雑誌雑話

 月刊『正論』5月号に、国会図書館で雑誌『正論』の昔の記事を検索できない、というユル~イ記事が載っている。ユルすぎて腹が立った。まさに右翼の弱点はこういうところにあるだろう。必要な情報を公共ストックの中から手繰り寄せる基本的なノウハウすら持ち合わせないのでは、外国に対してはおろか、国内の反日左翼に対してすら、とても勝ち目などない。
 いまはOPACに統合されたと思うが、館外からオンラインでアクセスできる環境ではなかった10年くらい前、国会図書館内の雑誌記事検索PCと書籍雑誌タイトル検索PCは、別建てで、分けられていた。
 そして、学術雑誌ではない商業雑誌の記事データは、どうやら、その商業雑誌が社の自費で打ち込んだ目次データの記録媒体(磁気または光)を国会図書館の雑誌セクションに寄贈することで、補綴充実がなされているように思われた。というのは、雑誌によっては、まったく記事検索不能なものが多かったからだ(たとえば『発言者』に寄稿するようになったとき、礼儀として過去の注目すべき記事をひととおり読んでおこうと思ったが、そもそも創刊号いらいどんな記事があるのか、国会図書館では調べようがなかった)。
 もちろんミリタリー雑誌の過去記事などは、大概、検索できなかった。しかし、中に稀に、検索できるマニア系雑誌もあった。その雑誌社では、わざわざ一人の社員に過去記事データを整理させ、しかも、国会図書館へFDを寄贈していたのだろう。、
 そこでわたしはこれではいかんと考え、勤務先の『戦○マ○ジ○』のバックナンバーを、勤務開始以前の号からさかのぼって創刊号まで、すべての記事タイトルと記事および写真の簡単な説明をワープロ入力し、キーワード検索容易な一本のテキストファイルとして、複数の「パソコン通信」にアップロードした。そもそもの動機は、社員記者としての自分が過去記事の探索を容易にする目的であったが、これを公共にも提示したことによって、日本の戦車学習者は、わたしが勤務開始する前の同誌の記事については、労することなく漏れなく検索できるようになった筈である。
 このような簡易で原始的なデジタルデータベースを、すくなくともすべての雑誌編集部は自前でつくるべきだとわたしは信じていたが、月刊『正論』がそれをしていなかったと判明したのはショックだ。
 昔から、有名どころの商業雑誌(週刊誌を含む)の記事検索がひととおり可能なのは、民営図書館である「大宅壮一文庫」のPCだった。(正論5月号の記者はあきらかに都内にあるこの民営図書館を利用したことが一回もないのだろう。ある意味、感心した。)
 その大宅壮一文庫の充実した先進的なデータベースへは、10年くらい前のある時期から、都立中央図書館のリファレンスコーナー端末からもアクセス可能となったので、愚生などはたいへん重宝したのである。
 ちなみにもし、都立中央図書館にあると分かっている雑誌のバックナンバーを調べるならば、わざわざ国会図書館に出掛ける馬鹿はいない。書庫からの出納に時間のかかる国会図書館と違い、都立中央の方は回転がはるかに迅速で、一日に何十冊でも閲覧することが(閲覧者に体力が伴う限り)可能だからだ。つまり、正論5月号の記者は、都立中央図書館にいりびたったこともないのだ。
 かつて、山手線の内側に居住していた当時、広尾の都立中央図書館で、わたしと同業のほぼ無名ライターたちが、スポーツ誌やファッション誌の古いバックナンバーを次々に出庫してもらって、机上に山積にして過去記事をチェックしている必死な姿を、わたしはいつも見かけた。「こいつらに負けてはいられん」と思うと、眠気も吹っ飛び、連続5時間以上もメモをとるのが苦痛ではなかった(わたしが思うに、フォトコピーは情報整理をすこしも楽にしない。要約力も身に付かない。日本の庶民に読解力がないのは、要約力がないのと、イコールであろう)。
 雑誌『正論』は、大学院生のアルバイトを雇って、過去記事の目次ぜんぶをデータ入力させ、逐次にインターネット公開するべきだろう。その際、記事タイトルから記事内容がぜんぜん推測不可能なものも少なくないので(とくにコラム系)、記事内容のキーワードも併せて入力してもらうことだ。
 ところで、図書館に日参する往復交通費は、積もり積もれば、バカにならない。
 また、社会人になると、時間が貴重になる。
 何年も前に佐藤優氏が、〈活字の書籍くらい情報がテンコモリで取材と整理の手間がかかっていてそれでいてハンディで吸収しやすく廉価なものはない〉(i.e. →これを取得する金を惜しむ者は、情報が人に得をさせるものだと理解できない人間である)――といった見解を述べていたが、まったくその通りと思えるようになる。
 ライターになってみると、ほとんどすべての雑誌は、その中の、一つか二つの記事しか、味わう価値は無いと知る。だが、その一つの記事を載せていてくれることに重い敬意を表して、1冊ぶんの対価を支払う気にもなるのだ。
 もしも、某著者の一つの記事しか載っていないのでその雑誌を買わなかった、と公言する人が某著者の「ファン・サイト」などを運営していたら、某著者は悲しむだろう。もちろん、そのようなことはあり得ないしまたあってはならないことだが、多くの雑誌消費者は、雑誌一冊まるごとが情報娯楽であることを期待している。
