ミアシャイマー教授の間違い

 訳書『大国政治の悲劇』へのコメントは、6月25日配信の「読書余論」(有料)の中でする予定だ。
 ここでは一点だけ……。
 教授は宣言している。リアリスト理論では、各国の内部の構造は捨象されると。外部の環境だけが大国の行動に影響を与えるのだ、と。
 また彼は認める。ドイツは1914より1905に、対仏or対露戦争を起こしておいた方が、はるかに有利であった。それをしなかった理由は、彼のオフェンシブリアリズム理論では説明はできない――と。
 然り。重ねて然り。彼の構造本位論のまさに反証が、1905のドイツと1941の日本であろう。
 どちらも特異な「参本」にかかわる国内事情により、やりたい戦争ができなかったり、あるいはすべきでない戦争に踏み込んだ。
 日本について、どうやら以上の説明を、英語で主張してこなかったらしい日本の政治学者や現代史学界は、恥ずるべきである。
 1906に、ある参謀が退任した。シュリーフェンが! 彼の精緻な内戦機動戦争計画が完成し、採用になったので、満足して、引退したのだ。
 逆に言えば、参謀本部が一つの壮大で総合的な戦争プランをまとめて隅々までチェックし終えるまでは、ドイツは、千載一遇の環境が完備しているのを見てさえ、拙速な開戦は、いくら君主がしたくとも、できなかったのである。ロシアの日本に対する大敗と、同国内での革命騒ぎの混乱は、ドイツ参謀本部に、対仏戦争の全計画の根本からの見直しを促していた。外部の環境ではなく、参本が戦争計画を決めるという内部コンスティテューションが、大国ドイツの行動を縛るものであったのだ。
 1941の日本は、正気の君主が開戦=破滅と理解して反対しても、参本の開戦計画が9月6日に東条陸相のプッシュでひとたび走り出したら、誰もそれを止めることができなくなった、というケースである。これもオフェンシヴ・リアリズム理論などで説明ができるわけがない。ミアシャイマー教授もそんなことは感づけるはずだと想像できる。だが、シカゴ大学にすら、教授の説の明白な反証となる、日本の開戦を詳述した適切な英語文献は、皆無なのだろう。
 わからない人は、『東京裁判の謎を解く』を未だ買っていない人だから、まずはそれを買って読むことだ。幸か不幸か、編集長が替わった『諸君!』が、仰天するほど低調化しつつあるので、その3号分の予算でも廻しては如何。
 さて、このたびわたしは、政党機関紙『新風』の平成19年6月1日号に、次の激励文を寄稿した。
 この選挙を傍観することは許されぬ。「一票の価値」が、これまでとは違う。これまで何度も国政選挙に失望してきた有権者よ。ただ、一票を行使せよ! その一票が日本を変える日が、ついに来る。一票が一議席を実現するだろう。その一議席が、日本を変えてしまうのだ。戸外に出よ! 歴史が改まる瞬間に、立ち会わん。
 活字ではなぜか、上掲原稿のエクスクラメイション符号がぜんぶ「。」に変えられている。政党の新風に、果たしてアジ文の骨法を理解する者がいるのかどうかはわたしには疑問と思えるのだが、瀬戸氏を候補に公認したのは奇跡的なほど正しい。瀬戸氏のキャラクターはネット時代の有権者の言語レベルに絶妙にマッチしていて、余人の追随がありえないほどなので、20歳代のネットユーザーの当日の投票率さえ上げることができれば、1議席は考えられる情況だ。
 是非とも支持者たちはK明党の向こうを張り、当日の朝、「そこのおまえ、ネットサーフィンなんかしてる場合か」という尻叩きを、オムニプレゼンスに、書き込むべきだろう。単に、投票場に行け、とだけ煽動を試みるのは、公職選挙法には違反をしないとわたしは認識をしている。
 ところで、政党のインサイダーではないわたしの希望は、1議席獲得の、そのさらに先にある。
 「バカ右翼が、バカのままでは困るだろ」との自覚ができなければ、党勢は決してそれ以上には伸びて行かない。昔の「新自由クラブ」よりも早く、尻すぼみになるか、分裂してしまうだろう。
 「消えた年金」問題に関して、いちばん説得力のある解決ビジョンを示すことのできる政党が、全国の中流以下の有権者に、圧倒的にアピールするはずだ。「格差社会」なる標語はパンチ力不足であり、たぶん論点とはなるまい。保険と税金を、時勢についていけない低所得or高齢の国民に本能的に信頼されるくらいに、どうやって極端なまでに単純化してやれるのかが、最大のイシューとなるだろう。
 厚労省&市区町村役場に向いた目下の小噴火の下には、全国の老人が郵便局のATMを操作して年金を受け取らなければならなくなっていらい、ずっと昂進しつつある、「オンライン弱者のオンライン不信」「PC弱者のPC不信」というマグマがわだかまっているのだ。その不信感・不快感が、政府や役所や役人や公務員労組への不信感・不快感と、ピタリ、重なるときに、日本社会の「ノン・エリート」が全「エリート」に向かってアナーキーな大噴火を起こす。
 類似事故の発生防止のキモは、おそらく公務員の天下り規制などではない。衆議院議員である政治家が、配下の役人を随意にクビにしたり配転できない法制と慣行が癌なのであり、その大元は憲法なのである。
 そこで、ミアシャイマーの誤謬に話が戻って行く。外部要因ではなく、まさに1941年の日本国内の公務員制度が、自衛戦争とは呼べない対米戦争を引き起こした。これが分からないというバカ右翼には、戦後の公務員制度の問題も、把握できる道理がないのだ。〈あいつは高級官僚に勝てない政治家だ〉とひとたび知れたら、有権者の支持は、そこまでなのだ。国民は、敗北することに、飽きている。