磨り減るものは「神器」になりにくい

 浜本隆志氏著『謎解き アクセサリーが消えた日本史』(04-11)を読みました。以下は兵頭の気儘な摘録とコメントです。
 著者は1944生まれ。ヨーロッパ文化論の専門家。指輪研究から日本史の謎に気付いた。
 天平時代以降に日本文化からアクセサリーが消える。これは世界史的に稀有。
 鎌倉時代は金が豊富。室町時代には銀山が開発される。フロイスは、ピアスも指輪も首飾りも無いと報告している。復活するのは明治。
 円環形の装身具は肉体と魂の無事帰還を祈る意味あり。
 アマゾンでは豹の牙をもつ者がシャーマンとなる。
 古代日本でも動物の歯や牙は強い動物に対する畏敬の念から呪術的アクセサリーになった。※この説明ではなぜ「爪」がアクセサリーにならないかが理解できない。戦前、日本にオオカミがいた頃、オオカミの牙を「根付」にした人が馬小屋に入ったら馬が怯えて騒ぎ、犬も近寄っただけで総毛が逆立ったという。つまりオオカミの牙に関しては、単純にそれが「野獣除け」の威力を発揮したので長距離移動時の護身の実用になったのであろう。しかし嗅覚の鋭敏なイノシシを狩るときにはオオカミの臭いなどは却って邪魔なので、イノシシの牙が代用されたのだろう。
 縄文時代のヒスイの産地は新潟=富山県境の河口一帯。穴あけ加工は、竹管と研磨剤と水でも可能で、のちにメノウの刃具も発明されていた。
 シナのヒスイはミャンマーから取り寄せた軟玉で加工はしごく容易だった。
 古墳時代には出雲産の碧玉が勾玉材料に加わる。
 縄文女はピアスをしていた。石飾り。19世紀アイヌもピアスをしていた。
 渦巻きは生命力の根源を象徴すること、ケルトと一般。
 古墳中期にスキタイ風の装身具が一時渡来する。
 縄文時代にはヘビ信仰、弥生時代にはシカ信仰。
 金銀銅の腕輪を「くしろ」と称す。
 巨大古墳が造られなくなったのは「大王」の支配が確立したので権力誇示の必要が失せた。
 「ひれ」は、ヘビ、ハチ、ムカデなどを象徴し、振ると魔物を払う。※祝詞で振る電光形はやはり蛇なのか。
 大化の改新後に神社が整えられた。天武天皇は祭祀の場所を大和の三輪山から伊勢に移した。もともと本拠地であり、しかも太陽がはやく昇る土地とされ、それゆえ御神体が鏡となる。同時にアマテラスを太陽神とする『記紀』の創世神話も編纂され、天皇家の唯一絶対性が強調された。
 大化2年の薄葬令で副葬品が禁じられる。つまり宝物は天皇家の独占となる。
 三種の神器の権威化は、南北朝まで『古事記』を公開しなかったように、人目にさらさせずに伝承したからできた。天皇すら見ることはできない。天皇家は、三種の神器神話によって、宝玉信仰を封印した。
 飛鳥時代には仏舎利は塔の礎石に埋納されたが、後には相輪に移された。※もともと柱の上なのだろうという仮説は『日本の高塔』に書いた。
 正倉院を開封させた権力者に、頼朝、義満、信長、家康などがいる。秀吉も開封したが、その記録を抹殺したという。
 農耕文化=母権制=妻問婚。
 真珠は淡水からも採れる。万葉集の「白玉」。有機質なので土中で腐ってなくなる。遣唐使は砂金ではなく特産の真珠で現地の経費を弁じたろう。平安朝には全く国内のアクセサリーではなくなった。バロックは「歪んだ真珠」の意。
 日本の家紋の早いのは参内する牛車に描かれた文様。戦国時代に敵味方識別のために図柄が単純化。
 天正遣欧使節の4人は8年半後に帰ってきたが、マカオに追放されるか、殉教した。
 1613に支倉常長は仙台を出港、メキシコに上陸、大西洋まで歩き、さらに渡欧。7年後に戻ったが洗礼を受けていたので幽閉されて終わる。
 江戸幕府は水晶の発掘を禁じていた。p.144
 バビロニアとインドでは太陽神をミトラという。
 ケルト戦士は首にリングを巻いただけで全裸で出陣?
 古代ローマの主婦は左手中指に鍵つき指輪。着物にポケットがついていなかったので。また朝から入浴するので。帝国が衰亡し奴隷が解放されると呑気に入浴もできなくなり、鍵指輪もなくなった。
 婚約指輪は古代ローマに発する。
 封建時代には、主君が臣下に槍、剣、旗、手袋を下賜した。
 ルネサンス人の宝石ランキングはルビーが一位でダイヤは三位だった。
 ダイヤモンドはアーサー王伝説にも登場するが当時はインドが主産。18世紀にブラジル、19世紀に南アフリカで大鉱脈が発見された。
 欧州の痩せ地では農民も移動が求められる。逐われる商業民族もいる。嵩張らない動産を身に着けているのが安全で有利。しかし日本の気候では土地は決して捨てるものではなかった。つまり不動産こそが宝。
 水と接することが多い日本の農耕文化もアクセサリーを排除した。
 疫病が流行し、陰陽道がアニミズム(勾玉、呪術)を駆逐した。「弥生時代に魔除けとしての呪術信仰がアクセサリーから他の金属『宝器』へ移行したので、アクセサリー文化が低調になった」(p.194)と著者は考える。
 ※誰も気付かない謎に挑んだ好企画ではないでしょうか。そして明快な答えがまだ出されてはいないようなので、読者がさらに想像を付け加える余地もあると思いました。兵頭の考えはこうです。金属器をもった渡来人が、あまりに急速に土着石器人を平らげてしまった。金属器(特に武器)がその過程で神のような働きをし、「玉」は護符性を失墜した。それに次いで、金属農器をたくさん持った者と持たざる者との経済力の格差が日本では圧倒的になると分かってきた。「鎌足」という名前がそれを象徴します。少しでも財力に余裕があるのなら、宝石などを調達しているヒマに、農耕用の「鉄刃」を一個でも余計に備えた方が、日本の土地と気候から無限の富を引き出せると知られた。かくして土地こそが宝となった。鉄製農具は使えばチビていく消耗品なので、同じく消耗品の「おほみたから」同様、神性までは獲得しなかった。