 ここから、怖い話になる。
 十年以上前、「二十八」という珍しい名前を、発行人のクレジット(中綴じ雑誌の場合、「表4」の背の近くに縦組みで提示してある)として拝見したことのある「英知出版」が、昔のような雑誌をとっくに出さなくなっていたことを知らされた。
 エロ雑誌などは「その中のたったひとつの写真」だけが雑誌の価値であった。しかし、それに対して数百円を支払うのは惜しい、また、そのたった一枚が含まれているかいないかをコンビニ店頭でブラウジングしてチェックするのが面倒くさい、と感ずる不熱心なネットユーザーの消費者が増えてしまって、斯くはなったのであろう。
 してみるとオピニオン誌や総合雑誌がまだ生き残っているのは、雑誌ぜんたいがトータルで「娯楽」と買い手に受け止められているからだと考えるしかない。
 これは考えてみればおそろしいことだ。保守系の雑誌がサヨク系の雑誌よりも売れているのは、非常にたくさんの「バカ右翼」が一つ一つの記事の内容もよくわからずに一冊全体の雰囲気を買って楽しんでいるからだ、と想像できるからである。
 国際宣伝戦は、このバカ右翼オナニー空間からは隔離された場所で、独立に展開しなければ危うい。「史実を世界に発信する会」は、比較的にこの理想に近いのである。
 余談ついでに説明しておく。わたしが劇画の原作者としてデビューしたとき、既製の脚本家で、わたしの本名とよみ方が全くおなじ人が既にいらした。その字は少し異なったのだが、いずれにせよ営業にはならぬ。劇画と映像とではいちおう棲家は別とはいえ、大先輩もやはり迷惑だろう。そこで、後進のわたしが、敢えて、この業界に二人と有り得ないペンネームを考案せねばならなかった。
 そのときわたしが思い巡らしたのは、将来、じぶんの単行本を出すときのマーケティングだった。本は書店に搬入されてしばらくすれば、平積みではなく、棚に入れられる。そうなると、来店客にアピールするのは「背文字」だけだ。
 背文字だけで目立たせる著者名とする必要があると考えた。
 日本男子の下の名前で、三文字のものは、珍しい。それだけでも、棚のなかで識別され易いだろう。
 そのうえさらに目を惹く工夫はないか? わたしは、「直木 三十五」の名前が目立って感じられることに注目した。理由を考えてみると、漢数字は画数がすくないのと、やはり、小切手や領収書などに記入される「金額」の字面を連想させるので、思わず成人男子の注意がそこに惹き付けられるのではないかと想像した。
 あとは、漢数字三文字で可能な組み合わせのうち、既製にみあたらず、将来も誰もつけそうにないものを、選ぶだけであった。
 というわけで、十年以上前に、英知出版の雑誌の背に「二十八」という実名を拝見したときは、真に驚いたことを思い出す。これを先に承知していたら、わたしのペンネームは、違ったものにしていたであろう。
 国際宣伝戦について生々しく直感したい人は、ブログの「ヴォータンの告白」の2007-3-30の記事に目を通されることを推奨する。
 米国での宣伝戦は、攻勢をとり続けない側が負け犬になる。歴史の真実は、長期的には明らかになるが、短期的には宣伝攻勢をとっている側が、歴史の真実とは無関係に、政治的な勝ち犬になれるのだ。「ユダヤの陰謀」はまったく関係がない。「東部のインテリ都会住人で経済的に不満がある米国人」に、独特の発想パターンがあるだけだ。これについて、アン・コールターの名著の邦訳をまだ読んでいない人は、すぐに読むべきだ。そうした安価な学習すら惜しんで2chなどに日本語で書き込んで満足しているオナニー野郎にも、反近代の大アジア主義バカ右翼にももはや用はないから、わたしたちは「史実を世界に発信する会」をつくったのだ。
 宣伝戦で受け太刀に回ってはいけないことを、何年も前から、わたしたちは日本政府と有志に警告してきた。
 外務省や中央省庁の役人には国際宣伝戦は絶対に担任できない理由も、何年も前から、わたしは指摘してきた。
 そして「図書館データベース問題」は、本の虫だけの問題ではなく、まさに国防問題であることも、わたしは昔から指摘してきた。
 公共図書館が対外ホワイトプロパガンダのためのデータベースをつくらないのならば、個人が、ネットに資料の要約紹介をアップロードすることで、事態を改善すべきだとも訴えてきた。
 しかるに事ついにここに至る。敵は人海を動員して英語で世界のメディアに全線攻勢をかけ続けている。日本のバカ右翼は国内のネット空間に日本語でオナニー文章を書き込むのみ。くわえて、いよいよ反近代の「大アジア主義」のお里があらわれてきた。外務省は、1941年12月のパリ不戦条約違反に東郷外相が積極加担したことを認めることができないので、1946~1948年の東京裁判に関する反論も、P屋への新たな言い掛かりに対する反論も、自粛する外にないのである。
 行動する者は、バカ右翼空間から去り、「史実を世界に発信する会」の手法を学べ。まだ遅くはない。