動員し、遠方の戦場へ軍需品を輸送しなければならない。したがって、国内および戦場における諸経費、使者の接待費、車両や武器の修理に必要な膠(にかわ)や漆、その他の必需品など、一日にして千金(高額の金貨)が費やされる。この金額があれば十万人の軍勢を動かすことができる――これが勝利の道具である。

しかし、たとえ勝利したとしても、戦争が長引けば兵士の士気は低下し、武器は摩耗し、包囲戦となれば戦力は衰える。

さらに、戦争が長く続けば国の財源も枯渇する。兵士が疲弊し、武器が摩耗し、戦力が尽き、資金が底をつきると、周辺諸国がこの弱体化した国を攻め込むだろう。そうなれば、いかに賢者といえども、もはや挽回できない。

たとえ技巧に欠けても迅速な遂行によって勝利した例はあるが、熟達した将軍が長期戦によって利益を得た例はいまだかつてない。

実際、長期戦によって恩恵を受けた国は一度も存在しない。

戦争の害悪を知らない者は、戦争によって利益を得ることはできない。
優れた将軍は二度目の徴兵をしないし、後方からの補給輸送を三度も行わない。

武器や軍需品は国内から調達すべきだが、軍隊の糧食は敵から調達すべきである。

遠征軍に補給を行う費用は、国家財政を最も圧迫するものである。戦場が遠ければ遠いほど、人民は貧窮する。

軍隊が駐屯すれば物価が高騰し、兵士や随行者の金はたちまち底をつく。国庫も枯渇し、頻繁な徴発が行われ、兵力は消耗し、家計は疲弊する。結果として人民の収入の十分の七が失われる。また、国庫においても戦車は壊れ、馬は疲れ果て、鎧・兜・弓矢・槍・盾・戦闘櫓・輸送車・牛なども使い果たされ、国庫の十分の六が費やされる。

したがって、賢明な将軍は敵の糧食で軍を養おうとする。
敵の米一俵は、自軍の輸送車二十台分に相当し、
敵の飼葉一束は、自軍の二十束に勝る。

敵を打ち破るためには、兵士に奨励を与えねばならない。

敵を利用する者には報酬を与えよ。
最初に敵の戦車を十両以上手に入れた者には賞を与えよ。
捕獲した戦車には自軍の旗を立て、自軍の戦車と混ぜて使用せよ。
敵の乗員をも丁重に扱い、敵を打ち破ると同時に自軍の兵力を増強せよ。

戦争の目的は勝利にある。
たとえ技巧的であっても、長期戦を続けることではない。

優れた将軍こそが人民の命運を握り、
国家の安泰を守る者なのである。

第三篇 謀攻(戦略的攻撃)

孫子曰く――

戦争の法則に従えば、剣と火によって敵国を打ち破るよりも、戦わずしてこれを手に入れる方が上策である。

敵軍を激しい抵抗の末に破るよりも、無傷のまま降伏させる方が優れている。

「旅(りょ)」[3]・「卒(そつ)」・「伍(ご)」といった敵の軍制単位を戦闘で破壊するよりも、丸ごと捕らえる方がよい。

百戦百勝しても、それが最高の達成とは言えない。真の至芸とは、戦わずして敵を屈服させることである。

ゆえに、最も巧みな戦士は、卓越した戦略によって敵を欺き、
次に巧みな者は、敵が兵力を統一するのを防ぎ、
その次は、敵軍と正面から交戦する者であり、
城塞を包囲することは最悪の手段である。

可能なかぎり、包囲戦は避けるべきである。なぜなら、包囲を始める前に、高櫓(たかやぐら)、衝車(しょうしゃ)、攻城器具などを造るのに三か月を要し、その後、城塞の前で「遮隠(しゃいん)」[4]――包囲用の土塁――を築くにもさらに三か月を要する。そのため、将軍は怒りに満ち、忍耐も尽き、兵士たちは蟻のように未熟な時期に城壁へと突撃し、無益にも兵の三分の一が死んでしまう。これが包囲戦が招く災難である。

したがって、戦争の達人は、戦わずして敵軍を降伏させ、
包囲せずに城塞を手に入れ、
長引く戦いをせずに敵の国を征服する。
武器を濁すことなく、完全な勝利を収めるのである。

これが「謀攻」――戦略による攻撃――である。

戦争の法則によれば、
敵の十倍の兵力があれば包囲し、
五倍あれば攻撃し、
二倍あれば敵を分断せよ。
兵力が同等であれば全力を尽くして戦い、
劣勢であれば機動して機会を待て。
もし明らかに劣勢なら、決して戦う好機を敵に与えてはならない。
少数で無謀に抗戦すれば、捕虜となるだけである。

将軍は国の柱石である。
その働きが完全であれば国は必ず強くなり、
少しでも欠ければ国は弱体化する。

君主が自軍を混乱させるのは、次の三つの場合である。

第一に、軍が前進すべきでないことを知らずに前進を命じたり、
後退すべきでないことを知らずに後退を命じたりすること。
これはまるで紐で軍を縛るようなものである。

第二に、軍事の道を知らずに、国家の統治と同じ方法で軍を統べること。
これは兵士たちを混乱させる。

第三に、軍の実情を知らずに作戦配置を決定すること。
これは兵士たちの間に不信を生む。

軍が混乱し、不信に満ちれば、諸侯の脅威が生じ、
軍は自滅し、敵の餌食となる。

勝利を予知できる五つの状況がある。

第一、戦うべき時と戦うべきでない時を知っていること。
第二、大軍と小部隊の使い分けを理解していること。
第三、政府と民衆が心を一つにしていること。
第四、自国が準備を整え、敵の無防備な瞬間を狙って攻撃すること。
第五、将軍が有能であり、君主に干渉されないこと。

この五つが、勝利の前触れとなる。

古くから言われている。
「敵と味方の両方を知る者は、百戦しても危うくない。
敵を知らず、味方だけに目を向けている者は、勝つこともあれば負けることもある。
敵も味方も知らない者は、必ず敗れる。」


第四篇 軍形(戦闘隊形)

孫子曰く――

古代の兵法の達人は、まず自軍を不敗の態勢に置き、
その後、敵が確実に敗れる時を待った。

敗北の原因は内にあり、勝利は敵の陣営のうちに生まれる。

巧みな兵士は敗北を不可能にし、さらに敵が勝利できないようにする。

しかし、勝利の条件が整っていても、必ずしもそれを得られるとは限らない。

勝利が得られそうにないときは防御し、
勝利が確実ならば攻撃する。

兵力が不足すれば防御を強いられ、
兵力に余裕があれば攻撃できる。

防御に巧みな者は、最も深き影に隠れ、
攻撃に巧みな者は、天の頂点まで突き進む。[5]

この教えに従えば、勝利は確実である。

たとえ世間が勝利だと騒いでも、真の成功とは限らない。
戦いに勝ち、国中が「よくやった」と称えても、
それは最高の達成ではない。

秋の羊の毛[6] を抜くのは力の証明にはならず、
太陽と月しか見えない目は鷲の目ではない。
雷の音を聞くのは、さほど大したものではない。

古くから言われている。
「優れた戦士は、過酷で流血の多い戦闘をせずに勝利を収め、
そのために知恵や勇敢さの名声を得ることはない。
戦わずして勝つのは、敵がすでに敗北の種を自ら蒔いているからである。」

さらに、巧みな兵士は、安全な態勢にあるとき、
敵を攻撃すべき瞬間を決して見逃さない。

勝利する軍は、まず勝利を確実にしてから戦いを求める。
敗北する軍は、幸運に頼って戦う。

巧みな将軍は「道」を固く守り、「法」を uphold( uphold = 守り通す、 uphold the Law = 法を厳格に実行する)して、戦いの帰趨を掌握する。

戦争の法則には次のような段階がある。
第一に「度」(基準)、第二に「量」(測定)、第三に「数」(集計)、
第四に「称」(比較)、第五に「勝」(勝敗の予測)。

「度」とは土地の測量、
「量」とはその土地の生産量、
「数」とは人口の集計、
「称」とはそれらの比較・評価、
そして「勝」とは、これらに基づく勝敗の予測である。

勝利する軍と敗北する軍の差は、
はかりにかけたとき、梁(はり)と羽毛ほどの違いがある。
勝利する軍の攻撃は、長くせき止められた洪水が谷底へと奔流するようなものである。

これが「軍形」――戦闘隊形の原理である。


第五篇 兵勢(軍勢の活用)

孫子曰く――

大軍を統率することは、少数を指揮するのと同様に可能である。
なぜなら、細かく部隊を分割すればよいからだ。

戦場で大軍を指揮することも、少数部隊と同様に可能である。
太鼓・鐘・旗[7]を用いればよい。

正兵(常態)と奇兵(変態)を巧みに組み合わせれば、
軍は確実に敗北を免れる。

敵を砕くのは、その強弱を知り、
真実と欺瞞を巧みに用いることであり、
それはまるで磨石(石臼)が卵を砕くようなものである。

また、戦いにおいては、
正兵で敵を引きつけ、奇兵でこれを打ち破る。[8]

巧みに運用された奇兵は、
天地のごとく永遠であり、
潮汐(ちょうせき)や川の流れのように絶え間なく、
日月のように常に交代し、
四季のように巡り来る。

音には五音(ごおん)しかないが、組み合わせれば無数の旋律が生まれる。
色には五色しかないが、混ぜ合わせれば無限の色調が現れる。
味には五味しかないが、混ぜ合わせれば舌が識別しきれないほどの風味が生まれる。[9]

戦いには正・奇の二つの兵力しかないが、
その変化は無限である。
正奇の相互転換は車輪の如く、始めもなく終わりもない。
これは誰もが解き明かせぬ奥義である。

兵士の勢いは、岩を押しのける激流の如し。

鷹が獲物を一閃のうちに砕くような、
絶妙なタイミングで一撃を加えよ。

ゆえに、優れた戦士の気迫は恐ろしく、
その機会は突然訪れる。
それは張り詰めた弓の弦が、
引き金の一触で放たれるようなものである。

戦場の混沌と騒乱の中でも混乱はなく、
激戦の最中でも陣形は堅固で崩れない。

訓練と統制が完璧なら、あえて混乱を演じることができる。
真に勇敢なら、あえて怯えているふりができる。
真に強ければ、あえて弱そうに見せることもできる。

混乱は細分化によって演じ、
恐怖は士気の巧みな操作で見せかけ、
弱体は陣形で装う。

敵を動かすには、さまざまな陣形を取って、
敵がそれに追随せざるを得ないように仕向ける。

敵に利益のある地点を見せれば、必ずそれを取ろうとする。
そこで敵を誘い出し、動き出したところを襲撃する。

ゆえに、優れた戦士は、兵士たちの技量に全面的に頼らず、
「勢い」から勝利を引き出す。
彼は慎重に機会を選び、後は戦場の流れに任せるが、
一旦機会や優位が現れれば、それを極限まで活かす。

まるで平地では動かない丸太や岩が、
傾斜に置かれると、次第に加速して転がり落ちるように、
機会を待ち、機会が来れば即座に行動せよ。

将軍が巧みであれば、兵士たちの勢いは、
高山の頂から転がり落ちる丸石のごとき衝撃力を持つ。


第六篇 虚実(弱みと強み)

