摘録とメモ──『花田清輝著作集 IV』1964

「近代の超克」と「もう一つの修羅」を収める。前者は有名な座談ではない。
 ホーリーローラーはくるくる教徒。
 寺田透が花田に語った。孔明はハンゼン氏病のため、劉備が再三訪問するまで、世間との交渉を絶っていたのだという説があると。花田も納得。病人だからいつも車にのって戦場にあらわれるのか。しかしおそらくは信ずるに足りない一片の浮説だろう、と。p.47 ※武田氏周辺の軍師にもその影があったろう。
 高坂彈正は「我等、元来、百姓」だから「保坂彈正、槍彈正、高坂彈正、逃げ彈正」といわれていますと『甲陽軍鑑』の冒頭で自己卑下。
「うたごえ運動」「生活綴り方運動」、どちらも遊びだ。
 トルストイは「アンナカレーニナ」の心理追求に訣別して、「コーカサスの俘虜」では行動描写だけを書いている。
 1930にドイツ映画『人間廃業』あり。
 ビリー・ワイルダー(ウィルダー)もドイツ映画出身で米に移住した。『お熱いのがお好き』は30年代にベルリンで想像していたシカゴなのである。
 ヒッチコックは四半世紀にわたり自作の剽窃ばかりしているようなものではないか。※TVシリーズがあった。
 ネヴィル・シュートの『渚にて』は、アルバニアの飛行機がナポリにウラニウム爆弾を落とすところから北半球の核総力戦になるという設定。※ノストラダムス信者だったのか。
 ケストナーいわく、原始文化は具象。文字文化は抽象。それは「第二の一対の目」だと。花田いわく、その次はTV具象になると。
 徳川夢声の『カツベン譚』いわく、むかしは映画スター以上に「映画説明者」が人気を左右したのだと。これをいやしむことばが「カツベン」。※日本の洋画TVで前後に「映画解説者」がしゃしゃり出てくるのはカツベンの伝統かと分かる。
 カツベンは講談、落語、浪曲、芝居からの転出者多かった。だから声優のマネゴトができた。活動写真の弁士。『くらがり二十年』によると無声は落語家をめざしていた。
 山路愛山は二宮尊徳のことを「並の人間に毛の生えた位のもの」と『報徳新論』で評す。p.187 二宮門下が内務&文部官僚になって、報徳講というものを推奨。バックが明治政府であった。日露戦争後の農村危機が背景。
 福田恆存は三島の脚本をベタ誉めした。小説より評価した。三島はすべてを誉められないと我慢のできない天才なのだとも言った。
 セルバンテスの『びいどろ学士』は自分の全身がガラスでできていると思い込んでいる。※つまり『コブラ』のクリスタルボーイか。
 1954封切り映画に『放射能X』『原子怪獣現る』『ゴジラ』がある。前二者は米画。これを比較すると、原子怪獣に米人たちは銃で立ち向かっているのに、日本人は国土を怪物の蹂躙にゆだねてなすすべがない。米人にとって映画の怪獣は仮想敵なのである。※ウルトラマンは日米安保だと言った評論家もいたっけな。
 福沢は勝を咸臨丸の船室から船酔いで出られなかったと誹謗する。木村芥舟は『咸臨丸舟中の勝』で、それは身分や格式に拘泥する幕府役人に対する不満からだったと弁護。
 暗殺をおそれて14年間も夜間外出しなかった福沢が痩せ我慢の説とはかたはらいたい。痩せ我慢の説が書かれたとき、徳冨蘇峰だけが勝を弁護した。
 氷川清話いわく「おれは、愚物は、とうてい、話をしてもわからず、英物はみずから悟ときがあるだろうと思って、うっちゃっておいた」
 世に意気地を除外したる聡明ほどくだらぬものはなし。聡明にして意地弱く臆病なる者は、ともすれば是れ大勢なり抗すべからずと称して事をなげうつなり。/堺利彦
 花田は橋川文三を、今日における福沢の亜流だと。橋川や吉本隆明にはただナショナリズムの観点があるだけだと。
 新井白石は源頼朝をこきおろしている。白石の理想は天皇親政であった。北畠親房は、将軍の仁政に期待をかけていた。両者は対立する。
 榎本は明治11年にシベリアを横断して帰国。『シベリヤ日記』あり。当時のコザックの子供は自分の年齢を知らなかった。そして両親も把握していなかった。特に男親は。
 この本はなぜか昭和14年9月に満鉄総裁室弘報課から発行された。※つまり関東軍は対ソ戦をすぐ始める予定だったのだ。
 真山青果の『坂本竜馬』に、竜馬が上海で手に入れた毒薬を岩倉に投げ与えるシーンあり。坂本はそこでいう。百姓を刀で殺すのはけがれだと。庄屋など細引きでくびりころせ、とその使い方を細かく伝授。
 坂本はこう書いていると。「人を殺すことを工夫すべし。刃にてはかようにして、毒類にてはかようにしてなどと工夫すべし。乞食など二三人試みておくべし。」p.300
 真山脚本は演出家が介在しない書斎読書の方が鑑賞にむいている。
 真山は正宗白鳥と同世代の自然主義小説家であった。周到な史料の科学的な研究の上で書いている。にもかかわらず調査事実にがんじがらめにされていないところがすごい。ロゴスだけでなくミュートス、たとえば政治講談に近親。
 千田是也いわく、演劇でもクローズアップは可能である。それは台詞でできると。
 柳田邦男いわく、東京男の眼のけわしさは、元来があまり人をみたがらず、はにかんでいた者が、おもいきって他人を知ろうとする気になったときだと。
 戦時中も若者は平静に話し合うことができず、喧嘩によって知り合おうとしていた。
 柳田いわく、農村においてこそ明治〜大正に景観は一変したのだと。桃、キョウチクトウ、サルスベリ林の樹花はわざと植えたもの。菜種もそう。ゲンゲソウも。
 白石は『孫子兵法択』で、作戦篇の「敵を殺すものは怒りである」を「怒りをもって敵を殺してはならない」と解釈する。
 花田は戦時中はラテン語を勉強していた。
 丈八の蛇矛といえばそれは張飛の武器。
 露伴いわく、虚言を束し来って歴史あり。※その通り。
 中谷宇吉郎いわく「語呂の論理」と。
 うち聞くより早や三枚目の安敵かとみえて……。
 花田はフィクションには敵と味方の二人の主人公が必要だという説。馬琴の脇役はリアルだが影が薄く、対立主人公になりえていないという。※だから葛藤が弱い。
 鶴女房より、浦島の鶴じじいの方がはるかに非凡だ。
 近松の書いた俊寛は、すすんで島に残ろうとする
 ラロシュフコオいわく「美徳は、たいてい、仮装した悪徳にすぎない」
 戦争中「武士道というは死ぬこととみつけたり」が「盛んに方々で引用されていた」
 花田はこれまで『葉隠』を読んだことがなかった。S28の記事。
 古川哲史が校訂者だが、古川は戦争中、葉隠は、ニーチェのツアラトゥーストラより神々しき犠牲精神だと絶賛していた。
 古川は戦後も『封建的ということ、その他』で、葉隠に武士道の本質をみようとしている。
 甲陽軍鑑によれば、陣屋で番をしているものの眠気をさますために、博打は奨励される。常朝も「おろめけ、空言いえ、ばくちうて」といっている。書き取った陣基はシャレの通じない人物にみえると。
 ※前回の沢木さんの新刊もそうなんですが、自分の生まれた時代のことがじつは一番把握しづらいもので、こうしていい歳をしてから勉強し直さなければなりません。