摘録とコメント

▼ルヰズ・フヰツシヤア『石油帝国主義』S2年、荒畑寒村 tr.
 WWⅠまでの国際政局は、鉄と石炭をめぐるものだった。独仏国境争いはまさにそれ。
 英はWWⅠ初めは3割の軍艦が石油焚きであったが、休戦までに95%に。
 今の国際政局は石油中心。メキシコがいい例。……ここまで訳者の序。
 世界最大の既発見油田のコーカサスに英が出兵したのも石油目的。
 ベルリン=バグダッド鉄道も石油目当て。予定終駅はモスウル油田だった。
 WWⅠ開戦時、英は世界産油額の2%しか支配していなかったが、今や5割だ。
 トルコの対露参戦もバクー目当て。
 独軍飛行隊の活動は、石油の消費を節約するために制限された(p.18)。
 ルデンドルフの回想録では、タンクの貨車でバクーから石油を運んでくるつもりだった。
 ルーマニア商務官の報告:「ソヴエットの会社はその灯油、石油等を改善する上に、有らゆる努力を払ってゐる」
 クラッキング(分離)と精製とに対する装置は、特にアゼルバイジャンのナフタ(石油)トラスト委員長、セロブロウスキーの米国訪問後、多量に合衆国から購入せられた。
 ロシアは米石油会社を北サハリンに招致して、日本に対し米政府が撤兵を働きかけるようにしむけた(p.209)。
 ソは米石油会社を通じて米国の国家承認をとった(p.212)。
 石油は日露の和解の動力であった(pp.286-7)。
 ※ソが満洲とオーストリーから撤兵したのは、油田が無いからだ。
▼O.J.Clinard著 “Japan’s influence on American Naval Power 1897-1917”(初版カリフォルニア大・1947、再販1974 in Germany)
 英は陸軍無力なので米の仮想敵から外されていた。また、カナダは米にとり英の人質のようにみえた。
 マッカーサーの父は、ドイツとアメリカがハワイで戦うと考えていた。
 カイザーはポーツマス会議中、米に接近。会議をまとめられるように支援し、さらに日露役後、日本を共同の敵に仕立て上げようとした。
 親日が親露になってしまったのは、日本がポーツマスで賠償要求を出した時から。※身の程を知れと。
▼『軍事史研究』S11年 vol.4-3号
 山内保次「軍馬物語」。前九年頃の馬は4尺8寸以下。稀に5尺を越す大馬あり。小馬は4尺以下。
 二毛の馬、位牌面(鼻梁の白線)、泪や矢負のようにみえる辻(旋毛)もゲンが悪いと嫌われた。
 武田の武将たちは、馬は大きい程よいという主義。
 馬格の差によって一騎討ちの有利不利は決定的になった。
 日清戦でシナ馬は場格ちいさくも耐久力あることがわかった。日本の馬は全然だめだった。
 日清戦で人夫が輜重になったのは、馬不足が原因。
 日本馬は、馴致調教みな不良で、北清事変では外国人より「猛獣の如し」と評された(pp.76-7)。
 秋山好古の旅団の馬格も4尺7寸が平均。重さは93~5貫。特に飛び越し、駈歩がまるでダメ。
 遂に明治38年に大量の馬輸入となる。
▽vol.6-2号
 島田貞一「槍の板に関する考察」。
 木柄は強度と軽さが両立せぬので、打柄といって、木芯に割り竹を膠着したものが必ず使われた。正倉院にもある。※とすればケラ首を切り落とせるものではない。
 あまり滑り易いのは雨の日によくないので多角形の「かんな目」とした。
 柄の曲がり防止に、2ヶ所で掛けず、4ヶ所の爪で安置した。 
▼星健之助『支那文化の源とバビロニア』S15年
 三皇の一人、大昊伏義は、魚形のイヤ神(ダゴン)だ。だから蛇身人首なのだ。
 神農「炎帝」は日の神マルヅク。
 黄帝はニニブ、エンリル(エホバ)。
 ローマの最後の人身御供は、アントニウスのとき。
 周礼の「連山」はニシールおよびマシュー山(ギルガメシュの)
 周礼の「帰藏」は肝臓の筋で卜したバビロニアの習慣。
 鹿骨卜はシナ書になく和書にある。なのにシナから出土する。
 龍はバビロニアに6千年以上前から拝まれている蛇。
 科斗之文字=治東→オタマジャクシ→楔形字
 スメル人は鬚が少ない。シナ人も鬚が少ない。
 ハムラビは自らを「羊飼」と大法典に。
 スメールの支配者は紅毛で、被支配者を黒頭と呼んだ。→黎民(周)や黔首(秦)も「黒い人民」を意味する。
 弩はバビロニア起源。ギリシャ人だけは使わなかった。
 家屋の材木部を塗装するのはバビロニアの技術。
 朝鮮人はシナ人と同様、全く風呂に入らないが、洗濯だけはする。支那人は洗濯も全くしない。
 朝鮮人は日露役のころまでは、シナ(人)と呼ばず、必ず「大国(人)」といった。しかし腰掛に座る習慣だけはシナから採り入れなかった。
 バビロニアでは油はゴマ油のみ。
 仏教はもと、無神論哲学。そのためアショカに政治利用されるまで流行らなかった。カニシカ王下で有神化・大乗となり、それがシナ後漢に伝わる。
 SIND(身毒)→ペルシャではSがHに、シナではSがTになって、天竺と。
 初期仏僧はインドからはよくシナに来たが、シナからはほとんど行かなかった。
 拝火教徒を「黄色い頭」という。黄巾賊はゾロアスター?
 Byzantin→ZANTIN→太秦
 孔子だけが無神論だったのではない。シナ人が無神論なのだ。
 シナ人中の回教徒に比較的、責任感が強い。
 オーガスタスは、ライン=ダニューブ=ユーフラテスを自然国境にせよと遺言している。
 古ペルシャにはLの音なくRのみ。このRはシナではNになり易い。
 朝鮮人はもともと苗字なし。沖縄人は三字苗字が多い。
 ヒッタイトをバビロニアではケタと呼ぶ。→キタイ・契丹→カセイ