卵とニワトリの順番

 加圧水型原発は、米海軍の原潜用のコンパクトなボイラーを陸上に据えつけたものだった。
 その発想をさかさまにし、陸上に人工の池(ドック)をつくり、「前に進まない原潜」を浮かべておけば、どんな大地震がきても平気な原発ができるだろう。ちなみに、米海軍の原潜用エンジンがメルトダウンなどの放射性物質を撒き散らす大事故を起こしたことは、過去に一度もない。初代のノーチラス号から、一度もだ。
 経済社会の安全のため真剣に投資しようという気があるのなら、日本もこのくらいのことはできるだろう。
 ところで米軍は、日本政府や自衛隊が、秘密を満足に保てぬ機構であることを、確認してしまった。
 秘密を守れなくなった理由はシンプルで、日本の防衛はある時点から真剣なものではなくなり、「防衛ごっこ」と堕しているからである。緊張の糸は溶解してしまった。
 MDなんてものが役に立たぬことを、防衛省の役人も、歴代長官経験者も、請負メーカーも、知り尽くしている。しかし核武装ができないから、そんなものにでも打ち込まなければならぬ。与野党の政治家にシナ・北鮮と戦う気概はない。米軍は陸自を対支戦の尖兵に仕立ててみずからは極東を傍観しようとしている。
 日米同盟はソ連に対しては有効だったが、シナに対してはどうだか分からない。なにせ、アメリカが自身でシナと陸戦を闘う気はぜんぜんないのだ。またシナの日本に対する間接侵略の手段は、ソ連とは桁違いに多い。ソ共に一本釣りされた自民党の中堅若手などはいなかったろうが、中共(およびそのエージェントの北鮮)に一本釣りされている自民党の中堅幹部は何人もおり、それが除名もされず、堂々と活動を続けている。
 そりゃそうだろう。そもそも台北にかえて北京を承認したのは彼らの先輩たちだった。1970年代初めに田中内閣が朝日新聞とコラボして「対支賠償利権環境」(=過去の侵略の捏造流布)を整えて国交を回復して以来の腐れ縁がある。
 およそ攻防の協働がうまくいくためには、「遠-遠/近-近」の大法則にかなっていなければならぬ。すなわち、共通の敵国に対して、同盟国の間合いが等しくなければ、うまく働かない。
 たとえばシナに対してモンゴルとベトナムが攻守同盟を結べば、これはトポロジカルには「近-近」の挟み撃ちになるから、理想的である。モンゴルを攻めようとすれば南からすぐにベトナムが出てくる。ベトナムを攻めようとすれば北からモンゴルがすぐに出てくる。そういう関係だ。
 またシナに対して日本とインドが攻守同盟を結べば、これはトポロジカルには「遠-遠」の挟み撃ちとなり、やはり理想的だ。
 しかし日米同盟は、対支の同盟として、トポロジーの条件が、理想からは程遠い。日本はシナにずっと近いが、アメリカは地球の反対側に位置する。おかげでシナは、アメリカを気にせず、近い日本を先に間接侵略してしまえばよいと考える。かたやアメリカも、シナ軍がもし国境外に出てきたら、日本の自衛隊を単独でぶつけさせるのが安全・安価・有利だと、合理的に考える。
 かつてのソ連はアメリカとカウンターフォース・レベルのMADの関係を保とうと全力を傾注していた。経済関係の希薄な日本のことなどにかまけている余裕はとてもなかった。ところが今のシナは、ソ連を反面教師として、狡猾にも、アメリカに対しては、象徴的カウンターバリュー・レベルの「semi-MAD」までしか達成するつもりはない。これによってシナは米国から日本だけを切り離して恐喝もしくは篭絡することが可能になっている。核兵器をバックに、日本に対してのみ狙い撃ち式に間接侵略をしかけることができるのだ。
 これに対抗するには、ソ連のときとは異なって、日本は独自の核抑止力(射程6000kmの弾道弾はシナ奥地をカバーするがカリフォルニア州には届かない)をもつ以外にない。エスカレーションのエンドラインに、相手の大都市を破壊できる核ミサイルが控えているからこそ、海上での通常戦力の挑発に実力を伴った外交で応対する度胸が日本の政治家に与えられるのだ。
 しかし、シナと実力を背景にした外交をすべしと表明するマトモな政党が日本国内にない。
 しかたなく日本の防衛関係者は、実力外交と切断されたMDなどという「ごっこ」((c)江藤淳)にとりくまねばならないのだ。