孫子曰く――

戦場に先んじて到着し、そこで敵の到来を待つことは、
自軍の力を温存することである。

遅れて慌てて敵を迎えに行くことは、
自軍を疲弊させることである。

優れた戦士は、敵に自軍のところへ来させ、
敵に自軍を動かされることはない。

見せかけの利益を提示して敵を不利な位置に誘い込み、
障害物を設けて、敵が自分にとって脅威となる行動を取れないようにする。

敵が快適な陣営で休息しているなら、妨害せよ。
敵が豊かな補給に満ちているなら、その補給線を断て。
敵が悠然と攻撃を待っているなら、強制的に動かせ。

これは、敵のいないところに現れ、
予期せぬ地点を襲撃することで可能となる。

敵のいないところに行けば、千里の行軍も疲れることはない。

敵が守っていない地点を攻撃すれば、
必ずこれを占領できる。
ただし、防御する側としては、
攻撃されそうもない場所でも強固に備えなければならない。

巧みな攻撃を仕掛ける者に対しては、
敵はどこを守るべきか分からない。
巧みな防御をする者に対しては、
敵はどこを攻めるべきか分からない。

攻撃の奥義は、形や音のように感覚で捉えられるものではないため、
容易には理解できない。
しかし一度その奥義を会得すれば、
敵を完全に掌握できる。

我々が攻撃すれば敵は防げず、
なぜなら我々は敵の弱点を突くからである。
我々が退却すれば敵は追えず、
なぜなら我々はあまりに迅速だからである。

また、戦いたいのに、敵が高城深濠の内に悠然と籠っている場合は、
敵が必ず援軍を出さざるを得ない別の地点を攻撃せよ。

戦いたくないときは、防備の薄い線を占領し、
敵が攻撃をためらうように、
常に不確定な状態を保っておけ。

陽動を仕掛け、敵の動きを惑わせることで、
我々は一点に集結し、敵を分割させることができる。

我々は一体となり、敵は十に分かれる。
十に分かれた敵を、一体となった我々が攻撃する。
そうして我々は多数となり、敵は少数となる。
そして兵力の優位性こそが、戦力の経済性を生む。

攻撃地点は極秘にせよ。
敵がどこを攻撃されるか分からなければ、
あらゆる場所に備えざるを得ず、
どこも弱体化する。

敵が前線を強化すれば後方が弱まり、
右翼を強化すれば左翼が弱まり、
左翼を強化すれば右翼が弱まる。

いたるところに備えることは、
いたるところが弱くなることである。
敵は防御範囲の拡大によって弱体化し、
我々は相対的に強くなる。

攻撃地点と日時を定めれば、
たとえ敵が百里(約400km)離れていても、
これを打ち破ることができる。

地形や機会が把握されていなければ、
前衛は後衛を援護できず、
左翼は右翼を助けられず、右翼も左翼を助けられず、
後衛も前衛を援護できない。
戦場では、部隊同士が80里(約320km)離れていることもあり、
4~5里(約16~20km)などはむしろ近距離である。

呉の兵[10]は越の兵より少ない。
しかし、兵力の多寡が必ずしも勝敗を決めるわけではない。
ゆえに、我々は勝利を得ることができる。

敵が多数であっても、その兵力の優位を発揮させないよう妨げ、
その作戦意図を突き止めよ。
挑発して敵軍の状態を探り、
陽動してその陣地の強弱を見極めよ。
翼をぱたつかせて、敵の余裕の有無を暴露せよ。
継続的な陽動と機動により、
敵に「捉えがたい存在」という印象を与えよ。
そうすれば、間諜や策略もその幻影を払拭できない。

将軍は敵の布陣に応じて自らの策を練り、
軍を動かす。
だが、一般兵卒には将軍の意図は理解できない。
彼らは勝利の兆しは見ても、
その手段を知ることはできない。

ある戦略で勝利したとしても、
それを繰り返してはならない。
状況に応じて戦略を変化させよ。

軍勢は水に例えられる。

水は高きを避け、低きを求め、
軍は強きを避け、虚(弱み)を突く。

水の流れは地形に従って変わるがごとく、
勝利は敵の状態に応じて得られる。

水の形は定まらないが如く、
戦争の精神も固定的ではない。

敵の変化に応じて自らの戦術を変化させ、
戦いの帰趨を掌握する将軍は、
「戦の神」と呼ばれるにふさわしい。

五行(木・火・土・金・水)[11]には固定的な優劣はなく、
四季は巡り、
昼の長短は変わり、
月は満ち欠ける。
戦いにもまた、固定的なものはない。

第七篇 軍争(戦闘の機先)

孫子曰く――

軍事行動の一般的な手順は次のとおりである。
将軍が君主から命令を受け、軍を招集し、士気を統一して戦場に出る。

軍争――戦場における機先を制すること――ほど難しいものはない。
その難しさは、時間と距離の計算、および逆境を有利に転じる能力にある。

利益を見せかけて敵を遠回りさせ、
自軍が後から出発しながらも先に到着することができれば、
それは機動戦の達人である。

軍全体の行動は有利をもたらすが、
群集の衝突は危険を伴う。

全軍を一度に動かして敵に勝とうとしても、
目的を達成する時間がないこともある。
先遣隊だけを急がせて主力を置き去りにすれば、
輸送が途絶える。
兜や鎧を捨て、昼夜を問わず倍速で行軍し、
二倍の仕事をさせ、百里(約400km)離れた地で敵と戦えば、
将軍自身が危機にさらされる。
なぜなら、健脚な者だけが先に着き、疲れた者は後方に落ち、
実戦に使えるのは全軍の十分の一にすぎないからだ。

五十里(約200km)の強行軍で利益を図ろうとすれば、
先鋒の将は敗れ、兵の半分しか到着しない。

三十里(約120km)の強行軍でも、
使えるのは軍の三分の二にすぎない。

さらに、弾薬・食料・物資の不足もまた、災禍を招く。

隣国の君主の意図を知らない者は、外交を交わせない。
山林・谷間・沼地の地形を知らない者は、軍を率いる資格がない。
案内人を使わぬ者は、地形の利を活かせない。

動きを秘匿し、好機を待ち、
状況に応じて兵力を分割したり統合したりせよ。

攻撃は風のごとく速く、
行軍は森のごとく静かに、[12]
占領は火のごとく徹底的に荒廃させるべし。
防御は山のごとく揺るがず、
陣形は闇のごとく敵に通じてはならない。
行動は雷電のごとく迅雷疾風であれ。

戦利品の分配は広く行い、
占領地からの利益を兵士らに分け与えよ。

「曲がり道と真っ直ぐな道」の使い分けを理解する者が、勝利を収める。

これが軍争の方法である。

古代の兵書によれば、
声は遠くまで届かぬため太鼓と鐘を用い、
視界を助けるために旗を用いる。
鐘・太鼓・旗・幡(はた)を用いるのは、
全軍の目と耳を集中させるためである。

全軍が統一されれば、
勇敢な者だけが突撃することもなく、
臆病な者も勝手に後退することもない。
こうしてこそ、大軍を効果的に用いることができる。

夜戦では、火の手と太鼓を多用し、
昼戦では多くの旗と幡を用いて、
敵の目と耳を混乱させる。

こうして敵軍を威圧し、将軍の意気を挫く。

朝は士気が鋭く、
昼は怠惰になり、
夕には帰営したがる。
したがって、兵を巧みに用いる者は、
士気が最も高い朝を避け、
敵が倦怠に陥った時、あるいは帰還を急ぐ夕刻に攻撃する。

これこそが「気勢」の本質を活かす方法である。

混乱に秩序をもって対し、
騒がしさに静けさをもって対する――
これこそが、心をしっかり掌握している証である。

遠くから来る敵を待つ際は、
飢えに対しては満腹で応じ、
疲労に対しては休息で応じよ。
これこそが、自軍の力を温存する道である。

旗が風に翻り、陣形が整った敵には、
決して無理に攻撃してはならない。
辛抱強く好機を待て。

高地にいる敵、あるいは背後に高地を持つ敵には攻めかかってはならない。
偽って退却する敵を追ってはならない。
士気が高ぶった敵には攻撃を仕掛けてはならない。

敵が罠として利益を見せても、それに乗ってはならない。

敵がすでに陣営を撤収し、退却しようとしているときは、妨げてはならない。
敵を包囲する際は、逃げ道を残してやれ。
窮地に追い込まれた敵を徹底的に追撃してはならない。

これらが兵力運用の要諦である。


第八篇 九変(状況への柔軟対応)

孫子曰く――

一般的な戦争の進め方は、
将軍が君主から命令を受け、軍を招集することから始まる。

湿地や低地には陣を張るな。
近隣諸国とは友好関係を結べ。
遠国に長く滞在するな。
山岳や森林地帯では謀略を用いよ。
「死地」(退路のない窮地)に陥ったならば、決死で戦え。

避けねばならない道があり、
攻撃してはならない敵軍があり、
包囲してはならない城塞があり、
戦いを挑んではならない地形があり、
君主の命令でも従ってはならない場合がある。

「九変」を理解する将軍こそが、兵力を巧みに用いることができる。
逆に、これを理解しない将軍は、地形の知識があっても役に立たない。

軍を統率するにあたり、「九変」の術を心得ていれば、
「五利」(地形の五つの利益)の知識など、もはや意味をなさない。

賢者は利と害の両面をよく考え、
逆境の中に活路を見いだし、
勝利の日にも危険を見落とさない。

敵を屈服させるには、
あらゆる手段で損害を与え、
無益な行動を取らせよ。
また、利益で誘って近隣諸国の君主を、
思い通りに動かすこともできる。

ゆえに、戦いにおいては、
「敵が来ないだろう」と期待してはならない。
自らの備えを頼りとせよ。
「敵が我が城塞を攻めないだろう」と楽観してはならない。
守るべきところはすべて堅固に防御せよ。

将軍は、次の五つの危険な欠点に特に警戒せねばならない。

第一、無謀な突進――死を招く。
第二、過度の慎重さ――捕虜となる。
第三、短気――侮辱を受ける。
第四、形式主義へのこだわり――辱めを受ける。
第五、兵士への過度の思いやり――軍の機動を損なう。

この五つの欠点は戦争において災いをもたらす。
軍の潰滅や将軍の戦死は、すべてこれらに起因する。
ゆえに、これらを深く熟慮せねばならない。


第九篇 行軍(軍の移動)

孫子曰く――

山地における軍の配置と敵情観察に関しては、
山を越えたら谷間に陣を張り、安全な地点を選ぶべし。
軍を高所に配置し、敵が高地を占拠している場合は避けること。

河川に関しては、
渡河後は速やかに離脱せよ。
敵が渡河中であれば、水中で迎撃せず、
その半数が対岸に到達したところで攻撃せよ。
水辺にいる敵に向かって進軍してはならない。
軍を高所・安全な場所に置くこと。

敵が自軍と川の水源の間にいる場合、戦ってはならない。

沼地に関しては、
塩分を含んだ湿地は速やかに通過し、近くに留まってはならない。
やむを得ず沼地付近で戦わねばならない場合は、
背後に水・草・豊かな樹木のある場所を選ぶべし。

