そらだまは快調だ!

 25日配信の「読書余論」は、これまたテキスト原稿データ換算で200キロバイトに迫る分量となってしまった。見ない人はきっと損をします。ただし有料です。
 毎月一回の「読書余論」も、積もり積もると、イッキ読みなど不可能な総体になってしまいますでしょう。バックナンバーを適価で購読できるからと、油断をしていてはいけません。時評絡みのコメント、エクスクルーシフなトリビア種を、タイムリーに読めないのは、やはり損でしょう。
 ちなみに「読書余論」は1ヶ月に1回配信で、その1回分が200円。うち100円は配信係の杉山さんに管理事務費用として取ってもらっていますので、著者は100円の小遣いのために1ヶ月の労力を投入しているわけです。ですから「読書余論」を購読する人は、わたしの労働時間を大いに搾取していると思ってくださって良い。
 わたしは今では「読書余論」の労力の余りで、完全タダ働きである「放送形式」に書キコしているに過ぎません。タダ働きとなれば、いきおい、サービス精神も低レベル。けっきょく宣伝(もしくは知り合いの雑誌編集者に向けた公開的伝言板)。無料CMというやつは、それを読む人の自由時間を宣伝者の方が搾取している構造になっているのに気付く人は、いてもいなくても構わない。あくまでメインの娯楽と教養は「読書余論」の方でしっかりお客様にご提供いたしておりますと、正直に公示しておくのみです。誠実でしょ?
 無料の情報は頭に入らないが、カネを払った情報は頭に入るものです。このメカニズムを利用している他の例が、カルト宗教だ。カネを納めさせることによって、信者は信心しようという気が強まるわけ。それは、凡夫は「対価」を求めますからね。カネを納めたのだから、何か「ごりやく」があるだろう、いや、あるはずだ、あるんだ! ――と、信じたくなりますな。いい仕組みですよね。まあ、その結果、少なくない上納金を十年以上も払い込んでしまいますと、いかに阿呆らしいカルトだと後から成長して気付いても、もう遅い。その宗教からは縄抜けはできないでしょう。だって、過去十数年もの上納金が、ぜんぶ悪い幹部たちの贅沢と権勢欲のための無駄遣いだったなんて、自分では認めたくはないでしょう? 凡夫は決して自分が頭が悪いとは認めません。その現代大衆心理をうまく利用する。古い労組も同じです。くやしいから自分が幹部になって、投資を回収してやれと思い立つ。悪い組織の思う壺ですな。
 「読書余論」は1回200円。3ヶ月分まとめて払っても600円。その価値はないと思ったら、購読申し込みを更新しなければよいだけ。スッパリと縁が切れます。カルト宗教や日教組などと違い、誰も引き止めません。しかし、200円払ったという緊張感が、貴男の頭脳には非日常的な刺激になり、知的体験は、血肉化するでしょう。どうです、良心的でしょ?