福沢の脱亜論に賛成するなら、教育勅語は棄却するのが当然

 慶応4年の五箇条の御誓文を最も深く理解した男の一人が福沢諭吉です。ところが、この福沢の路線に猛反対する、強力な反動勢力がありました。
 反動勢力は、明治22年に何を恐れたでしょうか?
 大日本帝国憲法が、五箇条の御誓文を、福沢の「註解」に沿って、リアライズしていくのではないか――と怖れたのです。彼らは「近代」を怖れたのです。
 彼ら反動勢力は、いかなる国と国、いかなる人と人も、上下関係で規定されるべきだと考える、シナ思想や朝鮮思想と近親な、日本の腐儒でした。もちろん、法の下の平等など歓迎しない、大アジア主義者(白人差別主義者)のシンパです。彼らの仲間は、福沢その人を物理的に暗殺しようとさえ考えました。いかにも維新の偉大な自由主義精神とは無縁の者どもだったのです。
 彼ら反動勢力が大々的に企んだ国家叛逆が、明治23年の教育勅語の発布でした。これは、明治憲法が五箇条の御誓文をリアライズしてしまうことを徹底的に妨害するための道具として、わざと用意されたものです。その効果は、致命的に、ありました。
 教育勅語が附録されてしまったことによって、大日本帝国憲法は、いきなり傷つけられてしまいました。反動勢力は、教育勅語を強調することで、五箇条の御誓文の維新精神を踏みにじることが、いくらでも可能になったのです。
 昭和天皇は、教育勅語が、五箇条の御誓文とバッティングするものであり、現に、大日本帝国憲法を歪め、軍部や官僚や政党政治家を勝手に暴走させ、日本を無道な同時多正面戦争に向かわせていることを、ご存知でした。しかし、あとの代の天皇が、さきの代の天皇の勅語を廃止することは、よほどの事情が発生しない限り、不可能です。ましていわんや明治天皇は、近代的な立憲的天皇の第一号であり、三代目が軽々しく批評できません。
 が、その「よほどの事情」が、発生しました。日本の完膚なきまでの敗戦です。
 すんでのところで、日本全土がソ連軍に占領され、革命騒ぎの中で国民は快復不能なダメージを半永久に蒙り、皇室は消えてしまうところでした。
 ここにおいて、昭和天皇によって、1946元日詔書が発せられました。その中で、一挙に五箇条の御誓文に帰るべきことが宣言されたことにより、大日本帝国憲法と教育勅語は、廃止されました。
 こうして教育勅語を葬ったことで、昭和帝は、明治帝の痛い間違いをリカバリーしたのです。この1946元旦詔書によって、昭和帝は、明治帝の偉大さに並んだ、と兵頭は思います。
 多くのバカ右翼は、教育勅語を礼賛しながら、朝鮮人を攻撃しています。
 あらためて言わせて貰いましょう。“That’s why you are baka”.
 ところで日本政府は1951年にどうして、「1946憲法は軍令で押し付けられたもので無効だ」と宣言できなったのでしょうか?
 米国の脅しが「また原爆を落とすぞ」というものであったなら、抵抗はできたのです。
 しかし米国の脅しは「皇室を潰してやるぞ」でした。これには日本政府は、抵抗できませんでした。
 岸内閣の安保改訂以前の米軍は、どう見たって、日本占領軍です。1960年以前は、米軍が動くことによって、日本の政体と国体は、どのようにもされ得ました。
 安保と駐留米軍がいるのに、政府が「押し付け憲法だった」などと言えば、日本国内で米軍による政権転覆→傀儡人民政権樹立による天皇処刑裁判、という流れにもなりかねなかったのです。挑発はできなかった。
 ではそれ以後はどうか?