平地では、軍を便利な場所に配置し、
右後方に高台を置くこと。
前方は「死地」、後方は「生地(安全)」となる。
これが平原での戦いの要諦である。

黄帝(こうてい)は、これらの法則に従って四人の君主を打ち破った。

一般に、兵士は低地より高所を好み、
日陰より日向を好む。

兵士の健康を考慮し、
高くて日当たりのよい場所に陣を張れば、
病気を防ぎ、勝利を確実にすることができる。

高台がある場合は、その南斜面(日当たりのよい側)に陣を張り、
前方に高台を置くこと。
これにより兵士は恩恵を受け、地形の利も得られる。

上流で雨が降り、川の流れが濁って激しくなった場合は、
水が静まるまで渡河してはならない。

険しく通行不能な峡谷、
井戸のような閉ざされた場所、
隘路、
茂みや藪で覆われた通れない地、
湿地や泥沼、
落とし穴のある狭い道――
これらはすみやかに通過し、近づいてはならない。
敵をその近くに誘い込み、自分は離れて対峙せよ。
敵の背後にこれらの地形を置くようにすること。

軍の近くに断崖・池・沼・葦(あし)や蘆(よし)・
密林や大木があれば、
徹底的に捜索せよ。
これらは敵が伏兵を仕掛ける可能性が高い場所である。

敵が近くにいるのに静かならば、
天然の要害を頼りにして強固な状態にある。

遠くから戦いを挑んでくるのは、
自軍を前進させようとする罠である。

敵が広い平地に陣取っているのは、
何らかの特別な意図があるからだ。

林の中の木々が動けば、敵が進軍中である。
折れた枝や踏み荒らされた草は、
大軍が通過した証拠として警戒せよ。

鳥が突然飛び立つのは、伏兵の兆し。
獣が驚いて逃げるのは、
敵が複数方向から忍び寄っている証拠。

高くまっすぐ立ち上る塵は、戦車が来るしるし。
低く長く広がる塵は、歩兵が接近中。
ところどころ、細くて高い塵の柱は、
薪や飼葉を調達している証拠。
小さな塵の雲が行き来するのは、
敵が短期間の陣営を張ろうとしている兆し。

準備を整えつつ丁寧な言葉を使うのは、
敵が攻撃を仕掛けようとしているしるし。
大口を叩いて騎馬を前進させるのは、
退却しようとしている証拠。

軽車が野営地の両翼に進出するのは、
敵が戦闘を始めようとしている兆し。

何の相談もなく突然休戦を申し出るのは、
裏に別の企みがある証拠。

使者が頻繁に行き来し、部隊が整列し始めれば、
敵に何らかの動きがあると考えよ。

前進して突然後退するのは、
誘い撃ちの罠である。

敵兵が武器を杖代わりにしているのは、飢えている証拠。
水をくみに来た兵が川で飲んでいるのは、渇いている証拠。
目の前にある戦利品を無視するのは、疲弊している証拠。

ある地点に鳥が群がっているのは、その地が無人である証拠。
夜中に声が聞こえるのは、動揺している証拠。
軍中に混乱があるのは、将軍が軽んじられている証拠。
旗や幡が頻繁に変えられるのは、軍が不安定な証拠。

将校が怒っているのは、兵士が疲れて命令に遅れるためである。
馬を屠って食糧にしているのは、補給が尽きかけている証拠。
釜を壁にかけて兵が戻ってこないのは、資源が枯渇している証拠。

将軍が急に兵士に過剰に親しげになるのは、
兵の信頼を失っている証拠。
賞を与えすぎるのも、規律が崩れている証拠。
処罰が頻繁なのは、将軍が窮地に陥っている証拠。

最初に威圧し、後にへりくだる将軍は、
状況を理解していない。
謝罪や人質を差し出すのは、休戦を切望している証拠。

両軍が戦意に燃えながらも、
長時間にわたり neither advancing nor retiring(進まず退かず)で対峙している場合は、
最大の警戒と慎重さが求められる。

兵力の多寡は、必ずしも強さの証ではない。

たとえ猛攻が困難でも、
自軍が結束しており、敵の状態を把握していれば、勝利は可能である。

深く考えずに敵を軽視すれば、確実に捕らえられる。

将軍が兵士にとって未知の存在ならば、
処罰しても兵は服従しない。
服従しなければ、兵を有効に用いることはできない。

兵士が将軍を知っていても、
その処罰に従わなければ、使いものにならない。

思いやりがあれば服従が得られ、
威厳があれば統一が保たれる。
これにより勝利が得られる。

民衆が初めから服従を教えられていれば、
将軍の命令を尊重する。
初めから服従を教えられていなければ、
将軍の命令を尊重しない。

将軍と兵士が心を一つにしていれば、命令は必ず守られる。


第十篇 地形(戦場の地勢)

孫子曰く――

地形には次の六種類がある。

「通(つう)」:開けた平地。双方が自由に通行できる。
周囲の高地を速やかに占拠し、補給線を慎重に確保せよ。

「掛(けい)」:入りやすく出にくい地形。
敵が備えていなければ勝機あり。
だが、敵が備え、我軍が敗れて退却不能となれば、災禍となる。

「支(し)」:双方にとって先に動いた方が不利な地形。
敵が利益を示して誘っても進んではならない。
むしろ、わざと退却を装い、
敵が半ば出てきたところで攻撃せよ。

「隘(あい)」:狭い谷間。
速やかに占拠し、強固に守って敵の到来を待て。
敵がすでに占拠しており兵力が優勢なら、交戦を避けること。
だが、まだ占拠されていない部分があれば、そこを攻撃せよ。

「険(けん)」:険岨な高地。
速やかに日当たりのよい高所を占拠し、敵の到来を待て。
敵がすでに占拠しているなら、退却し、攻撃してはならない。

「遠(えん)」:敵と距離があり、兵力が同等の場合。
先に攻撃すれば不利となる。

以上が地形の六種類である。
将軍の務めは、これらを深く研究することである。

また、地形や機会の欠如ではなく、
将軍の無能から生じる六つの災難がある。

それは、「走(そう)」(敗走)、「弛(し)」(弛緩)、「陥(かん)」(窮地)、「崩(ほう)」(崩壊)、「乱(らん)」(混乱)、「北(ほく)」(全軍潰走)である。

同等の質の敵に、自軍の十倍の兵力で攻撃されれば、
兵は敗れて逃走する。

兵士が強くても将校が弱ければ「弛緩」が生じる。
将校が有能でも兵士が弱ければ「窮地」に陥る。

怒りに任せて勝手に敵に突撃し、
将軍の命令に従わない上級将校は「崩壊」を招く。

優柔不断で指導力に欠け、
部下の役割が不明瞭で、指示が矛盾している将軍は「混乱」を招く。

敵の実力を正しく評価できず、
少数で多数に、弱者が強者に挑み、
精鋭を先鋒に立てない将軍は、
軍を「全軍潰走」に導く。

この六つの過ちは敗北を招く。
将軍はこれらを深く研究せねばならない。

地形は勝利の奉仕者である。

敵を正確に評価し勝利を企画する能力、
高低差・制圧点・距離を的確に見極める眼――
これらが優れた将軍の資質である。

これらを理解する者は勝ち、
理解せぬ者は敗れる。

軍事的に勝利が確実ならば、
たとえ君主が戦うなと命じても戦え。
軍事的に敗北が確実ならば、
たとえ君主が戦えと命じても戦ってはならない。

将軍が自らの栄誉を求めず前進し、
罰を恐れず後退し、
ただ民衆の安寧と君主の利益のみを図るならば、
その将軍こそ国の至宝である。

優れた将軍は兵士を慈しみ、
わが子のように扱う。
その結果、兵士は深い谷底にも将軍に従い、
死地にも共に行く。

だが、兵士を過度にかばえば命令に背くようになり、
過度に気を遣えば使いものにならず、
過度に甘やかせば秩序を失う。
まるで甘やかされた子供のようになり、
戦力として用いられなくなる。

自軍を信頼しても、
敵を攻撃すべきでないことを知らない将軍は、
勝利を確信できない。

敵を攻撃すべき時を知っても、
自軍の実情を知らない将軍も、
勝利を確信できない。

兵士を信頼し、攻撃のタイミングを見極めても、
地形を理解していなければ、
勝利は不確実である。

賢い将軍は一たび行動を起こせば、
迷わず、途方に暮れることもない。

古くから言われている。
「己を知り、敵を知れば、百戦危うからず。」

また、時期と機会を把握し、地形を知れば、
完全な勝利は確実である。

第十一篇 九地(九つの戦場状況)

孫子曰く――

戦争の遂行においては、次の九つの地形状況がある。

「散地(さんち)」「軽地(けいち)」「争地(そうち)」「交地(こうち)」「衢地(くち)」「重地(じゅうち)」「氾地(はんち)」「囲地(いじ)」「死地(しち)」である。

常に、自国領内で戦うことを「散地」という。 [13]
敵国との国境から少し内側に入ったところを「軽地」という。
占拠した方が有利になる地を「争地」という。
双方が自由に行き来できる地を「交地」という。
三つの諸国が接する要衝で、これを先に制した者が天下を制する地を「衢地」という。
敵国の奥地に深く入り、背後に多くの要塞を抱える地を「重地」という。
山林・断崖・渓谷・沼地・湿地など、通行が困難な地を「氾地」という。
入口が狭く出口が曲がりくねっており、少数が多数を防ぐことができる地を「囲地」という。
遅れれば破滅が待つ、あるいは逃げ場のない窮地を「死地」という。

ゆえに、
散地では戦ってはならない。
軽地では長居してはならない。
争地を敵が占拠しているなら、攻撃してはならない。
交地では交通路を遮断してはならない。
衢地では諸国との外交を深めよ。
重地に至ったら、敵の物資を徴発・蓄えて軍の糧とせよ。
氾地は速やかに通過せよ。
囲地では謀略を用いよ。
死地では決死で戦え。

古の巧みな戦士は、常に敵の前衛と後衛を切り離し、
大小の部隊を分断し、
将校と兵卒の連携を断ち、
上と下の間に不信を撒き散らした。
敵を散らして集中させず、
たとえ集まっても統一性を失わせた。

勝機があれば動け。
勝ち目がなければ、その場にとどまれ。

もし「強大で統一された敵軍にどう対処すべきか」と問われれば、
こう答えるだろう――
「敵が最も大切にしているものを奪え。そうすれば、敵は我方の望み通りに動くだろう。」

戦いにおいて最も重要なのは「速さ」である。
速さこそが兵士の士気を保つ。
敵が準備する前に打ち、
予期せぬ方向から、敵の隙を突け。

外国での戦いについて言えば、
異国の地に置かれた兵士は結束し、敗北しにくい。
豊かな平野を略奪して軍を養い、
兵士の健康に気を配り、無駄に疲れさせてはならない。
心を一つにし、戦力を蓄え、計画は周到かつ秘密裏に立てよ。
逃げ場がなければ、兵士は死をも恐れない。

生きる望みがなければ、兵士は全力を尽くす。
絶望的な状況では、兵士は恐怖を忘れる。
退路がなければ、迷いは生じない。
敵地深く入り込めば、兵士は自然と団結する。
やむを得ぬ状況に陥れば、兵士は自ずと最善を尽くす。
命令がなくとも警戒し、
督促がなくとも従い、
条件が示されなくとも柔軟に応じ、
明示的な指示がなくても将軍を信頼して従う。

