摘録とコメント(※)

▼金子有鄰『蹄の音』S37年
 明治の戦闘用馬術を古くは要馬術という。
 日本馬は「馬当て」や人のふみつぶしができるが、西洋馬は不可。
 日本後記の弘仁3年に、「てい齧」(踏む・噛む)の荒馬の話。その脚色が今昔物語に。
 馬は犬と違い、主人の敵は自分の敵とは考えない(p.50)。
 鎗の大事は、突き出したものを掴まれぬこと。大刀では槍の柄は絶対斬れない。
 馬上刀は必然片手刀で、柄も短く、両手ではむしろ不便(p.56)。※だから宮本武蔵。
 佐久間象山は洋鞍をつけていたが、町を歩くときは馬丁の口取りが必要だった。
 槍で払うことを、しばき立てる、という。
 草書では「等」は「傘」と間違えられる。
 陸軍騎兵刀も非常に重かった。
 敵が自分の馬を斬ろうとする場合、これを防いではならず、敵を殺すことに集中。
 動物は怪我に鈍感なので、急所以外の防具は有害。
 馬に乗りなれぬ者の尻は桃尻といわれ、割れていない。
 やぶさめの語源は「矢馳せ馬」。
 古く、落馬とは人馬もろとも倒れること。人だけ落ちるのは「平落」という(p.360)。
 楠討伐戦で馬は役立たず。関東武士の威勢は地に堕ち、名馬思想も廃れた(pp.449-50)。
 北条匡房はオランダ人から攻城、砲術を聞き、兵書をあらわした。※「カチクチ」は「タクティケン」。
 太鼓は胴が長いと遠くに達しない。
 漢武帝より唐までシナ人はアラブ馬を大量に遠征獲得したが、これが三韓を経て我が国に移入された。初見は、神巧17年4月1日、百済よりと(p.504)。
 カウボーイの鐙は、欧州の古型をとどめる。
▼廣瀬清志『統幕議長の地位と権限』1979
 S53年、栗栖統幕議長が「択捉でソ連軍が上陸演習」と言うも、内局が「基地建設だ」とそれを打ち消す。
 が、7-29毎日は、米政府の「択捉ソ連軍演習」の判断を伝う。日米間の制服同志の情報交換が明らかとなって、金丸長官の怒りがバクハツした。
 作戦計画や軍事情勢判断も内局の手中。どんな機密も内局に筒抜け。
 制服は予算調整の権限もなし。
 ガリポリ上陸作戦が、初の陸海統合戦。
 米では軍高級人事は議会管掌。
▼宮崎弘毅『日本の防衛機構』1979
 連合国はMax20万人までの警察官を許可していた。当時、国家地方警察3万、自治体警察95000だったので、余裕分75000人の警察予備隊創設をマックは日本政府に命じた。
 ちなみに日本は4コiDで占領されていた。
 改進党のレトリック。教育の基本規定がないから教育基本法が憲法代わりだ。それと同様、自衛軍についても基本法によって憲法に代え得る、と。
 内局(内部部局)とは、長官官房、防衛局、人事教育局、衛生局、経理局、装備局。
 欧米では軍令は統合幕僚総長が文民長官を補佐する。日本では軍令も内局局長が補佐。 長官と軍人の間はすべて内局官僚がとりしきる。
 三自衛隊の幕僚監部は1951当時の米幕僚本部のコピー。
 国防会議に倒幕議長の常時陪席制度なし。軍事情勢判断への参画権なし。
 S47年、国防会議に国家公安委員長、内閣官房長官等を加えることを閣議決定。
▼御手洗辰雄『山縣有朋』S33年
 生れたのは新暦の6.14、旧暦の4.22で、足軽よりも一つ下の身分。
 松下村塾に10月に入塾したが、松陰は12月下獄した。
 1863-7の薩英戦争のときは、山縣は26歳で、奇兵隊軍監として壇之浦支営の司令。翌年が四国艦隊との戦争。26歳でリューマチス。
 薩長盟約は慶応2年1月。慶応3年5月2日、30歳で京都に行く。同行は鳥尾小弥太、伊集院兼次郎、中村半次郎。馬関で中村と待ち合わせた。5-18に初めて西郷とも会う。6月に京都から帰って7月に結婚。
 前原は陸軍関係の先輩。全く一介の武弁だった。
 親友は従道のみであった。西郷は徴兵で良いと考え、従道をして山縣を助けさせた。
 征韓論のとき、山縣は瘧[おこり]が起こった。※エピレプシー?
