外務省工作局が逆に国務省を操りだしているのではないか。反防衛省の目的で。

 『voice』の9月号を拝読しての偶懐。
 マッカーサーが日本の「セルフディフェンス」を認めたことなど一度もなかったのではないかという『正論』8月号での兵頭の質問に渡部教授は、『正論』9月号だけでなく『voice』の連載においても、お答えになる気はおありにはならないのだと拝見をいたしました。
 いかにも「自衛」の解釈権は各国にあるのでしたが、それを列国に説得する義務もまた各国に課せられていたのです。スターリンは、日本は侵略者であるとまず演説し、それに対して自衛するという論法で、自国も批准しているパリ不戦条約を尊重する姿勢を世界に示し、その上で対日開戦しました。やっていることは野性の熊と同じでも、言葉の上で、「近代」というものが分かっていたわけです。
 ところが対照的に昭和16年の日本は、その説得に失敗している……というより、12月8日の大本営発表が端的にあらわしているように、これが自衛戦争であるという自己説明の努力などまるっきり最初からしなくてもよいのだという態度でした。その、言葉を軽視する精神が、あまりにも不逞なのです。インドなどとは違ってレッキとした大国でありながら、その不逞精神を表出した。そこが、グロチウスいらいの近代啓蒙精神を大きく後退させるものだとして米国の法律家から顰蹙され、日本人は約束を破ることを恥じぬ反道徳的国民だとも判断され、市街地を焼き払う作戦までもが正当化されてしまったのです。帝国陸軍参謀本部がソ連に対して、また帝国海軍軍令部がアメリカに対して、それぞれ奇襲開戦による国防しか考えるつもりがなかったのが戦前の日本。ならば、統帥大権を名目的に有する近代天皇の名においてパリ不戦条約を批准すべきではありませんでした。大国が公的に約束したことは、外見的に尊重しなければ、シナなどの中小国はますます条約を尊重せず、世界の秩序と安全は減るばかりでしょう。渡部教授らには、ここがわからない。おそらく一生、おわかりにはなりますまい。イスラエルのオシラク原発爆撃は自衛であるとイスラエル政府によって説明されました。多くの日本人はそれには説得力があると感じました。12月8日の中立国民の立場になってみて、開戦詔勅の「自存自衛」に、誰が説得力を感じたでしょうか。誰がまず日本もしくは日本の同盟国を侵略したのか。誰がまず東京を毒ガス空襲しようとしていたのか。
 鳥居民氏の雑誌対談は、自著新刊のダイジェストにもなっているようですので、いつも有り難い企画です。今回、鳥居氏は、「本来なら、たとえば英国は海軍が強くて陸軍は付けたり。米国も第二次世界大戦前までは同じです」(p.120)と発言しておられますね。
 「戦争大臣」は英国では戦前から陸相のことを指し、海相ではありませんでした。「戦争長官」は米国では戦前から陸軍長官のことを指し、米西戦争やメキシコ戦争の前後でも、海軍長官は閣内で遥かに格下の若輩者用ポストでした。考えてみましょう。イギリス海軍だけでどうしてナポレオンの間接侵略を防げたはずがあるでしょうか。アメリカ海軍だけでどうして大英帝国から独立し、領土を何倍にも拡大できたはずがあるでしょうか。残念ながら鳥居氏もまた、統帥一元の本義を掴んではおられず、日本海軍だけがあまりに異常で特殊であったことを、掴んでおられないのです。日本海軍の宣伝に、旧陸軍がやられたように、鳥居氏も、やられているのです。
 またこれは鳥居氏が既著でも書かれていたことだと記憶いたしますが、昭和16年11月30日の時点で海軍(永野)の本心は対米戦をしたくなかったのだと鳥居氏は確信しているご様子。そして、木戸が、その避戦のチャンスを潰したのである、と。この見方を現在でも鳥居氏は、維持しておられることが今回の対談で分かります。兵頭の見方は逆です。高松宮は永野の口先に騙されたか、あるいは何かのアリバイ工作の必要を感じて、昭和天皇を混乱させたのでしょう。児玉源太郎の子孫である木戸は、永野の本心(=対米開戦奇襲をすぐやるべし)を完全に承知し、同意していたでしょう。