占い・吉凶の噂を禁じ、
兵士の疑惑を取り除け。
そうすれば、最期の瞬間まで心は一つである。

兵士に富を与えぬのは、金銭が悪だからではない。
長寿を許さぬのは、長生きが悪いからではない。
苦難と危険こそが、兵士の本来の運命なのである。

攻撃の命令が出たとき、
座っている兵の襟が涙で濡れ、
横たわる兵の頬を涙が伝っても、
いったん死地に陥れば、彼らは楚(そ)や媯(き)の勇士のような勇気で戦う。

兵士の使い方は、常山(じょうざん)の蛇のようであれ。
頭を打てば尾が反撃し、
尾を打てば頭が反撃し、
胴体を打てば頭と尾が同時に襲いかかる。

「人間をこのような蛇のように動かすことは可能か」と問われれば、
答えは「可能である」という。
呉(ご)と越(えつ)の民は互いに憎み合っているが、
同じ舟で川を渡っている最中に嵐に遭えば、
まるで両手のように助け合う。

馬をつなぎ、戦車の車輪を泥に埋めても、
逃げることはできなくなるわけではない。
真の勇気と一体感は、優れた統率によってのみ生まれる。

弱者も強者も最大の力を発揮するのは、
地形を巧みに活用したときである。

巧みな将軍は、軍をまるで他人の手を引くように導くことができる。
なぜなら、彼らを絶体絶命の状況に置くからである。

将軍は冷静で、その思惑を悟らせず、公正かつ慎重でなければならない。
将校や兵士には自らの計画を明かさず、
新たな作戦や変更についても誰にも伝えない。
陣地を頻繁に移し、予測不能な迂回路を取ることで、
その意図を敵に悟らせない。

将軍は、まるで屋根の上に登った者の梯子を外すように行動する。
兵士を戦場に集め、敵国の奥深くまで侵入してから、
初めて作戦を明かす。
羊の群れを導くように、軍をあちこちに動かし、
どこへ向かうのかを誰にも知らせない。

ゆえに、将軍は軍を集め、
彼らを絶体絶命の状況に置かねばならない。

九地の特性、
状況に応じた戦略の適用、
人心の機微――
これらを深く研究せよ。

敵国の奥地に深く入れば結束が生まれ、
国境付近にとどまれば心は散漫になる。
故郷を離れ国境を越えれば、外部の干渉からも自由になる。

散地では兵士の心を一つにせよ。
軽地では部隊を固くまとめよ。
争地では敵の背後を狙え。
交地では防御を固くせよ。
衢地では諸国との関係を築け。
重地では補給に気を配れ。
氾地では長居するな。
囲地では退路を塞げ。
死地では、生存の望みがないことを兵士に示せ。

兵士の本性とは、
包囲されれば防ぎ、
追い詰められれば猛攻し、
敵が退却すれば追撃するものである。

他国の君主の野心を知らなければ、外交はできない。
山林・断崖・渓谷・湖沼・湿地を知らなければ、軍を率いることはできない。
案内人を使わなければ、地形の利を生かせない。
九地のすべてを知らなければ、軍事的支配は得られない。

卓越した将軍が強国を攻めるとき、
敵が兵力を集中できないように妨げる。
敵を威圧して、他国が連合して攻めてこないようにする。
他国に好意を求めず、他国の権利を尊重することもない。
自らに自信を持ち、敵を威圧する。

したがって、容易に城塞を陥とし、
敵国を服従させることができる。

賞罰や命令においては、
古来の形式にとらわれる必要はない。
全軍を一人の人間のごとく統率せよ。

命令は兵士を導くものであるが、
有利なことは示し、不利なことは隠すべし。

危機に陥ればこそ生き延びる道が開け、
死地からこそ活路が見いだされる。
危機に直面した軍こそが勝利を掴むのである。

敵の意図を知るには、まず敵の動きに同調せよ。
その意図が明らかになれば、
たとえ将軍が百里(約400km)離れていても、
一撃でこれを討つことができる。

戦争が宣言されたら、国境の関所を閉ざし、
通行証を破棄し、
敵の間諜の通行を遮断せよ。
国政も厳重に統制せよ。

敵の弱点を即座に突き、
敵が最も大切にしているものを特定し、
これを奪う計画を立てよ。

作戦は定石に従いながらも、
敵の状況に柔軟に合わせよ。

初めは乙女の如く慎み深く振る舞い、
敵に隙が生まれたら、
兎のごとく素早く飛び込め。

そうすれば、敵は防ぎようがない。


第十二篇 火攻(火を用いる戦法)

孫子曰く――

火を用いた攻撃には五つの方法がある。

第一は「軍営焼打ち」(宿舎を焼く)、
第二は「糧秣焼打ち」(食料庫を焼く)、
第三は「装備焼打ち」(武器・車両を焼く)、
第四は「倉庫焼打ち」(物資倉庫を焼く)、
第五は「部隊焼打ち」(兵士の密集した陣を焼く)。

火攻めは、適切な時に行わねばならない。
また、火攻めのための道具は常に備えておくこと。

火攻めに適した時期と日がある。
すなわち、天候が乾燥しているとき、
月が「箕(き)・壁(へき)・翼(よく)・軫(しん)」という二十八宿の位置にある日である。
これらは風の強い日とされる。

火災が引き起こす必然的な展開を予測し、
それに応じて行動せよ。
敵陣内で火災が発生したら、即座に外から攻め込め。
だが、敵兵が落ち着いて行動しているなら、待機し、攻撃してはならない。

火勢が最も強まった時に、機会を見て攻撃すべきか判断せよ。

機会が好ましいなら、
敵陣に自ら火を放ち、
敵内部での発火を待つ必要はない。

風上から火が起こった場合は、
風下から攻撃してはならない。

昼に吹き始めた風は長く続き、
夜に吹き始めた風はすぐにやむ。

五つの火攻めの特性を理解し、
暦を研究せよ。
火攻めで勝利を補強するなら、
その火は消し止められないものでなければならない。

水攻めで補強するなら、
その洪水は圧倒的でなければならない。

水は敵を孤立・分断できるが、
火は敵の陣営を焼き尽くす。
だが、勝利や占領が得られなければ、
敵はすぐに回復し、災禍が続く。
戦争は長引き、資金は枯渇する。

明君はこれを深く考え、
名将は常に最終目的を忘れてはならない。
利益が得られなければ動くな。
勝ち目がなければ兵を出すべからず。
国が危機に瀕していなければ戦ってはならない。

君主が一時の怒りで戦争を起こしてはならない。
将軍が個人的な憤りで戦ってはならない。

勝利が得られそうにないなら戦うな。
勝ち目があるなら動け。
勝ち目がないなら動くな。

怒りはやがて喜びに変わり、
激情もやがて冷める。
だが、一度滅ぼされた国は再建できない。
死んだ者は生き返らない。

ゆえに、古来よりこう言われている。
「明君は慎重であり、名将は注意深い。
そうしてこそ、国は安泰となり、軍は戦いに勝つ。」


第十三篇 用間(間諜の活用)

孫子曰く――

十万人の兵を動員し、百里(約400km)も遠征させることは、
日々千両の民衆・貴族の財産を消費する大規模な事業である。
国内外に騒動が起き、
運搬兵は行軍路で疲れ果て倒れ、
七十万[14] 家の生活が混乱に巻き込まれる。

何年も両軍が対峙しても、
決着は一日の勝敗にかかっていることもある。

ゆえに、僅かな爵位や俸禄を惜しんで間諜を使わず、
敵情を知らずにいることは、人道に反する行為である。
そのような者は将軍ではなく、
君主の助けにもならず、
勝利を導く者でもない。

明君・名将が行動し、勝利を収め、
他を圧倒することができるのは、
「事前に情報を得ている」からである。

この情報は、神仏への祈りや占いから得られるものではなく、
過去の経験や計算から導かれるものでもない。
それは、人間――すなわち間諜――を通じてのみ得られるものである。

間諜には五種類ある。
「郷間(きょうかん)」「内間(ないかん)」「反間(はんかん)」「死間(しかん)」「生間(せいかん)」である。

この五つの手段を同時に用いれば、
その働きを誰も見破れない。
これを「神妙の糸(しんみょうのいと)」といい、
「君主の至宝」と称される。

「郷間」とは、敵地の住民で情報を提供する者。
「内間」とは、敵国官僚のうち我が方に味方する者。
「反間」とは、敵の間諜を買収して我が方に引き入れた者。
「死間[15] 」とは、偽情報を敵に持ち込み、
我が方の間諜を通じて広めさせるために送り込む者。
「生間[16] 」とは、敵地から戻って報告する者。

軍に関わる間諜には、最大の親切を尽くし、
報酬を授ける際は最も寛大であるべきである。
間諜に関することはすべて極秘事項である。

将軍に卓越した才覚がなければ、間諜は使いこなせない。
間諜の扱いには、仁愛と正義が必要である。
細心の注意を払わなければ、真実を得ることはできない。

実に、間諜の力は驚嘆すべきものである。
間諜を使わない局面など、存在しない。

機密事項が時期尚早に漏れた場合は、
それを漏らした間諜と、それを口外した者を処刑せよ。

軍を攻撃し、城塞を包囲し、特定の人物を暗殺しようとするときは、
まず敵将の名前、
その右腕[17]となる者たち、
君主に謁見者を引き合わせる者、
門番や哨兵の名前を調べよ。
そして、間諜にこれらを監視させよ。

我が国に潜入してきた敵の間諜を見つけたら、
金を与えて迎え入れ、
宿泊・世話を厚くし、
味方に引き入れよ。
こうして、敵の村民や官僚の間にも間諜を潜ませることが可能になる。

「反間」を通じて、
「死間」が敵に持ち込む偽情報を構築することができる。

この「反間」こそが、五種の間諜を最大限に活用する鍵である。
よって、特に厚遇せねばならない。

古の時代、殷(いん)の諸侯が権力を得たのは、
夏(か)の国に送り込んだ「伊摯(いし)」によるものであった。
同様に、楚(そ)の建国も、
呂牙(りょが)が商(しょう)の民の中に潜んだことによる。

ゆえに、明君・名将は、最も賢い者を間諜として用い、
必ず偉大な功績を挙げる。
間諜は軍にとって不可欠の存在である。
軍の行動は、間諜にかかっているのである。

呉子の言説


序文

呉子(ごし)は、学者の衣をまとっているものの、戦いの術に長けた人物であった。

あるとき、魏の君主・文侯(ぶんこう)が彼のもとを訪れ、こう言った。

「私は平和を愛し、軍事など気にかけぬ者である。」

すると呉子は答えた。

「お方の行動こそ、お心の内を如実に物語っております。
なぜ、そのお言葉がお心のままを語らぬのでしょうか?

冬は暖かくならず、夏は涼しくもならないにもかかわらず、
四季を通じて革や皮を仕立て、
赤漆を塗り、豹や象の文様をほどこしておられます。
また、二十四[18]尺(約5.5メートル)の戈(か)、十二尺(約2.7メートル)の矛(ほこ)、
門を埋めるほど大きな革張りの戦車、
装飾を施した車輪、皮革で覆った車軸――
これらは目にも美しくなく、狩りにも不便です。
いったい、どのような目的でおつくりになられるのでしょうか?

