また一つキの字出たる皐月かな

 前から評判であった佐藤優氏著『国家の罠』は、先月は函館の書店ではみつけられませんでしたけれども、別宮先生との新しい共著本の下書きに目処がついた先日、ようやく購読することを得ました。
 これは05年の日本語出版物の収穫でしょう。誰が買って読んでも損をしない情報テンコモリです。
 一読して思い出しましたのが、1977年の『岩畔豪雄氏談話速記録』の断片です。
 旧陸軍のエリート参謀であった故・岩畔氏は、戦前に統制派の中心人物として憲兵にマークされていたことがありました。その岩畔氏が2.26事件の後で兵務局へ異動となり、そこで憲兵隊がかつて自分の身辺を嗅ぎ回って上司に上げていた報告の綴りを見たのです。
 その経験から、岩畔氏はインタビュアー達に忠告していました。警察のリポートは8割引きでお読みなさい。感心なほど系統立っているが、ウソ八百だよ──と。
 佐藤氏の誠実な述懐は、ご本人の起訴に関する限り、この岩畔証言の確認にもなっています。これが表層的な驚きですが、第二の驚きがある。
 おそらくは読者を説得しようして展開されているであろう佐藤氏の弁解から、佐藤氏の世界観が大枠で狂っているという真相も、じわじわと了知されてくるのです。
 佐藤氏は、1991年12月にソ連邦が崩壊し、以後ロシアは、自由・民主主義・市場経済という価値観を日本や西側と共有するようになっている、と信じているようです。
 また佐藤氏は、「親米」には、「日本はアメリカと価値観を共有するので常に共に進むべきである」派と、「アングロサクソンは戦争に強いので、強い者とは喧嘩してはならない」派の二種類がある(56頁)と愉快なまでに正確に分類しつつ、自分はそのどっちに近いのかを明かしません。
 しかし佐藤氏は前者の派を「イデオロギー的な親米主義」と括り、また「9.11」以後の日本の親米路線は「冷戦の論理」でポスト冷戦の世界に対処しようとするものだと仰っています(118〜9頁)。
 その路線はまた「排外主義的ナショナリズム」でもあるそうです。
 日本外務省内ではロシア・スクールを「地政学」派と呼ぶのだそうです。
 地政学派は、ロシアと地理的に一衣帯水の日本が政治的にも露国ともっと親密になることによってロシアの極東に対する発言力を強め、以て冷戦後のシナに対する地域バランスをとる、との大構想をお持ちのようです。
 橋本内閣やS.ムネオ氏や佐藤氏が一丸となって推進してきたのは、すなわち「外交における地政学的国際協調主義」なんだそうです。
 しかし佐藤氏には見えていません。核ナシの地政学など戦後日本にあるはずがない。ゲオポリティークというカッコいい言葉で幻想に浸っているだけです。
 ロシア指導者の関心を日本に向けたくば、核武装することです。簡単です。
 日本が核武装すれば、シナのミサイルのどれが東京に向いていてどれが大阪に向いているか、頼まなくとも、ロシアのほうから耳打ちしてくれます。
 逆にシナの政治家はロシア軍の情報を提供してくれます。
 働き盛りで有能な官僚のエネルギーは、日本の核武装の実現にこそ、集中投入されるべきなのです。
 エリツィン辞任のニュースを日本外務省の誰よりも早く知ったとて、それで日本国民の権力は向上したでしょうか? また、佐藤氏は、米国を筆頭とする他国の情報機関がそのニュースを佐藤氏よりも早く得ていないと本当に信じているのでしょうか。さらに、佐藤氏が本国その他に送信している諸連絡が、どこかで傍聴され解読されていないと思っているんでしょうか。
 大国である日本が核武装を避けている限り、日本外交官の仕事はすべて佐藤氏のように空しいでしょう。
 明治維新が目指した理想は、公的な約束を守りかつ守らせる、武徳に裏打ちされた西欧の近代的自由主義です。
 この理想は、シナ人、朝鮮人、ロシア人とは、残念ながら倶に奉ずることができないものなのです。
 なぜならこの三地域では、法に、連続性・継続性が無いからです。
 地理的に、脱法者の隠れ処に不足せぬこと、辺境の他民族を根絶できぬこと、歴史的に政府の方針や政体そのものが数限りなくひっくり返ってきており、そのたびに以前の法律や契約がチャラにされてきたこと……。
