四王天延孝の韓国民情リポート

 1904年2月、日露戦争の第一回動員で近衛工兵中尉として鎮南浦へわたった四王天延孝は、上陸地で配属された通訳とともに平壌へ向かった。この通訳は対馬の人で、朝鮮語はペラペラであった。おかげで、投宿した民家では、住民からどんな情報でも訊くことができたという。
 フランス留学組エリートで、1901年に北清事変直後の北支駐屯軍にも小隊長として派兵されたことがある四王天が、半島を歩いて最もいぶかしく思ったのは、全面の禿山のことだった。これは朝鮮の地質や気候が原因なのではない、と住民は教えた。
 もしも、村の裏山に、材木になりそうな松林などがあれば、かならず郡守の官吏がやってきて、〈こんど、郡役所の改築をすることになった。ついては、○月○日までに、これこれのサイズの用材を○百本、おまえらの手で伐採して、郡役所まで運搬するように〉との私物命令を出されてしまう。それを実行できなければ、叛乱を企てたとかいう口実で牢屋につながれ、親戚が大金を集めて賄賂をおくって釈放させぬかぎり、死ぬまで投獄されっ放しになる。だから朝鮮では、いやしくも役人に目をつけられるおそれのありそうな潜在的動産は、住民みずからがすぐに燃料にしたりして消尽させておくのが生活自衛策なのだ、という。これが1904年の話である。
 もちろん、家屋の造作も、あまり立派にすれば危うい。屋根を瓦で葺いたりすれば、たちまち郡役所の官吏があらわれる。そして〈役所の事業に必要だから、おまえは○万円をいつまでに納めよ〉との私物命令を勝手に出されてしまうのだ。渋れば投獄されるのは、材木のケースと同じである。
 こんな政治が何百年も続いているために、朝鮮の庶民はもはや誰もまじめに働こうとはしない。「平等にはなったが貧乏平等で産業も振わず道路も橋梁も鉄道もなく、勿論文化の向上も何もないのだと〔投宿先の朝鮮人は〕長大息を洩らし本音を吐いた」――という(みすず書房『四王天延孝回顧録』pp.15~16)。
 「法の下の平等」がないと、下層民が真面目に働いて中産階級に成り上がることが不可能だと、端的に理解ができるでしょう。
 「近代」は「法の下の平等」とともにやってきました。
 「法の下の平等」が「租税法定主義」や「罪刑法定主義」を実現して、はじめて一人の「自由」が他者の自由と併存可能になるのです。
 たとえば堂々と蓄財して金持ちになることも可能になったわけです。役人や有力者からそれを無法にむしられる心配がないですからね。
 ところが「特権」は、このありがたい「法の下の平等」を破壊します。それは必然的に自由も破壊します。これは民主主義の基本中の基本ですが、多くの朝鮮人には「特権」と「自由」の区別がつきません。近代を知らないのです。
 日本人も、この朝鮮人を、あまり哂えません。あきらかに今日の日本国内にはまだこの基礎教養が身に着いていない者が、左右上下を問わず、多いのです。朝鮮人とそんなに区別できない。
 日本の明治元年の五箇条の御誓文は、法の下の平等と、その後の自由を謳いあげたものでした。
 これを策定した日本人たちは、近代を理解しました。
 ところがその後、近代の基礎をちっとも理解しようとしないシナ・朝鮮に親近な儒教信奉勢力が「教育勅語」で巻き返した。首相にもなった西園寺公望は、この勅語があまりに反近代的で維新精神の破壊でしかないと苦々しく思っていたので、天皇の許可を得て、実質の改訂である「第二教育勅語」の準備にかかったのでした。とうとう実現できませんでしたのは、まことに不幸でした。
 「教育勅語」のどこが問題なのか分からないという人は、朝鮮人を笑うことはできません。
 天皇制は近代とは矛盾しません。日本の天皇制は神武以前からあったという話は兵頭の旧著をお読みください。先史古代において近代に近かったのが南洋の天皇制です。
 島といえば、海上保安庁からタダで頂戴した新刊『海上保安庁進化論――海洋国家日本のポリスシーパワー』(2009-5刊)に、こんなことが書いてあります。
 シナ政府が「蘇岩礁」と呼んでいる東シナ海中の暗礁。韓国最南領土の馬羅島から西南150kmに位置し、干潮時でも水面下4.6mであって、露岩することはない。ところが韓国はこの暗礁(離於島[イオド]および波浪島[バランド]と呼称)に2001から15階相当の巨大な鉄筋建造物を築き、衛星レーダーなどを置いた。シナ政府は外交ルートで韓国政府に抗議する一方で、国内的にはこの問題を報道させていない。それに気づいた香港のネット市民が怒っている――というのです。
 衛星レーダーというのは、こんど南に向けて発射予定の宇宙ロケットの追跡用なんでしょうか?
 それはともかく、北京の遠慮の理由は何なのかが興味深い。これは韓国への配慮というより、北鮮への配慮ではないでしょうか。
 間接侵略拒止が現下の日本の最も重大な課題であると考えております兵頭は、海保の強化に諸手をあげて賛同します。
 『海上保安庁進化論』でも訴えられていますように、海自のイージス艦1隻と、人件費もぜんぶ含めた1年間の海保の予算が同じだなんて、国策の合理的なプロポーションを失しすぎていますよ。
 与那国島や石垣島が台湾人勢力(わたしは昔から、台湾は味方じゃないよと警告をしてきました。近代の孤独に堪えられぬ幼稚な阿呆ウヨ言論人たちは猛省してください)の影響でどんなことになっているかを考えたら、15兆円補正予算の1割くらいを海保に回してもバチは当たらないのではないですか?
 平成18年2月時点で、耐用年数を超過したオンボロ巡視艇が120隻、ガタピシ航空機が30機あるそうです。予算が3500億円つけば、それはすべて新品に代替整備できるそうです。