しかし、こうした戦具を備えていても、
将が有能でなければ、
抱卵中の雌鶏がアナグマに挑んだり、
子を抱えた犬が虎に立ち向かったりするようなものです。
戦う気迫はあっても、結末は死あるのみです。

昔、成桑(せいそう)という君主は徳を重んじ、軍事を捨てたため、国を失いました。
また、有扈(ゆうこ)という君主は兵数に頼り、戦いを好んだため、王位を追われました。

ゆえに、明君はこれらをよく考え、
国内に学問と徳を奨励し、
外からの戦いに備えねばなりません。

敵の前にためらうことは義にかなわず、
戦死者を嘆くことは、真の仁とは言えません。」

これを聞いた文侯は、自ら席を敷き、妻に杯を捧げさせ、
呉子を祭壇の前で将軍に任じた。

その後、呉子が西河(せいが)を守って諸国と戦った大戦は七十六度に及び、
そのうち六十四度は完全な勝利、残りは決着がつかなかった。
魏の国は四方に千里(約400km)も勢力を広げたが、
これはすべて呉子の徳によるものであった。


第一章 治国(国家の統治)

呉子曰く――

昔の偉大な君主は、まず自らの家臣を鍛え、
その後で辺境の諸侯にもその恩恵を及ぼした。

「四つの不和」がある。

国に不和があれば、決して戦ってはならない。
軍に不和があれば、陣営を移してはならない。
陣営に不和があれば、攻撃してはならない。
戦列に不和があれば、決戦を求めてはならない。

ゆえに、偉大な事業を民に求めようとする賢明な君主は、
まず民の間に調和を築かねばならない。

人の進言を軽々しく信じず、
まず祭壇にその事を諮り、
亀甲占い(きこうせんぼく)[19] をもって天意を伺い、
時節をよく考えよ。
すべてが順当であれば、その事業に着手せよ。

もし民が、「我が君主はわれらの命を大切にし、
戦死を何より嘆かれる」と知れば、
危急の際、兵士たちは進んで戦い、
戦死こそ栄誉とし、
逃げ延びることは恥とするだろう。

呉子曰く――

「道(どう)」はただ一つの正しい道に従わねばならない。
義(ぎ)こそが功績と成就の根本である。

謀略の目的は、損失を避け、利益を得ること。
統治の目的は、事業を守り、国家を保つこと。

道を離れ、義に背く事業は、
たとえ強大な者であっても必ず破滅する。

ゆえに、賢人は道を守って秩序を保ち、
義をもって国家を治め、
慎み深く行動し、仁をもって民を導く。

この四つの徳――道・義・慎・仁――を実践すれば繁栄し、
怠れば衰える。

昔、成湯(せいとう)が夏の桀(けつ)を破ったとき、夏の民は喜び、
周の武王(ぶおう)が殷の紂王(ちゅうおう)を討ったとき、殷の民は動揺しなかった。
これは天命と人心が一致したからである。

呉子曰く――

国家を治め、軍を率いるには、
礼(れい)を教え、義を励まし、恥の心を養うことが必要である。

恥の心を持てば、
兵力に余裕があれば果敢に攻め、
少数であっても最後まで守り抜く。

攻めれば勝つことは容易だが、
守って勝つことは難しい。

天下の戦う民の中で、
五度勝った者は疲弊し、
四度勝った者は貧窮し、
三度勝った者は覇権を握り、
二度勝った者は国を興し、
一度の勝利で天下を取った者もいる。

多くの勝利によって天下を握った者は稀であり、
勝利によって国を失った者は数多い。

呉子曰く――

戦争の原因は五つある。

第一に野心、第二に利益、第三に積もりに積もった憎悪、
第四に内乱、第五に飢饉。

また、戦争の性質も五つある。

第一に「義戦」(正義の戦い)、
第二に「強戦」(力による戦い)、
第三に「怒戦」(復讐の戦い)、
第四に「暴戦」(専横な戦い)、
第五に「逆戦」(不義の戦い)。

暴政を防ぎ秩序を回復するのは「義戦」、
兵数に頼って攻めるのは「強戦」、
怒りに任せて旗を翻すのは「怒戦」、
礼を捨て利を貪るのは「暴戦」、
国が混乱し民が疲弊しているのに私利を図り大軍を動かすのは「逆戦」である。

この五つの戦いには、それぞれ克服する道がある。

義戦は礼によって、
強戦は仁によって、
怒戦は言葉(説得)によって、
暴戦は謀略によって、
逆戦は戦略によって克服される。

文侯が尋ねた。

「私は軍を統べ、人物を評価し、国を強くする道を知りたい。」

呉子が答えた。

「古の明君は、君臣の礼を重んじ、
上下の儀礼を定め、
官吏と民を調和させ、
風俗に即した教育を施し、
有能な者を登用して、未来の難局に備えた。

昔、斉の桓公(かんこう)は五万人の兵を率いて諸侯の長となり、
晋の文公(ぶんこう)は四万の勇士を先鋒に立てて志を遂げ、
秦の穆公(ぼくこう)は三万の無敵の兵を集め、隣国を服従させた。
ゆえに、強国の君主は民を思いやり、
勇猛で気概ある者を集めて部隊を編成すべきである。

戦いを好み、勇気と忠誠を示したい者を一団とせよ。
高地を駆け登り、長距離を疾走できる軽足な者を一団とせよ。
家柄を失い、上役の前で功名を立てたい者を一団とせよ。
城を捨てたり職務を放棄したりして、その過ちを償いたい者を一団とせよ。

この五つの部隊こそ、軍の精鋭(花)である。
このような兵三千人があれば、
内から出れば包囲を破ることができ、
外から入れば城塞を陥とすことができる。」

文侯が再び尋ねた。

「戦列を整え、防御を固くし、確実に勝てる攻撃の方法を知りたい。」

呉子が答えた。

「百の言葉より、一つの眼で見るがよい。
しかし、賢者を高位に置き、愚者を下位に置けば、
戦列はすでに整っている。
民が財産の心配をせず、役人を慕えば、
防御はすでに固い。
すべての臣下が君主を誇りとし、隣国を軽蔑していれば、
戦いはすでに勝っている。」

あるとき、文侯が家臣を集めて国政を議論し、
誰も文侯に及ばないほど賢明であったため、
退出するとき、顔を喜びで満たしていた。

すると呉子が進み出て言った。

「昔、楚の荘王(そうおう)が家臣と議論したとき、
誰も王に及ばぬほど賢明であった。
ところが荘王は退出時に顔を曇らせた。
申公(しんこう)が『なぜお顔を曇らせるのですか?』と尋ねると、
荘王はこう答えた。

『私は、天下には必ず聖人がいて、どの国にも賢人がいると聞いた。
良き助言者は国家の基盤であり、覇業の友である。
今、この私に匹敵する者が家臣の中にいないということは、
楚の国は危ういということだ。』

今、荘王が憂えた同じ状況で、
我が君が喜んでいるのを見ると、
私は内心、憂慮に堪えません。」

これを聞いて、文侯は心の底から不安を感じた。


第二章 料敵(敵情の把握)

文侯が呉子に言った。

「晋は西から、楚は南から、趙は北から、斉は東から脅かし、
燕は後方を遮断し、韓は正面に布陣している。
このように六国の軍に四方を囲まれ、我が国の状況は極めて危うい。
私の憂いを晴らしてくれるだろうか?」

呉子が答えた。

「国家の安泰の道は、まず警戒にある。
我が君がすでに危機感を持っておられるなら、
災いはまだ遠い。

六国の習性を述べよう。

斉の軍は重厚だが実がなく、
晋の兵は散漫で各自が勝手に戦い、
楚の軍は秩序があるが持久力に欠け、
燕の兵は守備は堅いが攻撃性がない。
三晋(韓・魏・趙)の軍は統制は取れているが、使えない。

斉の気質は頑固で、国は豊かだが、
君主も官吏も驕り高ぶり、民を顧みない。
政治は緩み、賞罰は不公平で、
一陣営に二つの心がある。
前衛は厚いが後衛は弱く、
重厚ながらも不安定である。
これを攻めるには、兵力を三つに分け、
三方から脅かせば、前衛を崩せる。

晋の気質は強靭で、地勢は険しく、政治は堅固、
賞罰は公正で、民は屈せず、皆、戦う気概がある。
ゆえに分断されても、各自が戦う。

これを破るには、まず利益で引き離し、
兵士が利に目がくらんで将軍を裏切るように仕向ける。
その後、その混乱に乗じて追撃し、
伏兵を設け、好機を捉えて将軍を捕らえる。

楚の気質は弱く、国土は広いが、
政治は弛緩し、民は疲弊し、
軍は秩序はあるが持久力がない。

これを破るには、陣営を急襲して混乱させ、
士気を挫き、
ゆっくり前進し、素早く退却して疲弊させ、
本格的な戦いを避けよ。

燕の気質は素直で、民は慎重、
勇気と義を好み、謀略を使わない。
ゆえに守備は堅いが、大胆さに欠ける。

これを破るには、接近して圧迫し、
挑発しては離れるを繰り返し、
すばやく動き、背後に回って
将校を混乱させ、兵士を恐怖に陥れよ。
戦車と騎馬は慎重に行動し、正面衝突を避けよ。
そうすれば将軍を捕らえられる。

三晋は中原の国であり、気質は平和で政治も公正。
だが、民は戦いに倦み、
兵士は訓練されているが将校を軽んじ、
給与も少なく、犠牲を厭う。
ゆえに統制は取れているが、使いものにならない。

これを破るには、遠くから脅かせ。
敵が総攻撃をかけてきたら守り、
退却すれば追撃して疲れさせよ。

どの軍にも、香炉(こうろ)を片手で持ち上げるほどの力を持ち、
軍馬より速く走り、
敵の旗を奪い、将軍を討つ勇士がいる。
こうした者を選抜し、特別に遇し、
その家族をも厚く扱えば、
彼らは軍の命脈となる。

五兵[20] (弓・矛・戟・剣・盾)を巧みに操り、
機敏・強靭・勇敢で敵を恐れぬ者には、
爵位と勲章を与え、勝敗を決する役目を負わせよ。
その家族を養い、賞で励まし、罰で戒めよ。
彼らがいれば戦列は堅固となり、士気は高まる。