 MDでは北京はビビらない。間接侵略は継続され、一本釣りは次々に成功する。政党まるごと朝貢団体化させる作戦は、第三党、第二党に関しては、順調に進捗しているようだ。第一党とて、この調子では、分からない。
 こうした政府や議会を戴いて、まじめに国防の一線に執務する者ほど、まじめにヤル気が出てこないから、いきおい、組織全般の精神も頽廃し、同盟国から貰った兵器の秘密もありがたいとも思えなくなるのではないか。
 1960年には、こんな精神頽廃はなかった。なぜなら1960年頃の国防指導層は、核武装を考えていたからだ。
 「30ロケット」と呼ばれた、とっくの昔にスクラップにされている国産の地対地ロケットがある。こうした古い国産兵器のスペックは、後になればかなり詳細に明らかになるのが普通である。公開資料に逐次的に数値が載るのだ。ところが、この「30ロケット」のスペックのうち、弾頭重量と炸薬量だけは、いまだに分からない。自慢にもならぬが、いままでどこにもその数値が出ているのを読んだ覚えがない。(直径30cm、長さ4.5m、弾体全重650kg、射程20km以上、ひょっとすると30km前後かも、とだけ知られている。)
 弾頭重量や炸薬量の秘密がこれほどよく保たれているのは、「30ロケット」が、日本版の戦術核兵器にするつもりで開発されたからだ。シナが核武装しそうだと判ってきた1959に、赤城宗徳氏が自主安保の結論に達した。またちょうど、米軍は世界最小の原爆を実用化しつつあり、その弾頭が核ファルコンやデイヴィークロケットに搭載される。核弾頭の直径は最小で30センチにおさめられるらしいとわかっていた。その直径30cmは、1960年から本格開発がスタートし1968に部隊配備された「30ロケット」と同じである。
 とうぜん、核弾頭は通常弾頭より軽く、よって、「30ロケット」の最大射距離は、二種類あったのだろう。やはりいまもって詳細は公示されていないけれども、通常弾頭で20km前後、核弾頭で30km前後だったのではないかという想像はつく。その二種類のイマイチはっきりせぬ数値が、過去の一般向け媒体の中に散見されたからだ。
 1960年代には、まだ旧軍の砲兵将校の生き残りがたくさん居た。「30ロケット」の弾頭重量や炸薬量が洩れると、「それは大距離射撃でありながら多連装でない狙撃的運用、しかも非誘導とする以上、通常弾頭としてはディスパージョンの関係から合理的ではあり得ず、おそらく核弾頭にするつもりなのだな」と容易に気取られてしまって、中共の手先である新聞どもが騒ぐに違いない、と懸念されたのだ。
 対支にかんしてはアメリカは頼れず、日本国は自前で核抑止力をもたねばならないという正しい使命感に燃えてこそ、関係者は責任を痛感し、国家秘密を守るのである。
 自衛隊が秘密が守れないから日本が核武装できないのではなく、日本の政治家に核武装する気がなくなったから、自衛隊にも「ごっこ」以上の緊張感が生じようがないのである。
 原発関係者が役人化しているから日本が核武装できないのではなく、日本政府に核戦備の緊張感がないから、原発関係者も弛緩しっ放しなのである。
 アメリカの原子力委員会は、核兵器を製造するための物質を管理する役目もあるゆえ、人選は厳重であり、秘密を洩らす者はすぐに逮捕される。
 それにひきかえ、日本の原子力委員会には、核武装反対という政治的スローガンを信奉する反日的分子が入り込んでいて、誰も「核武装しよう」と意見表明できないような空気に満ちている。これは、初期の科学技術庁が明瞭に「核武装準備庁」だったので、ソ共が、全力で工作員を関係諸機関に送り込んだ成果もあろう。とうとう、科技庁そのものも、1970年代のある時点から、核武装をあきらめてしまった。これは、佐藤栄作と田中角栄の二人の「負のリーダーシップ」と関係がある。以後の科技庁は「不具合隠し」にしか興味がない役人の集まりだ。
 ところで、故・宮澤喜一氏が存命中に、誰かが訊くべきだったことがある。昭和17年に死去している宮澤氏の祖父・小川平吉氏(元鉄道大臣)がもし終戦後まで生きていたならば、日露戦争いらいの政友会幹部としての華々しく勇ましい経歴からして、A級戦犯容疑で巣鴨拘置所に収容されたに違いないところだ。しかるに宮澤氏は、自民党の幹事長だったときに、日本の歴史教科書の編纂について、特定アジア国からの註文を特別に反映させろと指導する「近隣条項」を推進した。宮澤氏は、あるいは小川平吉がもし昭和23年まで生きていてもA級有罪になったはずはないと確信をするがゆえに、「近隣条項」などに賛成したのであるのかどうか。