 頼山陽の漢詩はシナ人に見せられるようなものではない。
▼藤村道生『山県有朋』S36年
 奇兵隊のときに狂介と名乗る。
 M14、大山とともに東京防衛を建議。
 M8-12に廃刀令を建議。
 M22-2に月曜会を解散させ、偕行社に合一させ、三浦、谷、鳥尾らを予備にし、プロシア主義の外征軍建設で国論をまとめる。
 ※軍人勅諭は山県一人決めの修正憲法なのか?
 生涯の愉快事は、日清戦争で第一軍司令官となったこと。
 戦陣訓の祖形となる最初の命令は、山県がソウルに入ったM27-9-13に出した。
 三国干渉に反発する将軍連を抑えたのは山県の功。
 ニコライ戴冠式へは米国→仏経由で向かった。
 伊藤は大倉ふくむ政商資本家によびかけて政党をつくろうとし、山県は反対した。
 北清事変は山県内閣のときに起こった。
 M37-6、参謀総長になり、兵站総監を兼ねる。M38-12に両職解かる。
 日露戦争で山県は特に大本営に列することが許された。本人は満州軍GHQを望んだが、あまりに細部に口を出す性格なので、天皇が斥けた。
 山県は火鉢やテーブルを叩いて乃木の作戦を批難した。
▼W・ジャクソン『政治地理学』横山昭市 tr. S54年
 脚注、ソ連ではマッキンダー研究は公表されていない。
 南メソポタミアのシュメルの都市国家は確固に独立である。キシュ、ウル、ウルク、ラガシュ等。いずれもジグラットを有し、儀式場から発展した城壁定住地。そこからチグリス上流に殖民された。
 陸では隊商が結び、海ではインダス=ハラッパや紅海と船が行き来した。
 ナイルでは、メソポタミアにおいて不可能であった流域の統一を成功させた。陸では担夫と驢馬の交通に依存。
 フェニキアでは一人の王が多数の独立都市国家を統治。レバノン杉をエジプトまで運び、帰りはパピルスを積む。
 テュロス市は風向きに関係なく船を使うため島の南北に2港を整備し、メソポタミアとは駱駝で連絡した。テュロス商人は紅海まで進出。前814カルタゴ建設。前450にカルタゴ人はブリテン島に到達。
 ロンドンも元々独立都市なので、英国君主は儀式等に限ってロンドン城塞内に入ることを得。
 秦では人工運河が、インカでは道路が、内陸統一を実現した。
 19世紀殖民は鉄道が実現。ex.インド、シベリア、米西部。
 アレクサンダーの広域支配には、二つの首都(出撃拠点)が必要だった。すなわちバビロンとアレクサンドリア。
 始皇帝は長城で間合いをとり、首都から放射道路を造営。
▼青田学『金日成の軍隊』
 1947、日本製武器をソ連製に代え、48-2-8人民軍健軍宣言。
 45-10-25にソ連が空軍を組織してやる。これは海軍とともにまだ人民軍ではなかった。日本、シナの航空学校出身者を集めた。練習機は日本製。
 ※1957にマリノフスキが中共に提案した電波体制とは、SUB用ロランCのこと。
 国連軍が38度線を越えると金は満州の通化に逃げた。12月、平壌を奪回してからは慈江道別午里、または江界にいた。
 中共の抗米援朝志願軍は水中橋であらかじめ豆満、鴨緑江を渡河し、潜伏。
 ※このとき中共軍は石油のほとんどをソ連から補給された。もちろん製品で。そしてソ連自身はこの時期はまだルーマニア油田が頼みだった。とても米軍とは戦えた状態ではなかったので毛沢東をけしかけた。
 ソウル死守を唱える北鮮を中共がオーバーライドして指揮し、退却。※北鮮兵などというものは居らず、全員シナ兵だった。
 1958頃の北鮮軍訓練はすべて夜間と洞穴訓練。
 馬匹は1960’s中盤に車両化した。