このような者をよく選抜すれば、
その倍の敵をも破ることができる。」

文侯が言った。

「よきかな!」

呉子曰く――

「敵情を見極めるには、
占いを待たずとも攻めてよい八つの状況がある。

第一、強い風と寒さの中、
早朝から氷や川を渡って苦難を乗り越えてきた敵。

第二、猛暑の中、
絶え間なく行軍し、飢え渇き、遠方を目指している敵。

第三、長期間、同一地に陣を張り、
食糧が尽き、農民が怒り、
災害が相次ぎ、将校が信頼を失っている敵。

第四、資金が枯渇し、薪や飼葉が不足し、
長雨が続き、略奪したいが略奪先もない敵。

第五、兵数が少なく、水が不足し、
疫病が蔓延し、援軍が期待できない敵。

第六、夜になってもまだ遠く、
将兵が疲弊・恐怖し、
食事もなく、鎧を脱いで休んでいる敵。

第七、将軍の統率力が弱く、
官吏が不正で、兵士が動揺し、
軍が混乱し、援軍もない敵。

第八、戦列が未完成、陣営も未整備、
高地を登っている、険路を通過中、
あるいは半ば隠れ、半ば露わになっている敵。

このような敵は、ためらわず攻めてよい。

逆に、占いを待たずとも避けねばならない六つの敵がある。

第一、広大で豊かな国土と、大きな富を持つ国。

第二、官吏が民を思いやり、
厚く恩恵と賞を与える国。

第三、賞罰が公正で、
時機を見てのみ行動する国。

第四、功績に応じて爵位を与え、
賢人を登用し、能力を重んじる国。

第五、兵士が多く、武器が優れている国。

第六、四方に援軍があり、
あるいは強力な同盟国を持つ国。

このような敵が前述の要素に優れているなら、
ためらわず避けねばならない。
『よしと思えば進め、難ありと知れば退け』とあるとおりである。」

文侯が尋ねた。

「敵の内情を外見からどう知るか?
進軍の様子から陣営の態勢をどう見抜くか?
勝敗をどう判断するか?」

呉子が答えた。

「敵が怒涛のごとく無謀に押し寄せ、
旗が乱れ、兵馬が頻繁に後ろを振り返るなら、
十倍の敵でも、一兵で打ち破れる。
必ず混乱に陥る。

諸侯がまだ集まっておらず、
君臣の調和が取れず、
塹壕も掘られず、規律も定まっていないとき、
軍が動揺し、
進むことも退くこともできない――
そのような軍は、倍の兵力で攻めれば、
百戦しても敗れることはない。」

文侯がさらに尋ねた。

「敵を確実に破るには?」

呉子が答えた。

「敵の実情を確実に掴み、弱みを素早く突け。
遠方から到着したばかりで戦列が整わぬ敵、
食事の最中で配置が終わらぬ敵、
慌ただしく動き回っている敵、
地形をうまく使えていない敵、
好機を逃した敵、
長距離行軍で後方が遅れ、休息していない敵――

川を渡っている途中の敵、
狭く険しい道を行く敵、
旗が混乱している敵、
頻繁に陣形を変える敵、
将軍と兵士の間に不和がある敵、
恐怖に陥っている敵――

これらは、精鋭で攻め、
残りの軍は分けてその後を追わせよ。
ためらわず、即座に攻撃すべきである。」

第三章 治兵(軍隊の統制)

文侯が言った。

「戦争における最も重要なことは何か?」

呉子が答えた。

「『軽(けい)』には四つの性質があり、『重(じゅう)』には二つの性質があり、
そして『信(しん)』を明らかに理解せねばならない。」

文侯が尋ねた。

「それらとは何か?」

呉子が答えた。

「道が平坦であれば、馬は軽やかに走る。
馬が軽やかであれば、戦車は滑らかに進む。
戦車が滑らかに進めば、兵士は乗り降りに苦労しない。
兵士が自由に動ければ、戦いはうまく進む。

難所と平坦な道を知れば、馬は軽やかになる。
馬を適切な間隔で飼えば、戦車は速く進む。
戦車の車軸に油を十分に注げば、騎乗者は素早く移動できる。
矛が鋭く鎧が堅ければ、兵士は戦いを容易にできる。

進軍の際には、あらかじめ大きな褒賞を示し、
退却の際には厳罰を科し、
その賞罰を公平に行わねばならない。

これらをよく理解する者が、勝利の主(あるじ)である。」

文侯がさらに尋ねた。

「軍が勝利を勝ち取るには、どのような手段が必要か?」

呉子が答えた。

「勝利の基盤は、善政にある。」

文侯が再び尋ねた。

「それは兵数によって決まるのではないのか?」

呉子が答えた。

「もし法令が不明瞭で、
賞罰が不公正であり、
鐘を鳴らしても止まらず、太鼓を打っても進まないならば、
たとえ十万人の兵がいても、何の役にも立たない。

秩序のある軍は、静かにして礼を守り、
動けば威厳がある。
攻撃には誰も抗しえず、
退却すれば追撃もされない。
動きは規律に従い、左右への移動も合図に従う。
戦列が分断されても隊形を保ち、
散らされても統制を失わない。
順境・逆境を問わず結束し、
集められれば容易に分断されない。
使っても疲れず、
どのような状況に置かれても、天下のいかなる敵も抗しえない。
このような軍は、まさに『父とその子』のごとし。」

呉子曰く――

「戦場とは、屍体が山となる場所である。
必死の覚悟があればこそ生き延びられ、
生を望む心があれば死ぬ。
優れた将軍とは、
漏水する船に座る者、
あるいは燃え盛る屋根の下に横たわる者に似ている。
最も賢い者も彼には勝てず、
最も強者も彼の冷静さを乱せず、
敵の猛攻も彼には通じない。
なぜなら、逡巡(しゅんじゅん)こそ将軍最大の敵であり、
軍の災いは優柔不断から生まれるからである。」

呉子曰く――

「人が死ぬのは、技量が足りないか、未熟なためである。
ゆえに、戦いの第一は訓練である。
一人の戦いを知る者が十人を教え、
十人の熟練者が百人を教え、
百人が千人を、
千人が万人を、
そして万人が一軍を訓練することができる。

遠方から来る敵は待ち受けて近距離で討ち、
疲れた敵は整然と迎え撃ち、
飢えた敵には満腹の軍で対しよ。
戦列は円陣か方陣とし、
兵士は跪いたり立ったり、
進んだり留まったり、
右左へ移動したり、
前進・後退・集中・分散・密集・展開を、
合図に従って行う。

これらすべての変化を習得し、武器を適切に配分する。
これが将軍の務めである。」

呉子曰く――

「軍事訓練においては、
背の低い者には矛を与え、
背の高い者には弓と投石機を与え、
力のある者には旗と軍旗を、
勇敢な者には太鼓と鐘を、
弱々しい者には飼葉と食糧を、
知恵ある者には作戦の立案を任せるべきである。
同じ郷里の者は一団とし、
小隊や分隊は互いに助け合うべし。

太鼓を一打すれば、隊列を整え、
二打すれば、戦列を形成し、
三打すれば、食事を配り、
四打すれば、行軍の準備をし、
五打すれば、再度戦列を整える。
そして全軍の太鼓が同時に鳴れば、軍旗を掲げる。」

文侯が尋ねた。

「軍を進退させる際の作法は?」

呉子が答えた。

「『天竈(てんそう)』と『龍頭(りゅうとう)』は避けるべきである。
『天竈』とは、広大な谷の入口、
『龍頭』とは、大山脈の端である。

青龍(旗)を左に、白虎を右に、
朱雀を前方に、玄武(蛇と亀)を後方に置き、
北極星の旗を高く掲げれば、
兵士はその旗を目印とする。

出陣の際は風向きをよく見よ。
順風ならば、風に従って兵を進め、
向かい風ならば、陣を固めて風向きの変わるのを待て。」

文侯が更に尋ねた。

「馬をどのように扱うべきか?」

呉子が答えた。

「馬のいる場所は快適にし、
飼葉は適切なものを、適切な時を与えよ。
冬は厩舎を暖め、夏は日陰で暑さを避けさせよ。
毛は刈り、蹄(ひづめ)は丁寧に整え、
驚かせぬように注意し、
歩調を整え、進退の訓練を重ねよ。
馬と人が一心同体になってこそ、馬は使える。

鞍・轡・手綱・鐙(あぶみ)などは丈夫でなければならない。
初めから悪癖のない馬は、最後まで使える。
馬が空腹であれば善し、
腹が満たされていればその価値は下がる。
日が傾き道がまだ遠ければ、頻繁に下馬せよ。

兵士は働かせてよいが、
馬は慎重に扱って、
敵の急襲に備えねばならない。

これらをよく理解すれば、
天下どこへでも自由に行き来できる。」


第四章 将徳(将軍の資質)

呉子曰く――

「将軍とは、文武両道に通じた者である。
勇敢でありながらも思いやりのある者にのみ、
兵士を預けることができる。

世間一般では将軍に対して『勇敢さ』だけを求めるが、
勇敢さは将軍の資質の一つにすぎない。
無謀な勇敢さは思慮を欠き、
結果を顧みぬ突撃は、優れた将軍とは言えない。

将軍が深く考慮すべき五つの事がある。

第一に『理(り)』(道理・理性)、
第二に『備(び)』(備え)、
第三に『果(か)』(果断)、
第四に『戒(かい)』(警戒心)、
第五に『約(やく)』(簡素・簡潔)。

『理』があれば、大軍をも小部隊のごとく統率できる。
『備え』があれば、敵が門外にいても察知できる。
『果断』があれば、敵の前に死をも顧みない。
『警戒心』があれば、勝利後も初戦の如く慎重である。
『簡素』であれば、法令は少なくとも秩序が保たれる。

将軍は命令を受ければただちに出発し、
敵を打ち破るまでは帰還を口にしない。
これこそが将軍の務めである。

ゆえに、軍が出発した日から、
将軍は死においてのみ栄誉を求め、
不名誉な帰還を夢見ることはない。」

呉子曰く――

「戦いには四つの重大な要素がある。

第一に『気(き)』(士気)、
第二に『地(ち)』(地形)、
第三に『機(き)』(機会)、
第四に『力(りょく)』(戦力)。

百万人の兵力が保つ軍事的価値は、
ただ一人の人物――将軍の資質――にかかっている。
これを『気の影響』という。

道が険しく狭く、名高い山や要害があり、
十人が守れば千人を通すことができないような地勢を『地の影響』という。

間諜を巧みに送り込み、騎馬が敵陣を行き来して、
敵の兵力を分断し、君主と家臣を不和に陥れ、
上下が互いに不信を抱く――
その瞬間が『機の到来』である。

車の軸がしっかりし、船の櫂(かい)が整い、
兵士が訓練され、馬が鍛えられていれば、
これを『力の影響』という。

これら四つの要素を理解する者が、将軍の資格を持つ。
さらに、威厳・徳・仁・勇の四徳が必要である。
これらによって兵を率い、軍を鎮め、敵を畏怖させ、疑惑を払う。
命令があれば、部下はこれに背かない。
軍がいる所、敵は避ける。

この四徳が備われば国は強くなり、
欠ければ国は滅びる。
これが真の名将である。」

呉子曰く――

「太鼓と鐘は耳を引きつけ、
旗・軍旗・幡(はた)は目を惹き、
法令と刑罰は心に畏怖を植え付ける。

耳を惹くには音が明瞭でなければならず、
目を惹くには色が鮮やかでなければならない。
心に畏怖を与えるには、罰が厳格でなければならない。

この三つが整わなければ、
国はかろうじて存続しても、
敵に敗れることは確実である。
ゆえに、古くからこう言われている。
『この三つが備われば、将軍の命令に背く者はいない。
彼が命じれば、兵士は死をも顧みない。』」