 「靖国=東京裁判」絡みでシナから何度もイチャモンがつけられた折々に、宮澤氏にインタビューする機会のあったヘタレ記者たちがこの詮索を一度も正面から試みなかったために、われわれは今となっては想像をすることしかできない。
 しかし晩年の中曽根元総理との対談の中で、宮澤氏はいくぶん赤裸々に戦後の政府が選択したスタンスを告白した。片岡鉄哉氏が特に注目するように、それは、大国でありながら国家としての道義は忘れるという没義道の道である。近代国家倫理からの超脱だ。
 中曽根氏も、1970年代以降、シナが米国の味方になってソ連と敵対する構図が、世界を多角バランスさせるといった、キッシンジャー流の自由道徳排除趣味を肯定していたように見える。科技庁が創設された頃の中曽根氏は、核武装論者だった。それが、佐藤内閣が核武装をあきらめ、シナの要求どおりにアメリカが横田基地から核攻撃部隊を撤去すると、自由か反自由かのイデオロギーはどうでも良くなった。宮澤氏の同類となったのである。
 シナに屈服するという根源的な不健全路線を政治リーダーが選択しているときに、役人に国家のことを思えといっても、そりゃ聞こえない。
 日本はげんざい、ひきつづいて、シナ・朝鮮から間接侵略を仕掛けられている。攻撃されているのである。脅威は日常、いたるところに迫っている。国民の各層はそれを直感している。官僚までが「護民官」役を放棄して久しいのだ。
 政治リーダーが自主防衛を将来もずっと放棄し続けると裁断した1970年代から、役人の私益指向が進行した。米ソ対立のおかげでうまく隠されていた日本のパワーエリートの腐敗精神が、ソ連崩壊後、日照の下に顕かにされつつある。それが今日の事態だ。
 では目下、シナ・朝鮮から日本人をまもってるくれる「護民官」は誰なのか。
 人々はそれを知りたがっている。にもかかわらず内閣総理大臣は「五ヵ年計画」で頭が一杯だ。
 岸信介を峻絶した60年安保いらい、日本人は、「満州臭い」やり方を、ご尤もとは思わなくなっているのである。
 有権者に対して何の責任も負っておらず、今後5年は自主退職する気もない中堅官僚が「五ヵ年計画」を夢想するというのは、あり得るし、自然なことだ。
 またアメリカのシンクタンクが「日本はこれから五年でどうなるべきか」を考えるというのも、学問思想表現の自由で、ご勝手だ。
 当選を果たした参議院議員候補者が、さてこれから任期6年の間に何をしてやろうかと抱負を蔵するのも結構なことだ。
 しかし国の議会と衆議院議員選挙を通じて国民に責任を負う代議士である内閣の筆頭大臣が、もし「五ヵ年計画」のスケジュールをガチガチに固めて自分の最初の組閣をしたとしたら、それは、自信過剰かもしれない。五ヵ年計画の強力な推進役と、護民官役とを、一人二役に演ずることは、超人でなければ不可能である。
 護民官は急場の役に立たねばならず、突発案件に十分に集中できなければならない。国家も、あっという間に亡びることがあり得る。スタッフには任せられない。
 北京政府の攻撃手法も、決して相手に息つく暇など与えるつもりはない。不断に揺さぶりをかけてくるのだ。それに備えるだけでも、日本政府の筆頭者は、五ヵ年計画どころではなくなってしまうはずだ。
 戦後日本のリーダーは、護民官、集票マシーンに徹するべきであり、五ヵ年計画は、じぶんの後継、もしくは自分よりも眼識があると見込むナンバーツーの有能な閣僚(一人で無理なら複数でもいい)に託すべきなのである。小泉氏は、これをやったから偉いのだ。ブッシュ氏はチェイニー氏に中期計画をゆだねているだろう。
 日本のナンバー2クラスの閣僚ではないすべての衆議院議員は、仕事期間が保証されていないからこそ、五カ年計画ではなく、百年後の日本を誤らせぬための心配を、日々、国民と共にするのでなければならぬ。その訓練がベーシックになされていなければ、総理大臣が五カ年計画を任せるべきナンバー2も、どこにもみつからないだろう。
 そのベーシックな訓練は、GDP大国日本が核武装に向かって歩き出したあとからでなければ、確実に行なわれることはないだろう。