 FROG-5/7は69から装備。
 南派ゲリラ戦は1965-7にテスト。67から正式に養成。
 金は非正規戦主義に傾き、68に近代化を主張した軍首脳を粛清。
 徴兵は16歳から。
 夏期は人民軍は0500に起床するも、1300~1350午睡あり。
 1988-1のプエブロ号事件で予備「労農赤衛隊」の3割が1週間で師団編成され出動準備。
 主たる基地は平壌~元山線以北の西岸。爆撃機は満州国境に配置。
 69-3に米はフォーカス・レチナ演習。米本土から空輸で援軍を韓国に移動させた。C-130/141など185機で。各機は21時間で到達した。
▼『海外国防資料』S42第27号その2
 朝鮮戦争で米軍1コDの1日あたり所要補給総量は500トン。対する中共は60トン。旧日本軍末期に等しかった。
▼堂揚肇『日本の軍事力』S38年
 SDFの1コDの1日戦時補給量は、糧食30トン、石油50トン、弾薬300トン、その他が35トン。
▼『ソヴィエト年報』S29年
 1927のソ軍はiD×70コに対しTK×180台。
 第二次五ヵ年計画を経て、1937にはiD×100コに対しTK6700台。欧州随一。
▼副島種典『ソヴェト経済の歴史と理論』
 1937にはトラック生産量でも欧州第一位になる。
▼コリン・グレイ『核時代の地政学』
 著者にいわせると、パワーは「攻撃の恐怖からの自由」というネガティヴな安全保障とは無関係で、「米国の価値を発展させること」がパワーであると。
 アトケソン将軍の観察。ソ連の長期目標は、へミスフェリック(半球的)なディナイアル(拒否)だ。
 ヨーロッパ・ロシアには460メートル以上の高地はない。
 黒海←→バルチック海間は1127km。
 コラ半島の海岸線は390kmで、その海岸線から浮氷原端までの平均水路幅は290km。
▼飯田嘉郎『航海術史』
 ヘロドトスによれば、前600エジプト王ネコはフェニキア人に東回りのアフリカ一周を命じた。彼等は沿岸に立ち寄っては種を撒き、収穫しつつ進んで、3年目に戻ってきた。
 前500、カルタゴのハンノ隊は、50橈の船60隻に3000人を乗せてシエラレオネに到着。食糧が尽きて、還る。
 地中海人によるインド洋季節風の発見は前100か。
▼H・シュライバー『道の文化史』邦訳1962
 ギリシャ人は黒海沿岸に殖民市をつくり、農産品を本国に発送した。
 クレタ、古代ギリシャ、エジプトの道路は商用でなく宗教用。
 ペルシャ王の道。ダリウスI世は統治のために道路を整備した。わざと主要な都市を避け、最短距離を通しているので、外敵には利用し得ない。※内線防衛作戦のインフラ。
 ペルシャ湾岸からアドリア海岸までの2500kmを乗馬伝令が10日で駈けた。
 インド初の統一者チャンドラクプタ(前298死)も総延長2400kmの道路を造る。多くの渡し場を摩擦なく運営させた。
 アレクサンドロスはギリシャ人の土木技師団を使い、迂回路の設営によりしばしば会戦せずして勝利を得た(p.32)。
 9万の兵が30km/日のペースでインドに進む。そこにマケドニアから絶えず補給が行なわれた。
 前13世紀のエジプトでは駱駝が知られていない。ロバと牛のみ。十分な水が得られないと南方には交通できなかった。
 ナポレオンの道路建設もローマ人に匹敵。
 前2世紀初頭までイタリアには古い未舗装商業路しかなかった。兵士の無聊からの反乱を予防するため、ローマは平時は軍隊を辺境での道路建設に忙殺させた。
 軍団に先行して道を直す工兵隊はローマ初期から存在。