呉子曰く――

「戦いの秘訣は、まず敵の将軍が誰かを知り、
その能力を判断することにある。
もし我方の作戦が敵将の行動に基づくものなら、
苦労せずに勝利を得ることができる。

敵将が愚かで軽信的なら、欺いて誘い出せる。
貪欲で名声を軽んじるなら、贈り物で買収できる。
計画なく無思慮に動くなら、疲れさせて窮地に追い込む。
上官が富み驕り、下士が貪り恨んでいるなら、互いに争わせる。
進退を迷い、兵士が信頼できるものがなく混乱している敵は、
驚かせて逃げ散らせるべきである。

敵が将軍を軽んじ、帰郷を望んでいるなら、
平坦な道を塞ぎ、険しく狭い道を開いておく。
そしてその到来を待ち、捕らえる。

敵の進軍が容易で退却が困難なら、
その到来を待って攻めかかれ。
進軍が困難で退却が容易なら、
圧力をかけて攻撃せよ。

湿地に陣を張り、水路がなく、
長く頻繁に雨が降っている敵軍には、
水攻めを仕掛けよ。

茂みと茨(いばら)に覆われた湿地で、
強い風が頻繁に吹く敵軍には、
火攻めを仕掛けよ。

長く陣を張って動かず、
将軍・兵士ともに油断し、警戒を怠っている敵には、
ひそかに近づき、奇襲をかけて捕らえよ。」

文侯が尋ねた。

「両軍が対峙しているが、敵将の名が分からない。
どのようにしてその人物を知ることができるか?」

呉子が答えた。

「身分は低くても勇敢で、軽装だが装備の整った者を用いよ。
彼には『利益を狙わず、ただ逃げるだけ』と命じよ。

その後、敵の追撃の様子を見よ。
もし敵がまず停止し、その後、整然と進軍するようなら、
秩序が整っている証拠である。

我軍が退却し、敵が追撃してくるが、
追いつけるのに追いつかないふりをし、
好機があっても気づかないふりをするなら、
その将軍は知恵者である。
このような敵とは交戦を避けるべきである。

逆に、敵軍が騒然としており、
旗や軍旗が乱れ、
兵士が勝手に動き回ったり留まったりし、
隊列が乱れて整っていない。
そして、好機を見つけては必死でそれを奪おうとするなら、
その将軍は愚か者である。
たとえ大軍であろうとも、これを捕らえることができる。」

第五章 応変(状況への対応)

文侯が尋ねた。

「強力な戦車、優れた馬、強く勇猛な兵士が、突然敵と遭遇して混乱し、隊列が崩れてしまったら、どうすべきか?」

呉子が答えた。

「戦いの一般的な方法は、昼間は旗・軍旗・幟(のぼり)・指揮棒(バトン)を用いて秩序を保ち、夜は銅鑼(どら)・太鼓・笛・笙(しょう)を用いることである。
合図が左に出れば左へ、右に出れば右へ進む。
太鼓が鳴れば前進し、銅鑼が鳴れば停止する。
笛一吹きは前進、二吹きは集合を意味する。
命令に背く者を斬り捨てれば、軍は統制され、服従する。
将校・兵士が命令を忠実に実行すれば、いかなる強敵も存在せず、いかなる要害も攻め落とせないものはない。」

文侯がさらに尋ねた。

「敵が多数で、我が軍が少数の場合はどうすべきか?」

呉子が答えた。

「広い平地ではその敵を避け、狭い隘路で迎え撃つべきである。
古くからこう言われている。
『一人が千人と戦うには、関所(関隘)に勝るものはない。
十人が百人と戦うには、険しい地勢に勝るものはない。
千人が万人を打ち破るには、難所に勝るものはない。』
少数の兵力が、銅鑼と太鼓を鳴らして突然狭路に現れれば、大軍といえども混乱に陥る。
ゆえに、『大軍は平野を望み、寡兵は隘路を求む』と書かれている。」

文侯が再び尋ねた。

「強大かつ勇敢な軍勢が、背後に山を控え、前に断崖を置き、右に高地、左に大河を擁し、深き濠と高き城壁を築き、兵器も豊富で、
退却は山の移動のごとく堅固で、進撃は暴風のごとく迅速、
食糧も豊富――
このような敵に対しては、長期にわたる防御は困難である。
このような場合、一体どうすればよいのか?」

呉子が答えた。

「これはまさに重大な問いである。
この勝敗は戦車や馬の力ではなく、賢人の戦略にかかっている。

千両の戦車と万騎の馬を、歩兵を加え、五つの軍に分け、
それぞれに異なる進軍路を与えるべきである。

五軍が異なる道を取れば、敵は困惑し、どの方面に備えればよいか分からなくなる。
もし敵の防御が強固で統一されているなら、急ぎ使者を送り、その意図を探れ。
もし敵が我方の提案に従えば、自ら陣営を撤収して退却するだろう。
しかし、もし使者を殺し、書状を焼いて応じないなら、五方面から分断して攻撃せよ。

勝っても追撃せず、敗れれば遠くへ退却せよ。
偽って退却する場合はゆっくりと進み、敵が接近してきたら素早く反撃せよ。

一軍で敵の前衛を牽制し、
もう一軍で背後を断ち、
残る二軍は口に銜え物(口を塞ぐもの)[20] をして、
敵の左右いずれかの弱みを急襲せよ。
このように五軍が交代で攻撃を仕掛ければ、勝利は確実である。

これが『強者を破る』戦法である。」

文侯が尋ねた。

「敵が接近して我軍を包囲し、退却しようとしても道がなく、
軍中に恐怖が広がっている場合はどうすべきか?」

呉子が答えた。

「その場合、我軍が多数で敵が少数なら、分断して急襲せよ。
敵が多数で我軍が少数なら、謀略を用い、機会をうかがえ。
しつこく機会を捉え続ければ、
たとえ敵が多数であっても、必ず服従させることができる。」

文侯がさらに尋ねた。

「険しい谷間で、両側が高山に挟まれたところで、
敵と遭遇し、敵が多数で我軍が少数の場合はどうすべきか?」

呉子が答えた。

「丘陵・森林・深い山中・広大な湿原で敵と遭遇したなら、
速やかに前進し、素早く退却し、ためらってはならない。
高山や深谷で突然敵と出くわしたなら、
先手を打って太鼓を鳴らし、即座に攻撃せよ。
弓兵・弩兵(いしゆみへい)を前進させ、
射撃し、捕らえよ。
敵の隊列の状態を観察し、混乱が見られれば、ためらわず攻め込め。」

文侯がまた尋ねた。

「両側が高山に挟まれた狭い隘路で敵と遭遇し、
進退いずれも不可能な場合はどうすべきか?」

呉子が答えた。

「これは『谷間の戦い』と呼ばれるもので、兵力の多寡は意味をなさない。
最も優れた将校を集め、敵に当たらせよ。
軽装で機敏かつ武装の整った兵士を先頭に立て、
戦車を分散させ、騎兵を四方に伏兵として配置せよ。
各伏兵の間隔は数里(数十km)離し、武器を見せないようにする。

そうすれば、敵は防御を固め、進退できなくなる。
そこで軍旗を高く掲げ、旗の列を示して山を離れ、平地に陣を張る。

敵は恐怖に陥るだろう。
その際、戦車と騎馬で挑戦し、休息を与えてはならない。

これが『谷間の戦い』の方法である。」

文侯がさらに尋ねた。

「湿地で水が溢れて戦車の車輪が泥に沈み、
車軸さえ水に浸かり、
戦車も馬も水に呑まれ、
舟も櫂もなく、進退不能になった場合はどうすべきか?」

呉子が答えた。

「これは『水戦』と呼ばれるもので、
戦車や騎馬は一時的に使用をやめるべきである。

高所に登り、四方をよく見渡せ。
そうすれば、水の広がり具合、深浅を正確に把握できる。
その上で、謀略を用いて敵を打ち破る。

もし敵が川を渡ろうとするなら、
その半ばで攻撃せよ。」

文侯がまた尋ねた。

「長雨が続き、馬が泥に沈み、戦車が動かず、
敵が四方から現れて軍が動揺している場合はどうすべきか?」

呉子が答えた。

「雨天や曇天の際は戦車を停め、
快晴・乾燥の際に行動を起こせ。
高所を求めて低地を避け、
強力な戦車を動かし、進退の道を慎重に選べ。
敵が突如として現れたら、ただちに追撃せよ。」

文侯がさらに尋ねた。

「我が畑や牧場が突然略奪され、牛や羊が奪われた場合はどうすべきか?」

呉子が答えた。

「無法な敵は恐れるべきであるが、まずは堅く守り、反撃してはならない。
夕暮れに敵が撤退を図るとき、
必ず重荷を背負い、恐怖に駆られている。
急いで帰宅しようとして連絡が途絶えるだろう。
そのときこそ追撃・攻撃すれば、必ず打ち破ることができる。」

呉子曰く――

「敵を攻撃し、城塞を包囲する際の方法は以下のとおりである。

外郭の建物を占領し、突入部隊が本丸にまで入ったなら、
敵の役人を味方に引き入れ、その武器を接収せよ。
決して、木を伐採したり、民家に乱入したり、
作物を刈り取ったり、六畜(牛・馬・羊・鶏・犬・豚)を殺したり、
倉庫を焼いたりしてはならない。
民衆に対して、我軍には残虐な意図がないことを示せ。
降伏を望む者には、受け入れて不安を取り除け。」


第六章 励士(士気の鼓舞)

文侯が尋ねた。

「もし刑罰が公正で、賞罰が公平であれば、それで勝利を得られるか?」

呉子が答えた。

「公正・公平に関するすべてを語ることはできませんが、
それだけで勝利を保証することはできません。

次の三つが整ってこそ、君主は民を信頼できるのです。
第一に、命令を聞けば喜び、
第二に、軍が召集されれば喜んで戦場へ赴き、
第三に、戦いの真っただ中で刀剣が交差しても、喜んで死を賭す者たちがいることです。」

文侯が尋ねた。

「それはどうすれば実現できるか?」

呉子が答えた。

「功績ある者を探し出し、登用・褒賞し、
まだ名声のない者も励ますことです。」

文侯はこの教えに従い、宮殿の庭園に三列の席を設け、重臣たちに宴を張った。
第一列には最も功績の高い者を座らせ、
最高の料理と貴重な器を供した。
第二列には中程度の功績の者を、
器の数もやや少なくした。
第三列には功績のない者を座らせ、
粗末な器のみを置いた。

宴が終わって皆が去った後、
宮門の外で、功績ある者の父母・妻・子らに位階に応じた贈り物をした。
さらに、毎年使者を派遣し、
国のために息子を失った者の父母を慰問し、
その功労を忘れないと示した。

こうした施策を三年間続けたところ、
晋が軍を率いて西河まで侵攻してきた。
魏の兵士たちはこれを聞くと、命令を待たず自ら武装し、
晋軍に襲い掛かり、出陣した兵は一万に上った。

文侯は呉子を呼び寄せ、言った。

「あなたが私に語った言葉は、まさにこの通り実現されたではないか!」

呉子が答えた。

「私はこう聞きました。
『人には偉大な者もいれば小なる者もおり、
魂には雄大なものもあれば弱いものもある』と。

試しに、功績のない兵五万人を集め、
私に晋国攻撃を命じてください。
もし失敗すれば、魏は諸侯の笑い者となり、
天下における権威を失うでしょう。
広い原野に凶悪な盗賊が一人隠れているとき、
千人の追っ手がいても、
ふくろうのようにきょろきょろし、
狼のように後ろを振り返りながら進む。
なぜなら、突然の襲撃を恐れているからです。