 必然の結果としてシナ人、朝鮮人、ロシア人は、法や契約を蔑する民となりました。この反近代的指向は、百年やそこらでは変わらないのです。
 ロシアと日本は、自由・民主主義・市場経済という価値観を共有していません。この価値観の最低の前提は、約束を守ることと、罪刑/租税法定主義です。
 法が蔑され、契約が軽んじられ、約束が反故になるような地政学的環境の下で、近代自由主義は育ちません。日本は同じ近代国家である米国、西洋とビジネスをすれば世界人類に対してもまた良いことがありますが、反近代の支朝露の三地域とビジネスをしても世界人類に対して悪い結果しか出力しません。
 日本の国益は、この三地域のいずれもが極東で大きな権力をもつようにはさせぬことです。そのオプションの一つとしてあった日米軍事同盟は、現実に有効に機能してきました。
 佐藤氏には、シナ・朝鮮・ロシア文化の異常性は分かっていません。
 佐藤氏によれば、「ロシア人はみなタフネゴシエーターで、なかなか約束をしない。しかし、一旦、約束すれば、それを守る」(114頁)のだそうです。が、どうでしょうか。1956年の日ソ共同宣言は、両国の国会で批准され、法的に国際条約に等しいものであるにもかかわらず、ロシアは1960年にそれを一方的に反故にしたのではありませんか。
 かつて日ソ中立条約を破られ侵略を受けている相手に、何度も騙されるのがプロの外交官、すぐれた政治家といえるでしょうか。
 ロシアの文化は、公的な約束を守れない文化です。日本が外国としてそれを守らせることができるようになる日がくるとしたら、それは日本が核武装した後です。話はそれからなのです。
 孤独な思考家の佐藤氏は、最初に「外務省ロシア・スクール流地政学」なる世界観の大枠を、自分の言語で咀嚼し定義し、それを固く崩さないことで、世界の中で自己を保持し、現在と折り合いをつけているキャラのようです。取調べ検事が「格好をつける」(310頁)と指摘したのはそこでしょう。この佐藤氏のキャラはたぶん今後も変わりますまい。とすると、フォン・ゼークトの箴言がわたくしの耳底に反響します。
 昔ゼークト曰く、将校のタイプとして「無能な働き者」は、指揮官にも参謀にも連絡係にも使うわけにはいかず、軍隊としては銃殺してしまうのが一番よい(それほど味方に大害悪がある)──と。
 けだし、「国益について勘違いしている有能な役人の頑張り」が、「政治家のケチな野望」と結びつくことは、無能で勤勉な将校以上に、日本国に災厄をもたらすのです。
 佐藤氏が政治家のお先棒を担いで成し遂げようとした日露修好とは、ロシアに対する日本の相対国権を低め、ロシアに今まで以上に極東問題に口を出させ、この地域の近代自由主義を阻害させる道でしかなかったでしょう。それは日本の国益に反し、世界人類の幸福にも反しました。
 「日本人の実質識字率は五パーセントだから」「ワイドショーと週刊誌の中吊り広告で物事は動いていく」という外務省幹部の発言(76頁)は適切です。
 けれども佐藤氏が「愛国者」と呼ぶS.ムネオ氏が逮捕されたのは、決して「ポピュリズム現象」による「排外主義的ナショナリズムの昂揚」のせいなどではありません。シナ人、朝鮮人、ロシア人という、公的な約束を守らぬ反近代人たちと仲良くしようと暗躍する政治家と官僚に、日本国民はチェックを入れたいと思うようになってきているのです。
 小泉氏以前の内閣の売国的な対露外交が、何者の指図によってか、あの程度で食い止められ、また小泉内閣の売国的な対北鮮外交も今のところポピュリズムの反対によって歯止めがかけられているかに見えることは、慶賀すべきことです。
 現在国民は、小泉内閣がシナに対して靖国問題や歴史問題で売国的な譲歩を裏でしているのではないかと疑っているところです。そして東京地検特捜部には、「そろそろ外務省チャイナ・スクールも何とかしようよ」との期待がかかっています。
 欲得を離れて努力すれば真実を掴める立場の知識人には「無知の罪」もあります。これは庶民は被らないし、問われもしません。「できること」と「わかること」は違うのです。