再度、靖国問題の大誤解をただす

 昭和天皇は、不吉な敗戦記念日である 8.15 に、靖国神社へ御親拝あそばされたことはございません。
 以下、もし日付等が間違ってたらごめんなさい。
 昭和20年11月20日、靖国神社の臨時大招魂祭に昭和天皇が行幸せられ給う。御親拝。
 昭和27年10月16日、天皇皇后両陛下は靖国神社に行幸せられ給う。御親拝。
 昭和29年10月19日、両陛下は靖国神社に行幸せられ給う。御親拝。
 昭和32年4月23日、両陛下は靖国神社に行幸せられ給う。御親拝。
 昭和34年4月8日、両陛下は靖国神社の創立90周年臨時大祭に行幸せられ給う。御親拝。
 昭和40年10月19日、天皇陛下は靖国神社に行幸せられ給う。御親拝。
 昭和44年10月19日、天皇皇后両陛下は靖国神社の創立100年記念大祭に行幸せられ給う。御親拝。
 昭和50年11月21日、両陛下は大東亜戦争終結30年に当たって靖国神社に行幸せられ給う。御親拝。
 すなわち戦後の昭和天皇の御親拝はいずれも 8.15 を外してある。これがなぜ当然のことであったのかは、兵頭が過去何回も説明してきましたよね。靖国神社は「戦没者追悼の場」などでは決してないからなんです。
 昭和38年8月15日に天皇皇后両陛下は、政府主催の全国戦没者追悼式に御臨席になりました。が、これも断じて靖国神社「御親拝」とは無関係だったのであります。
 この重い歴史にぜんぜん頓着の無かった愚かな首相が三木武夫だったということは長く記憶されるべきです。後にシナに屈服した中曽根康弘氏も軽薄才子でしたが、やはり日本の総理大臣として最初に悪い前例を作ってしまった三木氏の罪がいちばん重いでしょう。ご皇室が昭和50年を最後として現在まで靖国神社に行幸・行啓し得なくなっておりますのは、この三木氏のせいでしょう。
 昭和50年、三木氏は総理大臣として戦後初めて敗戦記念日の8.15参拝をしでかしました。それだけでなく、社・共・公に問い詰められて「個人の資格」で参拝すると表明したんですね。こんな二重の過誤をやっちまった時点で、そもそも「首相の資格」無し、だと思われます。即刻辞任すべきでした。
 この三木氏のあと、大平首相は8.15参拝をしませんでしたが、次の、適切にも「暗愚の宰相」と人々から呼ばれた鈴木善幸氏が、首相在任中に三度つづけて8.15「私人」参拝をやっちまいました。この人は、正しいとか、正しくないとか、そもそも何も考えていなかったようです。
 続く中曽根康弘氏も無反省にこの悪慣行を引き継いだ。そして彼の首相としての三度目の8.15参拝のとき、肩書きに「内閣総理大臣」を用い公式に参拝したことを、社会党・公明党・社民党・共産党が、三木氏の過去の言質を楯にとって鋭く咎めました。さらに社会党はシナへ通牒します。早速シナの新聞が呼応し、紙上で中曽根攻撃を行ないました。国内に有力な金づるが乏しいのでせいぜいこれからシナ利権で稼がせて貰おうか、とでも思っていたのか、中曽根氏はこのシナからの新聞攻撃にあっさりと屈服して、その秋の例大祭にも出ないと言い出し、じっさい、二度と靖国参拝をしなかったのです。
 この事態は、昭和天皇をとても憂鬱にしました。
 「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし」──これは昭和61年8月15日の御製です。
 日本では、戦死者を「追悼」するのは、戦死者それぞれの菩提寺とか、特別な公営・国営の追悼施設ですべきことです。靖国神社はそのような追悼施設ではありません。近代日本の全有権者が、戊辰戦争以降の全戦死者とともに、現今の日本国家の敵どもに対する敢闘と戦勝を誓う場なのです。
 したがって日本の敗戦に関係する日は靖国神社の記念日や祭日にはなり得ない。ましてその日に社頭で「不戦の誓い」をするなど以ての外です。
 この靖国のもつ「場の意味」が理解できているなら、シナも8.15参拝ばかりを攻撃するのは、いかにも捩れた、可笑しな話です。
 シナ人には、近代的神社の意味は理解できません。シナ人に理解できるのは「人格」です。彼らは靖国神社の中に死んだ旧軍人の人格を見て、それらの魂魄が現世人によって鞭打たれていないことが不安なんです。
 ですから、東條英機ら一部の高級軍人だけではない。全祭神が鞭打たれるようになるまでは、連中は決して靖国へのいいがかりを止めないでしょう。これに屈することがいかに国益に反するかは申すまでもありません。
 靖国神社を攻撃することがシナ政府または個々のシナ人にとって「安全・安価・有利」な政治であるうちは、彼らは靖国攻撃は止めません。
 靖国攻撃をかますことで日本人との交渉が何か少しばかり有利になる、と彼らが値踏みしているうちは、攻撃は無限に続きます。つまり、この問題でのいかなる妥協も、ますますしつこい彼らのイビリ攻撃を招くだけです。
 逆に、日本の要人が毅然として靖国公式参拝を──ただし8.15ではなく他の吉日に──続けていけば、シナ人はじきに黙るでしょう。そしてイチャモンをつける標的を他に探すでしょう。
 マルキシズムはもうひとつの宗教じゃないかと、戦前からもう言われていたんですが、シナ人はキリスト教原理主義的な「この世の終末は近づいた」=「各国のプロレタリアよ用意せよ」は、信じません。その代わり、シナの政治家はマルクスから、近代的な人民操縦法を学習して、実践しております。
 ──革命が勝利を得たとて人民の革命的興奮は直ぐ消えるものではない。その興奮をできるだけ長く保持せしめよ。そのためには、人物、公共建造物などに対し、激烈な復讐の手本を人民に示し続けよ。それを決して止めてはならない──。
 つまりシナ政府は「靖国神社叩き」という手本をシナ人民に示して、人民の復讐的興奮を永久に持続させようと図っているわけです。その政府の手本を見習い、人民も永久に「日本人叩き」をすれば良いと思っているのです。
 残念ですが、シナ人がいつの日か近代化しない限り、シナ人のクレームに対していかなる「弱み」を見せることも、現在および次代の日本人の命取りでしょう。