一人の決死の盗賊が、千人を恐怖に陥れる。
今、この五万の兵が『決死の盗賊』の如く奮い立てば、
晋を攻めるのに、何の恐れがあるでしょうか。」

これを聞いて文侯は同意し、さらに戦車五百両、騎兵三千騎を加えて晋軍を攻撃した。
その結果、晋軍は壊滅したが、これはすべて兵士の士気鼓舞によるものであった。

戦いの前日、呉子は全軍に命じた。

「本軍は、命令に従い、
敵の戦車・騎馬・歩兵をそれぞれ攻撃せよ。
戦車が敵の戦車を、騎馬が敵の騎馬を、歩兵が敵の歩兵を、
それぞれ捕獲しなければ、
たとえ敵軍を打ち破っても、功績とは認めない。」

このように命令が明確であったため、
魏の軍勢への恐怖が天下に響き渡った。

索引

A

  • 奇正(奇襲と正攻)の機動、31, 32頁
  • 進撃後に退却する行動は誘い撃ち、51頁
  • 五つの有利条件(五利)、45頁
  • 敵が強力な同盟国を持つ場合は戦争を避けるべし、91頁
  • 祭壇:呉子が将軍に任命された場所、77頁;重大事は祭壇に諮るべき、78頁
  • 野心:戦争の五つの原因の一つ、80頁
  • 伏兵の可能性が高い場所、49頁
  • 弾薬不足は災禍を招く、41頁
  • 将校の怒りの原因、51頁;戦うべき理由とはならない、69頁
  • 六畜(家畜):包囲戦ではこれを保護すべし、115頁
  • 謝罪:将軍が謝罪する意味、52頁
  • 弓兵:包囲戦での使用、25頁、注参照
  • 五軍:交代攻撃、111頁
  • 休戦:突如として休戦を望む意味、51頁

B

  • 軍旗:士気維持のため使用、9頁;昼戦で使用、43頁;
    旗が翻る地点への攻撃は避ける、43–44頁;
    旗の入れ替え、51頁;
    力ある者に任せよ、98頁;
    呉子の旗の役割論、104, 108頁
  • 兵営焼打ち、67頁
  • 指揮棒(バトン):昼戦で使用、108頁
  • 戦列(戦闘隊形)、28–30頁
  • 烽火:夜戦で使用、43頁
  • 獣の驚き:敵の密かな接近を示す、50頁

C

  • 戦車:必要数、20–21頁;更新費用、22頁;
    敵戦車の鹵獲には報奨あり、23頁;
    軽車の前進、50頁;
    巨大戦車、76頁;
    車軸への注油、94頁
  • 成湯(せいとう):夏の桀(けつ)を破る、79頁
  • 成桑(せいそう):徳を重んじ軍事を捨て国を失う、76頁
  • 桀(けつ):夏の暴君、79頁
  • 九変、44–46頁
  • 常山(じょうざん)の蛇の譬え、62頁
  • 戦争の十三篇(孫子)、17–74頁
  • 謀攻(戦略による攻撃)、25頁

D

  • 死地:58頁;死地での戦い、60頁;兵士が状況を認識すべし、64頁
  • 死間(偽情報を運ぶ間諜)、71, 72頁
  • 戦争宣言後の行動、66頁
  • 五兵の熟練者には勲章、88頁

E

  • 戦争の原因、80頁
  • 過度の慎重さ:将軍の五つの危険な欠点の一つ、46頁
  • 軍の統制、93–100頁
  • 降伏者の扱い、115頁
  • 投石機:背の高い者に任せる、98頁
  • 呉子の言説、75–119頁

F

  • 六つの兵の災禍、55頁
  • 安全な陣営地、47頁;巧みな陣地移動、63頁
  • 食糧:敵から調達、22頁;名将は敵地で兵を養う、23頁;
    馬を屠って食糧とする、51頁
  • 兵士の統率:秩序ある軍は「父と子のごとし」、96頁
  • 勇気:優れた統率によるもの、63頁;
    将軍に必要な資質の一つだが唯一ではない、101頁;
    それでも不可欠、103頁

G

  • 将軍:
    君主の干渉は禁物、10頁;
    能力は戦争の七要素の一つ、18頁;
    「道」と「法」を守る、30頁;
    「戦の神」のごとく戦術を変化させる、39頁;
    九変を知る必要あり、45頁;
    五つの危険な欠点に注意、46頁;
    呉子の将軍論、101–107頁
  • 地形:
    戦争への影響、12頁;
    湿地への陣営は避ける、44頁;
    山地・森林地での戦術、45頁;
    高地・湿地・平地・日当たり・険岨・泥沼・藪での配置、47–49頁;
    「勝利の奉仕者」、56頁;
    呉子の四大要素の一つ、102–103頁
  • 九地(九つの戦場状況)、58–67頁;対処法、64頁;将軍の必修、65頁
  • 間諜:中国では高く評価、13頁;五種類、71頁;敵の間諜の転用、73頁

H

  • 戦争の費用:21頁;遠征軍の補給費、22頁
  • 戦馬の扱い:99–100頁
  • 西河(せいが)の防衛、77頁
  • 黄帝(こうてい):地形を活かして勝利、48頁

I

  • 伊摯(いし):夏に潜入し殷を興す、73頁
  • 無知:軍を混乱させる三つの無知、26頁;敵を知らずば敗れる、27頁

J

  • 日本:孫子・呉子を尊敬、14頁;近代戦争での影響、15頁

K

  • 媯(き):勇士として称賛、62頁

L

  • 軽装の重要性:四つの性質、93–94頁
  • 生間(生き延びて帰還する間諜)、71, 72頁

M

  • 山地戦:47頁
  • 兵の移動:47–53頁
  • 呂牙(りょが):商に潜入し楚を建てる、74頁
  • 「神妙の糸」:五つの間諜の協働、71頁

N

  • 夜戦:43頁;夜の声、51頁
  • 九変、44–46頁
  • 九地、58–67頁
  • 兵数:
    攻撃・分断に必要な比率、26頁;
    分割統制、31頁;
    兵力優位は戦力の節約、37頁;
    数は力の証ではない、52頁;
    谷間の戦いでは無意味、112頁

O

  • 服従:仁愛ある統率で得られる、53頁;幼少期からの訓練が肝要、53頁
  • 将校:兵士の疲労で怒る、51頁;兵士と力の不均衡で災禍、55頁
  • 休息:適切な休息の重要性、95頁

P

  • 報奨:
    敵の利益を奪う者に与える、23頁;
    頻繁な報奨は規律崩壊の兆し、52頁;
    功績ある者とその家族に与える、88, 117頁
  • 罰則:頻繁な処罰は将軍の窮状を示す、52頁
  • 兵士の訓練:戦争の七要素の一つ、18頁;呉子は「戦いの第一」と説く、97頁

Q

  • 将軍の資質、101–107頁

R

  • 復讐の戦い、81頁
  • 富:兵士には与えぬ、61頁
  • 義戦、81頁
  • 河川:
    中国の多数河川が軍事に影響、12頁;
    濁流は渡らず、49頁;
    水を汲む兵の様子で判断、51頁

S

  • 呉子:
    学者だが兵法に長ける、75頁;
    祭壇で将軍に任命、77頁;
    敵情評価論、85–93頁;
    五軍攻撃法、110–111頁;
    谷間・水戦・雨天戦の戦法、112–114頁;
    成功例、119頁
  • 孫子:
    中国文学での位置、7頁;
    日本での影響、14–15頁;
    謀攻・虚実・九地・用間などの各篇、17–74頁

T

  • 戦術:機動と陽動作戦が核心、11頁;
    正攻めと奇襲(正面牽制と側面奇襲)、31–32頁
  • 地形:隘路での迎撃が効果的、109頁
  • 訓練:兵の第一義、97頁

U

  • 傘:中国兵の装備品、9頁
  • 統一:敵地深く入れば自然と一致団結、61頁

V

  • 谷間:険谷での戦法、112頁
  • 勝利:
    予知の方法、18頁;
    目的は勝利そのもの、23, 69頁;
    五つの前触れ、27頁;
    良政が基礎、95頁

W

  • 戦争:
    災禍を伴う、12–13頁;
    欺瞞の術、19頁;
    迅速な終結が望ましい、21–22頁;
    五つの原因と五つの性質、80–81頁
  • 水:軍勢を水に例える、39頁;敵を分断・孤立させる、68–69頁
  • 魏:晋を破る、117–119頁
  • 文侯(ぶんこう):
    呉子に繰り返し質問、75頁以降;
    功績に応じた饗応、117頁;
    呉子の提案を受け晋を破る、118–119頁

Y

  • 燕(えん):兵士は守備堅く攻撃性に欠ける、85–87頁
  • 殷(いん):伊摯の活動で興隆、73頁
  • 越(えつ):呉と常に戦う、38, 62頁
  • 有扈(ゆうこ):兵数に頼り国を失う、76頁

(以降、印刷所・註・翻訳者注等は省略)


註釈:

[1] 「道」とは、仁・義・礼・智・信の五徳を指す。
[2] 陰陽:中国哲学における二大原理。陰は受動・闇、陽は能動・光を表す。昼夜・雨・霧・風などがこれに当たる。
[3] 中国軍制:1軍=12,500人、旅(りょ)=500人、卒(そつ)=50人、伍(ご)=5人。
[4] 「遮隠(しゃいん)」:敵城塞内部を見渡すための高櫓や攻城塔。弓兵は矢除けの箱に入れられ、滑車で上まで上げられた。
[5] 「九天」「九地」:中国では天地をそれぞれ九層に分けた。
[6] 秋の毛皮は最も薄い。
[7] 太鼓=集合・前進、鐘=停止の合図。旗には信号旗と識別旗がある。
[8] 正兵=正面牽制部隊、奇兵=側面奇襲部隊。
[9] 五味=辛・苦・酸・甘・鹹(しょっぱい)。
[10] 孫子は呉の出身。呉と越は常に戦っていた。
[11] 五行=木・火・土・金・水。
[12] 武田信玄の軍旗に書かれた言葉。
[13] 「散地」などは兵士が故郷を思い家に帰りたがるための命名。
[14] 中国では8家で1兵を出し、その家庭を支えたため、10万兵=70万家の生活に影響。
[15] 「死間」は偽情報が露見すると処刑されるためこの名。
[16] 「生間」は正体を隠さない使者なども含む。
[17] 「右・左の者」=君主の左右に座る側近。
[18] 兵器の数字は陰(偶数)=死・陰の原理に属するため。
[19] 亀卜(きぼく):亀甲を焼いて割れ方で吉凶を占う。
[20] 五兵=戈(か)・盾・槍・矛・短矛。
[21] 口を塞いで音を立てぬようにする意味。


転記者注:

本文の忠実な再現に最大限努めました。
OE合字は展開しました。
以下の修正を行いました:

  • 40頁:「frought」→「fraught」
  • 92頁:「Chi answered」→「Wu answered」
  • 95頁:疑問符の追加
  • 109頁:「Lord Wu」→「Lord Wen」

*** プロジェクト・グーテンベルグ電子書籍『戦争の書:極東の軍事古典』はここで終わりです ***
《完》