 ここで1960安保騒ぎの意味が想像できるのではないでしょうか。
 この時点では、日本の指導層はようやく、米国が一枚岩でない事情を把握できていました。つまり、じつは1946にはマッカーサーが単独で、豪州とソ連と米本国左翼からの皇室廃止要求があることを利用して、ムチャクチャな奴隷宣言の前文や9条を、日本政府に押し付けたのであった、と承知した。
 しかし、もう1960になると、米国は、軍隊を直接に動かさなくても、二流の政治家や左翼をけしかけることで日本の政府を転覆させることができるようになっていたんです。
 「押し付け憲法だった」とか言って米国を刺激することは、引き続き、不可能になってしまっていました。
 それで、政府がそこまで動けぬということを察し、若いインテリが暴れたのです。彼らは、日本政府がいまや米国から非軍事的にも金縛りされていると勘付き、ならばと政府に代わって反米&腰抜け日本人批難の心意気を示そうとしたのです。
 ところで兵頭は「勝手にソーラーライトを愛好する会」の会員No.1ですけど、透明の太陽発電パネルが大普及してコストが下がった場合(おそらく欧州諸国で国策としてそう仕向けるだろう)はともかく、黒いパネルしかアヴェイラブルでない現在のわが国で、個人の家庭の屋根に、大面積の太陽電池を取り付けようとするのは、資源と取得費と維持修理費の無駄である、と見積もっております。
 そんなことをするくらいなら、屋根を透明の「温室」構造にして、太陽光線をそのまま、冬の屋内暖房と、屋根の融雪に、役立てた方がいい。もちろん北国専用になりますけどね。
 聞くところでは、屋根上の温水器も、頻繁に修理が必要で、維持費は高くつくようです。だからあまり普及していないのかと納得しましたよ。北海道では、留守中の配管の凍結防止対策だけでも、途方もなく厄介なはずですからね。
 光エネルギーは光熱源として、また、風のエネルギーは運動エネルギーとして、そのまま利用するのが、より効率的であるはずです。
 尤もオランダでは、かつて風車が排水用動力として使われていましたのに、今では、電気モーターより効率が悪いというので、伝統的な風車は、観光用に実動文化財として保存されているのみです。
 風車で発電して電気モーターポンプを動かして揚水したらそれは風車排水よりも省エネになるのかといえば、なるわけはない。しかし、変換効率とは別な、エネルギー利用の便利性が、選好される場合があります。
 そのひとつの例が、システム完結型の、1個数千円の、ソーラーライトなのです。LEDのおかげで、昼間の充電によって、夜の間じゅう、点灯させることも可能になった。これはすばらしい技術進歩じゃないですか。江戸時代の行灯とくらべたら、はるかに明るいんだから。
 まずはシステム完結型の趣味用のソーラーライトの高性能化を、もっと多くのメーカーが本腰を入れて推進すべきなのです。もし、読書灯のレベルにまで改善できれば、これは電気革命です。またそこで得られた技術知見が、かならずや、もっと大規模な太陽光発電システムに活かされるでしょう。地域発電に乗り出すのは、その後でいいでしょう。これがわたしの判断です。
 わたしは宮古島を観光したことがありますが、ものすごい頑丈な鉄筋コンクリートの風力発電塔が、一回の台風で根こそぎぶっ倒され、さらに、崖に設けてあるコンクリート製の柵が、これもただ風にさらされていただけのはずなのに、ポッキリと折れたりコナゴナに割れたりしている様子を見て、「風力は日本では地域の安定電源にはできん」と確信しました。
 各地の風力発電施設を御覧なさい。必ず、羽の回転がとまっている塔があるでしょう。一定しない風を相手にする回転機構は、効率を追求すれば壊れ易くなるし、強度やメンテナンスフリーを追求すれば、仕事効率が悪くなる。ダメなのです。
 ちなみにオランダの風車は、専従の番人が、細かい制御をしていました。あの羽は、骨材がメッシュ状になっていますが、微風のときはその一部または全部に布をかぶせ、強風のときは逆に布を外す。微妙に加減していたのです。また、風車の回転軸そのものを、風に正対させることができました。これは大仕事でしたが、オランダでは風向きが安定していたので、そういう正対作業は、あまり頻繁には要求されなかったわけです。
 江戸時代、オランダと交流のあった日本で、風車がまったく普及しませんでしたのは、日本では昼間の風向がまったく一定しないのと、小さな丘がたった一つあるだけでも、陸風はてきめんに弱まるためです。
 風力エネルギーをどうしても利用したいという場合、日本ではどうすれば合理的になるのか。これはもう地域でなく、各家庭(ただし海岸部限定)で使うことでしょう。コンプレッサーにつなれば、ミニ冷蔵庫ぐらいは運転できるでしょう。また、携帯電話や、電池式掃除機への充電にも使えるでしょう。いまのところは、それ以上は、無理なのではないか。
 沖縄県によく見られるような、各家庭の屋上タンクに、上水を揚水するための動力源とするのはどうか? ダメです。あてにしにくい動力源で、ライフラインを維持しようとしてはいけない。
 米国西部に昔あった、地下水の汲み上げ用の風車。じつはあれは明治時代に日本に輸入されているのですが、やはり普及しませんでした。ダメなのです。だからこそわたしは呼びかけたい。
 「キミも、『勝手にソーラーライトを愛好する会』の会員に、ならないか?」