あわび の おわび

 1995年に刊行し、現在は「武道通信」からPDF版が有料でダウンロードできる『日本の陸軍歩兵兵器』の中に、久々に、また新たなる間違いを発見しましたので、ここに謹んで訂正を告知いたします。
 55ページに、カルカノM1891ライフルについて、〈ケネディ暗殺モデルは7.35ミリのM1938である〉と注記したのは誤りでした。
 ウィリアム・マンチェスター著、宮川毅tr.『ある大統領の死』上巻(S42)によりますと、リー・オズワルドがシカゴの運道具店から通販で買ったライフルは、ボルトアクション、クリップフェッド(装弾板給弾方式)の6.5ミリ口径のマンリッヒャー・カルカノ・ライフル銃で、4倍の照準望遠鏡を取り付けていました(p.158)。
 その弾丸終速は2165フィート/秒、弾薬は「軍用実弾」だったとあります(p.168)。
 オズワルドは海兵隊に3年いたことがあり、南カロライナ州パリスアイランドの射撃場で、500ヤード、300ヤード、200ヤードのレンジで訓練し、M1ライフルによるマークスマンの資格を認定されていました。ダラスの教科書倉庫から、ゆっくりパレード中のオープンカーまでの距離は、90ヤード以下でした。
 軍用ライフル射撃をやったことのある人はお分かりと思いますが、スコープなしでも200m先の肩から上のシルエット標的の黒い部分によく当てられるようにはなるものですから、100m未満となったら、それはもう「距離」ではない。極度の緊張で銃の保持を動揺でもさせぬ限り、まず外すようなことはなかったんだと、改めて事実関係の認識を致しました。
 これなら、オープン・サイトでも当たったんじゃないでしょうか。むしろ1発目が頭部ではなく頚部に命中していることの方が不思議と言わねばなりますまい。故意に低めに狙ったのでしょうか? オズワルドは警察から尋問される前に死んだので、その辺は永遠に分からないわけです。
 マンチェスターの調査によれば、オズワルドは、そんな緊張をしない程度に、もう充分にキチガイだったらしい。
 なんとオズワルドは1963年4月、エドウィン・A・ウォーカー少将(朝鮮戦争のW・H・ウォーカーではない。W・H・ウォーカーは1950没)をライフル狙撃して失敗したことがあって、ケネディ狙撃は2度目の大それた犯行だったと。
 スコープだって、それからロクに調節していなかったのでしょう。だから初弾を低めに狙ったのかもしれない。
 いや、そもそも正気の計算ができる男なら、わざわざ6.5ミリで、誰か大物を、暗殺しようとしないでしょう。7.62ミリ銃をいくらでも入手できるんですから。(この常識論的な推理から、わたしは『日本の陸軍歩兵兵器』の55頁に余計な注記をしてしまったのでした。)
 薬莢が3個、倉庫の窓際で発見されているのですけれども、これまたマンチェスターの徹底的な調査の結論によれば、発射されたのは2発でした。つまりオズワルドは、以前に発射した空薬莢を薬室の中に入れっぱなしにしたままライフルを保管していて、それをこれほど重大な狙撃の場に持ち込んだ。窓際で初弾を装填する際に、古い薬莢がイジェクトされたもののようです。
 不正確な噂が飛び交う初期の混乱期にどうして「3発説」が広まってしまったかも、マンチェスターは調べ上げています。
 わたしは中学生のときに『ダラスの熱い〔暑い?〕日』という映画を観てしまったのを、いまさら悔やまずにはいられません。
 今にして思いまするに、この映画は、〈組織的陰謀が常に米国を動かしている〉という史観によって制作されていたのでしょう。〈ケネディに向かっては、合計3発が発射された〉〈10秒以内に1人の人間が3発の狙撃などできるわけがない〉〈3人のプロのスナイパーが3方向から「三角射ち」で狙ったのだ〉〈有力な目撃証人は国家機関によって皆、消されてしまった〉という、仮定の上に仮定を重ねるトンデモ推論に、劇的な説得力が与えられていました。
 この映画による刷り込みがあったために、わたしは『ケネディ大統領暗殺について書いてある本はどうせ不正確なのだろうから、古いものは読まなくてもいいだろう』という気持ちになり、オバマ新大統領の就任が確定するまで、このマンチェスターの名著を読まずに過ごして来てしまったのです。甚だ残念です。
 『JFKを暗殺した組織がもしあったとしたら、それはルメイの戦略空軍以外になかろう』という過去の憶断も、もちろん撤回しなければなりません。マンチェスターのような調査人がいる国で、何十年もバレずに済むような組織的陰謀は不可能です。
 ところで推定年令50歳代前半のビンラディンは、じぶんより歳若の米国大統領のニュースを聴きながら、いまごろパキスタンの山岳地帯で、悠々自適に暮らしているんでしょうか? わたしは47歳のときから膝の痛みを自覚するようになり、数日前についに羽毛の掛け蒲団を導入しましてようやくその症状を劇的に追放しましたが(膝が非常に温かくなるのです。同病の方には、シナ製ではなくフランス製をおすすめします)、岩山の洞窟はきっと寒いでしょうな。生涯を僻地探検に費やしたA・S・ランドーの北海道リポートを読みますと、アイヌ人もリューマチには勝てないことが分かる。
 シナ人は、「人間到処有青山。青山可埋骨」と言います。この「青」は草がはびこる緑色の地面のことです。中東湾岸の遊牧民族にとって「青山」とは沙漠でしょう。不毛地帯なら、どこでも「青山」になる。スーダンでもアフガンでもいい。これならタフなはずですよ。遊牧民の世界になまじに国境線を引き、その論拠に旧約聖書をもってきたりするのがそもそも不自然なのでしょう。
 ビルマでシナ兵団を率いて日本軍と死闘したJ・W・スティルウェル中将は、シナ語を話せ、蒋介石の参謀総長となり、徒歩でインパールまで退却するなど凄い体験をしているのですけれども、日記を読むと、ひたすら故国の自宅に帰りたがっていて、外地に骨を埋めるタイプの軍人ではなかったことが伝わってきます(現に敗戦しているのに知力の高さを装って米人を見下す同盟者の英人将官をつくづく嫌っているくだりもついでながら興味深い)。トルーマンも出身地のミズーリにとてもこだわっていましたね。田舎の無教養人であったことを逆バネにしていました。しかしオバマ氏にはたぶん、故地へのこだわりがない。彼には「逆バネ」も必要でなかったように見えます。じゅうぶんに恵まれていた根無し草。オズワルドがJFKへの逆恨みを正当化したような要素は何も持っていない。オバマ氏が自国人に命を狙われることはなさそうに思えます。
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