『ニーチェは見抜いていた』を自由に読める日本の有難さ

 畏友・適菜収氏によるニーチェ紹介の第二弾:『ユダヤ・キリスト教「世界支配」のカラクリ』は、ハードカバーだが価格も当世風に妥当であり、なにより読み易いので、読者のカネと時間を無駄にさせない。
 適菜氏は半端でないニーチェの理解者で、その深さに、この兵頭などはシャッポを脱ぐ以外にないのである。出版界では無名の存在であった。ところが前著『キリスト教は邪教です!』がいきなり講談社から出版され、いきなり1万部を越えたという(現在までの部数は聞いていない)。新人が書いた最初の哲学の本がたちまち1、2万部だなんて、あり得るだろうか。マーケットは、適菜氏がホンモノだと認めたのだ。あとは、優秀な伯楽、すなわち編集者が、どのようにして適菜氏の第二、第三の企画をプロデュースしていくのか、秘蔵状態の適菜氏の変わった引き出しの中身を商品化して呈示してくれるのかが、ひたすらに待たれていたのである。
 テレビの見過ぎで、自分はいつしかタイトルのキーワードだけを見て見境いなく吠えかかる狂犬神経症の同属に一致しつつあるのではないか、たまには時の試練を経た古典的名著のおさらいもしなければ正常な判断力を維持できないのではないか――との健常な懐疑の衝動をまだ抱懐している男子諸君には、本書の購読を推奨する。
 ただし、この本の活字量の半分を占める、B・フルフォード氏の力説するところは「デムパ」に近い上に面白くもなんともなく、ナナメ読みによってさらに時間を節約することが可能だろう。この本の真価は、まったく適菜氏のニーチェ解説の部分にしかない。哀れにも、ニーチェを読んで理解しなかったことがほぼ確実だと本書のなかでバレるフルフォード氏は、ニーチェが反発したはずのアプリオリな西洋式発想、すなわち、世の中の万象のおおもとに唯一の原因がなにか隠されて在るはずだと詮索したがるパターンを、ネガ/ポジ反転させて、悪のプロットの根源探しに取り憑かれている御仁なのだ。日本の出版言論がテレビや新聞の何百倍も自由であるために、著者のキャラクターをその著作から読み取ることができるのは幸せである。
 なお、『東京あけぼの』の定期購読者の方々は、兵頭が適菜氏とは異なる西洋古典の読み方をしていることが容易に承知されるだろう。