「島流し」におふざけの意味はないのです

 近頃立て続いております、反社会的な殺人事件、ならびにその裁判についてご不満のある方は、わたくしが1998年に『新潮45』の7月号に載っけておりますところの「江戸時代の島流し」再評価論文をご一読くださると、これから日本の「社会防衛」が目指すべき方向がしっかりと見えてくるだろうと思います。
 当該拙文ですが、これは単行本には収められておりません。ですから、みなさんは、お近くの大学図書館や国会図書館などで、古雑誌を検索して閲読をしてくださらなければなりますまい。
 けれども、わたくしの知る限り、社会防衛に関してこの論文を超えたものはまだ書かれていませんから、お手間を取らせるだけの価値はございます──と、ここで威張っておきましょう。
 わたくし自身、細かい論立てやテクニカルターム、列挙した歴史上の事例の数々についてはもう忘れてしまったんですが、内容の要点はこんなことです。
一、社会防衛のためには「絶対不定期の社会隔離刑」が必要である。更生などあり得ない罪人は昔からいた。また、遺族もコミュニティも二度とその罪人の地域徘徊を望まぬケースも、昔からあった。
二、ところが現代日本の司法にはそれがない。「無期懲役」がしばしば宥免されて事実上の有期刑になってしまう(裁判官の当たり外れにより、同類の罪状なのに死刑にされる犯人もいるから、著しく法の下の平等に反している憲法違反状態)。それゆえ日本で罪人を社会から永久に隔離するためには「死刑」判決しかない。「死刑」の既決囚となることで、初めて日本の罪人は「絶対不定期の社会隔離」に処されることになるのである。しかし死刑判決は気軽に出せないから、結果として 日本社会は、キチガイ犯罪者の天国になりつつある。
三、江戸時代はそうではなかった。各藩は犯人を気軽に死刑に処して治安を維持した。かたや江戸幕府は大都会の江戸市中の多くの犯罪に極刑を濫用していない。それは八丈島を代名詞とする伊豆諸島への「島流し」という、すこぶる合理的な「絶対不定期刑」が採用できたおかげであった。この刑罰のおかげで、江戸市中のコミュニティは死刑に依存せずしてキチガイから「社会防衛」されていた。
四、二十数年の年月が経過すれば、伊豆諸島の流人も赦免される場合があった。ただしそれには必須条件があった。地域コミュニティの代表や、殺された被害者の遺族からの、赦免の「嘆願書」が、奉行所に提出されていることである。これが揃わない罪人は、社会が永久に復帰を望まない者として、そのまま島で朽ち果てねばならなかった。つまり、江戸町奉行はいったん「絶対不定期刑」を申し渡すのだが、島流しに関しては、地域コミュニティもまた、量刑(刑期)を監視し、リアルタイムで左右できたのである。
 ……この論文の正確なタイトルは「一億総キチガイ時代のナイスな刑罰『島流し』」といいます。(今の編集長の中瀬ゆかりさんが考えて付けてくれたのだと思います。)
 本文中にも「キチガイ」という単語を数回使っています。当時わたくしは東京都内に暮らしていて、本当にこの町はキチガイだらけだな、と思いはじめていましたから、このタイトルには納得しています。
 ただ、このタイトルに「おふざけ」の印象がありますため、キチガイ犯罪者に関する社会防衛をまじめに考えている人たちに敬遠されてしまっているとしたら、残念なことです。
 あれから6年、日本は東京に限らずますますキチガイだらけとなりつつありますけれども、狭き門の弁護士資格の上にあぐらをかきたい法曹界の先生方は、キチガイ対策を真剣に考えてくれているんでしょうか? 「陪審制」などの前にやることがたくさんあるのではないでしょうか。
 かつて徴兵制があった頃も、じつは日本人の戸籍簿には「刑罰履歴」は記載されてはいませんでした。免許証のイメージから誤解があるかもしれませんが、「前科」は公式には戸籍に残らないんです。しかし軍隊は、かつての重罪人を兵隊にとらぬ方針ですから、村役場の戸籍係だけは、住民の誰が元重罪人であるのかを把握していなければなりませんでした。そのために戸籍とはまったく別の秘密ファイルがあって、それは村役場のみの部内資料として厳重保管されていました。
 これをデジタル方式で復活させようというのが「ミーガン法」でしょうか。
 しかし、そんなファジィな情報管理よりも、近代以前の江戸幕府による物理的な「島流し」の方が、ずっと叡智に富んでいたぞと、わたくしは現在も主張します。(江戸時代には諸藩による領民の遠島刑が別にありましたが、それはかなりムチャクチャないいかげんなものでしたので、混同しないでくださいね。)