 しかしローマ人は山間路は嫌い、できれば船、荒天時のみしかたなく海岸道路を歩くというスタイルを好んだ。
 南スペインのオブルコからカエサルは27日でローマに戻った。
 ローマは大規模な占領軍は置かず、わずかな駐屯軍と、道路によって急派できる本国の軍団により支配した。
 コルベールから道路と橋梁の整備を委託されたゴーティエ等、ローマ以後荒れ放題の道路の復旧に着手。近隣に水をあける。
 18世紀半ばまでに、かつてローマが13500km整備していた一級レベルの道路を、フランスは2500km有するようになった。
 1802~5のナポレオンのシンプロン峠道の開設には、発破が使用されている。※1820死の本多利明はとうぜんこうした情報を得ている。
 軍隊は発電所が脆弱であると考え、蒸気機関車を選好した(p.310)。
 ディーゼルエンジンの実用信頼性はWWⅠの潜水艦が初めて証明した。
 WWⅠ後、数十万台のトラックが市場で叩き売られた。
 中世ヨーロッパ人もアルプスの山岳を嫌った。
▼ケネス・マクセイ編『Tank Facts and Feats』1976
 古代の進化した軍事国家アッシリア BC1100~670。ヤギ皮を張って浮航渡河できた3頭曳戦車と弓兵。騎兵なし。
 記録された最初の chariots はBC3500頃、ウルとカルデアのスポークなし4輪・オナジャー4頭曳き・2人乗り車。
 エジプトはウルのスポーク付き戦車をコピーし、BC1680の対ヒッタイト戦に勝利。
 車戦は本質的に個人戦。だから人口が増し、集団戦術に移行すると廃れる。
 装甲騎兵があらわれると、車はそれに対する防護用になりさがった。
 中東では、ローマの Orchomenus の戦い(BC86)が最後。
 実質的にはペルシャがアレクサンダーに敗れたときに終わっていた。
 戦車の君臨期間は3000年で、BC700頃から装甲騎兵の時代になる。これが1000年続いた。
▼秋葉鐐二郎『宇宙開発近未来』1986-12
 抗力は速度の二乗に比例するが、熱の発生率は速度の3乗に比例。
 低軌道200kmの衛星といっても、遠地点では500kmになる。
 高度200kmは真空ではないが、固体が昇華し、消耗してしまう。
 真空中の衛星中のわずかな空気は、放電をきわめて起しやすくする。
 モンゴルフィエIR気球は、地面放射IRを熱源とする半永久高層気球。
 SEU・単一事象アップセットは、放射線によりデジタル記憶の1と0が反転してしまう事故。
 衛星を放射線から守るため、アルミ1ミリ厚板が必要。大気は遮蔽効果あり、高度500km=スペースシャトル高度の円軌道では、人体に影響ない。
 磁場の強さは距離の逆3乗に比例。
 重力は距離の二乗に逆比例(ケプラー法則)。
 軌道の摂動……6要素がゆっくり変化していく。
 ノズルの大きさを見れば、推力もわかってしまう。
 アブレーション断熱材は、シリカガラスで強化したフェノール樹脂。
 WWII中の固体ロケットの評価低かったわけは、今日のコンポジットに比しダブルベースで、工程のフレキシビリティ低かった由。
 液酸液水の実験は50年代の米でやっと。
 ペイロード10~100トンを中型、以下を小型、以上を大型という。
 フォン・ブラウンはV-2に翼つけて射程を延ばそうとした。
 シャトル発射はブースタ全開後、固定ボルトを火薬でふっとばす。
 放熱勢量は、(絶対)温度の4乗に比例。
 宇宙ステーションを回転させた動場でも、三半規管が角速度を検出し、不快。