さあ、そろそろ正月気分もおわりにしようか!

 71歳でいよいよ死刑となる前日にソークラテースは幼友達のクリトーンに向かって語りました。
 ――多数の連中(大衆)には、最大の禍いも、最大の善事も、なし得ない。彼らには、人を賢くする力も、愚かにする力もなく、ただ偶然のままにするのだ、と。
 この「愚かにする力もな」い、という今から2400年前の指摘は、滅法重大な予言だった、と最近つくづく思います。
 わたしは未だに携帯電話をもってない石器時代人ですが、過去4年ほどインターネットを覘いてきました感想は、ソクラテスと同じになります。インターネットは、日本の大衆(非ユーザーも含む)を、愚かにしませんでした。テレビは、左翼の工作員にとって、利用し甲斐があったでしょう。が、ネットはそうはいかない。理由は明白です。発せられたメッセージを後から誰でも随意随時にチェックできるからです。そのため、すくなくも恥を知る非匿名の人間にとっては、テレビの上よりもむしろインターネットの上での発言の方が、重く自覚されるのではないでしょうか。
 さて、過去1ヶ月ぐらい、わたくしが感心しながら巡覧している二つの非匿名ウェブサイトは、“極右評論”と“池田信夫 blog”です。
 どちらの執筆者もわたしは個人的に存じ上げない……というかどちらのサイトも一ヶ月ほど前に知ったばかりですけれども、池田氏のすごいところは、「間違い(突然変異)の多さは進化の原動力であり、それを事後的に淘汰するメカニズムさえあればよい」と、自分の間違いが他人によって修正されるかもしれないことを予期して放胆な提言を辞さぬ書きっぷりの良さでしょう。
 わたしは過去一ヶ月の池田氏の、自由化哲学についてのほとんどの識見に大賛成を表明したいと思います。ただし留保があります。NTTには詳しいはずの池田氏は、しかし、日本のユーザーの嗜好や、役所に頼らずに資本をかきあつめなければならぬ純然民間企業の経営者の現場感覚からは大きく外れた提言を敢えてしているのではないかと疑えます。しかしそれは「事後的に修正」可能な「過渡的な間違い」であろうと信じたいと思います。
 石器人ながら、素朴な疑問を陳べます。
 基地局のラックに、欧米の携帯スタンダードの低性能通信方式(GSM、または、2G)の基盤をさすのは、果たして安価で済むでしょうか?
 日本国内の基地局(都会の顕著なビルや田舎道の脇にある携帯電話用の送受中継アンテナ)の数は、小さい通信キャリア会社でも3万ヶ所、大きな通信キャリア会社では6万ヶ所に及ぶと承知しております。これにいちいち基盤を追加するだけで、手間賃その他が数百億円かかるんじゃないかと想像するんですが、それは激烈な競争をしている最中の非NTT各社(例えばソフトバンクはシェア20%に達しておらず、これまでにおそろしい借金があるはず)にとって、安価でしょうか?
 むしろ、通信力が日本の最先端方式の1000分の1程度にすぎない低性能の外国GSM規格など、日本国内から消滅させてしまったほうが、限られた諸資源を最大多数の幸福のために分配することにならないでしょうか。
 東京都内に90日以上居住すると登録している米国人(軍人は含まぬ)は9100人くらいと思いますが、この人たちと在日米軍人は、日本の携帯電話に加入した方がよいはずです。海外通信市場の実情は、彼らは携帯電話に電話機能さえついていれば満足であることを物語っていますから、日本では彼らは型落ちの1円の機種を買い求めればよいはずで、それを不合理な負担と感じないでしょう。日本に短期滞在する(軍人以外の)米国人は1年で78万人強と思います。ヨーロッパ人の旅行者はもっと少ないと思いました。
 東京都内では公衆電話はずいぶん減ってしまい、わたしなどは大困りなのですが、外国人旅行者は、その代わりにインターネット端末を街中で利用できるでしょう。ホテルや空港や枢要駅には公衆電話があります。
 もしも、短期来日する欧米人の数が一挙にげんざいの10万倍くらいにも増えたとしたら、その需要は大きいと認知され、日本のキャリアとて、彼らのユーティリティを応分に尊重すべきだと考えるにきまっています。
 しかし、現状ではこれほどに少数のユーザーのために、通信各社と日本政府が、馬鹿にならない有限の通信諸資源を無駄に充当するのは、自由主義的とは申せますまい。
 外人のために2Gを整備するなら、わたしのような日本人のために、東京都内の公衆電話を復活させろと、これは声を大にして絶叫いたしたい! さもなきゃ、電電公社の加入料を返してくれと。
 ちなみに、日本の通信会社は、携帯端末の物販では、少しも儲けていないという話も聞いております。つまり、何万円もしている最新型でも、あれは原価割れだと。稼ぎは、あくまで通信利用料で、積み上げられているのだと。
 まして、日本のメーカーが、外国式の低性能端末をつくってみても、製造コストでアジア製と競争できないに決まっていますよね。
 では圧倒多数の日本のユーザーは、どんな通信を利用したいのか。答えは日本の市場がすでに出しているでしょう。公衆電話サービスでないことは確かです。(ちくしょ~!)
 1億3000万人の国民(+外国人)が暮らすこの日本国では、電話は、いまや、音声以外、殊に文字の通信が、主機能となった。これは、通信の専門家も、評論家も、誰も予測しなかった、世界史的な事件です。(わたしはFAXの黄金時代が日本に来ると思っていました。それをPCインターネットではなくケータイが、超えてしまった。)
 シナ語でも朝鮮語でも欧語でも、このような通信市場の大成は、あり得なかったでしょう。日本語だから、出来た。無理に関連づけると、かつての日本のマンガと同じ現象です。
 ここにガンガン投資していけば、日本語を使えるというアドバンテージで、アメリカの情報力に部分的に対抗できる日が来ます。通信規制をやっているシナなんかメじゃないよ。
 文字通信のできる携帯電話と日本語は、特異的に相性が良いんでしょう。英語は、デスクトップPCのインターネットとは相性が良いれども、携帯電話の文字機能とは、あまり相性が良くないんだ。いまさらにあっと驚けるそんな真実が、市場によって顕示されているのでは、ありますまいか。