 昭和16年時点で、陸軍も海軍も、パリ不戦条約を無視する奇襲開戦戦争しか頭になかったこと、しかも、統帥二元制度のおかげで海軍が陸軍の対ソ戦争プランの発動を頭から拒否できるために、陸軍としてはまず海軍の対米戦争プランに協力してやる必要があったこと。これをいまだに掴めない歴史整理の典型が、猪瀬直樹氏の新刊『空気と戦争』でしょうか。もちろん、各雑誌の新刊紹介文だけで、わたしは現物は読んじゃいないのですが。
 他誌の新刊紹介文によれば、猪瀬氏は、支那駐屯軍や支那派遣軍は不良資産だったと言っているようです。兵頭は、満州国こそが不良資産だったと考える。日本海海戦でロシア海軍が消滅し、またポーツマス条約で南樺太を獲得できた時点で、ロシア軍が北の樺太と南の朝鮮半島から日本本土をうかがうという、幕末いらいの日本の防衛不能の最悪事態は、やっと避けられることになりました。その時点で、満州の確保も、朝鮮半島の確保も、日本にとっては必要ではなくなったのです。しかし極度に労働集約的な日本式水稲作の農村から兵隊を動員してしまった以上は、その銃後への大損害の埋め合わせとして、政治家は、外国の領土と資源を分捕ってトータルで得をしたのだという国内向けの宣伝の配慮が必要でした。また帝国陸軍は、対ソ奇襲開戦のために満鉄を日常支配している必要があったので、満州事変も起こされた。ところが満州国の後背にはシナがある。ソ連としては、満州の日本軍を「近-近」でトポロジカルに挟み撃ちすべく、北支を反日化orソ連化させようと、とうぜん努力します。日本陸軍は、そのソ連に対抗して満州を確保しつづけるために、北支分離工作をせにゃらならなくなった。これは空気なんかじゃなく、リアルな要請があったんです。東條が「防共駐兵」と叫んだのは、それをしないと満州が南北から挟み撃ちされ、逆に満州と北支の日本軍が外蒙経由でソ連軍から背面奇襲をくらい、包囲殲滅される立場に陥るという危機意識でした。しかし、かりに北支を「明朗化」できたとしても、そのさらに後背には南支がありますから、こんどはソ連は南支工作や西域工作を続けたことでしょう。オセロゲームのように際限がなかった。しかもWWI以降は、奇襲は鉄道より先に飛行機でするものになっていました。関東軍がシベリアのソ連空軍基地に奇襲をかけようと大々的に準備を整えれば、一瞬はやく、ソ連はそれを察して逆に先手をとって航空奇襲を満州の陸軍基地へ、かけてこられる。梅津が見るところ、ソ連には、それほど隙がなかった。満鉄も空から爆撃されてしまうでしょう。関東軍がいくら満鉄を確保していようと、対ソ奇襲開戦などはできなくなった。だから関特演も対ソ戦にはつなげられなかった。もう、満州そのものが、日本の国防にとっての不良資産になったのです。海軍は、それに海南島をつけくわえてくれた。日米交渉で、海南島からは絶対に出て行かないとゴネて、日米交渉がまとまらないようにしています。海南島には防共の意味もなく、誰が見ても「領土的野心」ですよ。阿呆なシベリア干渉の代わりに、北樺太に傀儡ロシア政権を樹てておけば、それは良い資産になったはずでしたが……。
 かくして、陸軍の対ソ航空奇襲はとうてい不可能になったものの、海軍の対米奇襲(それは航空奇襲と潜水艦奇襲からなる)は、ひきつづき、容易と見られました。ですから、ドイツと連合しての対ソ戦をやってみたくてたまらない陸軍は、まず海軍に対米奇襲してもらうことを歓迎したのです。
 ところで防衛省は、このままでは国務省と結託した外務省によって潰されるから、逆襲しなければダメだ。省内に、勝手に「スパイ調査班」をつくり、「○○党の××代議士はシナからカネを貰っているスパイだ」「△△省の▼▼課長は国務省と結託して日本を売った」と勝手に天下にバラしていくことだ。そこまでやって、はじめて米国防総省は、日本にもっと秘密を知らせてもよいだろう、と考え直してくれるだろう。