捏造鑑定という分野

 わたくしは狩猟民的な性格をしているのか、他の人の選んだ「猟場」にはあまり関心が高まらず、興が乗りません。昔から感服するような仕事ぶりで定評ある方が、今はあるテーマに本腰を入れて取り組んでいる──と聞いたら、それだけで、もうそのビジネスには敢えて足を踏み入れない。本能的にそのようにして参った場合が多いのです。
 誰もやってない仕事だから男一匹やり甲斐も出るじゃないか。なぜ他人とつるむ必要があるのか……と。
 しかし特定アジアのブラック・プロパガンダに対する日本人としてのカウンター・プロパガンダの言論、こればっかりは、そんな余裕たっぷりの敬遠をしていられないのだなーと気づきましたのが、漸く最近です。どうも敵の人数が多すぎて、討匪隊の人手不足だったのですね。わたくしはとっくに人は足りていると思っていまして、これまで東中野修道先生の御著書なども購読をしていませんでした。なにせ貧乏でしたし……。スマンです、正直。
 東中野先生といえば、英語で論文を書き、アメリカの大学で授業もなさっておられた、偉大なご経歴の碩学。この方がシナの捏造写真を仔細に解析され、外国の文献を精査され、虚偽を暴き、存分に日本のための弁駁を展開したと各誌の「書評」欄で承知出来ましたから、わたくしなどはこの件はパスだと思っておりました。
 ところがシナのプロパガンダに対抗する仕事を日本害務省がサボりまくっていた、といいますかそもそも外務省の役人がシナの手先であって贋の「負債」をせっせと北京の口座に積み上げるのが使命と心得ているのですから、カウンター・プロパガンダの仕事はほとんど片付いておらなかったのであります。
 さいきん、ついにわたくしは『南京事件「証拠写真」を検証する』(2005-2草思社)を購入しました。それで、気付きましたことを二、三述べましょう。
 135頁に、ゲートルの男が刀でシナ人を斬っている構図の写真が掲げられています。これにつきまして執筆者である東中野氏のグループは「靴の真下の影」の解析から、「写真の季節は冬ではない」とコメントしています。
 待った! その前に書くべきことがあるんじゃないですかい、ダンナ!
 この写真は、当時のカメラの性能からしておかしいし、「おためし物」、つまり首切り刀術の常識からも外れていますよ。
 まず斬首の瞬間の日本刀は、戦前の普通のフィルム(ASA値が小さい)とレンズ(f値が大きい)じゃ、まず止まっては写らないのですよ。ガラス板とピンホールカメラで撮影した風景は、絞りまくって長時間露光ですから、近くから遠くまで良くピントが合いますが、その代わりに、撮影途中で動いた人は透明人間になります。それと同じです。昔のカメラのシャッヌースピードでは、手元から刀の先まで、しばしば消える。そしてその軌跡の向こう側の風景には「陰り」がかかります。
 検閲でもないにもかかわらず、シャッタースピードが遅くて刀と手元が消えてしまっている斬首写真の例としては、月刊『戦車マガジン』に昔(兵頭の在籍中)、「絵葉書は語る」とかいう私的企画のコーナーがあって、そこに、昭和7年の長春で撮影された「馬賊の斬刑」という写真絵葉書(東京神田千鳥印製の未使用品だが写真サイドに記念スタンプあり、神田の古本屋で入手)を122%の大きさでノートリム掲載しておきましたから、是非、比較のため御覧ください。
 次に、斬首人の右足と、受刑者の首の「水平距離」があまりに離れすぎています。これでは「物打ち」が受刑者の首に当たらないでしょう。
 もう一枚、161頁の銃剣刺突の場面ですが、これは旧軍人が見たらいっぺんでシナ人の演技と分かります。刺殺対象に向かって上体が猫背に前傾しており、右肱は下がりすぎており、既に左腕が伸び切っているのに、右足は曲がっている(まっすぐ伸ばして地面を撞木に踏んでいなければおかしい)。こんなヘロヘロ屁っ放り腰の「直突」は帝国陸軍では新兵さんでもようやりません。
 カウンター・プロパガンダでは「書き過ぎ」に注意しなくてはいけません。合理的な疑いを読者に抱かせたら、そこで止めるべきなのです。書き過ぎが、こちらの説得力をブチ壊しにしてしまうおそれがあるでしょう。
 166頁の斬首写真について「このように撮影者はそのすぐ前で撮せるものだろうか」とコメントしてありますけれども、ロングで撮った紙焼きの天地左右をトリミングしている可能性大ですね。
 また「肘の部分だけを縛り、真後ろから紐が引かれている。これでは上半身が自由になり、首が固定されないため斬首は難しい」とも書いてありますが、逃亡便衣兵はゲリラと違い、諦めの早い者もいるでしょう。