JSSEOの自己定義(案)

 JSEEOという団体の自己説明を決めなくちゃいけません。今わたしが考えていますのは、ざっと以下のようなものです。
◎団体の概要
○目的
 日本安全保障倫理啓発機構は、近代民主主義国家の国民は、たとい成文憲法にその明記がされておらずとも、なべて「国防の義務」を有しているとの認識に立ち、あくまで健常な自由主義の理念に基づいて、間接侵略に関する調査研究ならびに調査研究支援、間接侵略拒止の言論運動ならびに運動支援、および近代的国防倫理についての啓蒙活動等の業務を総合的に行なうことにより、わが国民の福祉そのものである総合的安全保障の増進に資することを目的とする。
◎業務内容
 日本安全保障倫理啓発機構は、叙上の目的を達成するため、以下の業務を行う。
*)間接侵略とその拒止・排除に関する調査研究。
*)間接侵略とその拒止・排除に関する調査研究を行なっている、機構外の個人や団体に対する後援。
*)間接侵略拒止の言論運動。
*)間接侵略拒止の言論運動を行なっている、機構外の個人や団体に対する後援。
*)防犯、護身術、広義の社会防衛に関係するアウトドアスポーツ等に携わっている個人や団体との勉強会の開催。
*)必要な資金の募集。
*)前各号の業務に附帯する業務。
 ……まあ、これから練って行きます。
 ところで昭和41年5月31日の国会内閣委員会で、保科善四郎代議士(元海軍中将)と松野頼三防衛庁長官とのかけあいがあったのをハケーン! この二人は仲間でしたから、世間向けの定義表明を試みているのです。
【保科委員】 「これは長官にひとつお伺いしたいのですが、この自衛隊の任務は、直接、間接の侵略に対して国の安全と平和を守る。これは自衛隊法の中にあるわけです。直接侵略に対しては、これはもう皆さんおわかりであると存じます。間接侵略に対する任務をお持ちになっていらっしゃるわけですから、これをどういうようなぐあいに自衛隊を教育し、指導し、訓練されているか。これは非常に国民に対してもわからないうちにやられる、たいへんにむずかしい問題である、こういうように思うのですが、一体どういうことを考えておやりになっているか、はっきりしたお考えを示しておいていただきたい。」
【松野国務大臣】 「直接侵略ということについては、わりに明快に答えられております。間接侵略というのは、御承知のごとく、外国からの教唆、扇動によって組織的な国内における治安の撹乱あるいは国民に対する秩序の破壊ということでありますが、現実にはどういうものを想定するかということは、国柄あるいは世界の情勢における問題を把握するにはなかなか容易ではありませんから、日本においても、そういうものが今日あるのかないのかという議論も、これは出ております。しかし、あるなしにかかわらず、常に、任務ですからわれわれはいろいろなことを想定しながらそれに対処して、ある時間をさいて、そしてこの任務に努力しております。」
 ……兵頭の把握はもっと広義です。いずれ、公開的に検討をしましょう。
 ちなみに紫表紙の昭和57年版『陸上自衛官服務小六法』を久々に開いてみたら、自衛隊法の第三条のでだしが、「自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする」とあるのですよ。
 しかし間接侵略の公式の定義は聞いたことがないし、そもそも政府からして間接侵略からわが国を防衛しようという責任感を捨てて顧みていないじゃないか――というのが、もっかのわたしの認識です。
 たぶん昭和41年時点では、間接侵略、イコール、〈日共の武力革命&外患誘致〉でしょ。それは甘いし古すぎる。
 ソ連崩壊前のさいごのあがきとして反日勢力は「グラムシ戦術」を自己手段化したからです。共産革命とはもう関係もなしに、「グラムシ戦術」だけがゾンビとなって展開され続けている。「社会自爆テロ」だと言っていいでしょう。渾沌を好む特亜にとって、とてもおいしい情況だから、特亜は応援します。無意識的集合的にも、意識的組織的にもね。また、海外勢力から後援されているという実感があって、ゾンビたちもモチベーションをかきたてられるわけです。このへんは自爆テロリストたちと一緒。
 イタリアの共産主義者グラムシが唱えた方法論は端倪すべからざるもので、つまり歴史的にその大きな社会で自然に形成されてきている中小規模の中間的共同体を一つ一つ潰して、歴史の連続性と個人とをすっかり切り離してしまえば、社会も国家も、革命党の好きなようにオペレートできるはずだ、と見抜いたのです。
 バラバラの個人というのは自由主義の理念でもあります。自由主義の本然に由来するセキュリティ・ホールが、反近代文明とその手先によって狙い撃ちされているんです。
 これにパッチを当てるためには、人工的にでも中間的コミュニティを盛り上げる必要があります。その新顔がJSEEOです。
 この日本には、言語才芸において凡庸にすぎなくても、政治的に正しい人達、つまり間接侵略工作の胡散臭さに嗅覚が働いている正常感覚の人達は、じつはたくさんいらっしゃる。
 そのひとたちの、よこしまなき思いが、リアルの政治に反映されないのは一体なぜであるのか?
 中間機関がないからです。
 敵は破壊工作のための中間機関をたくさん持っているが、こっちには防禦のための中間機関がない。
 個人がバラバラのままでは、政治的に無力に決まっています。これがわたしの問題意識です。
 JSEEOはこのような目的意識に合意する擬似共同体ですから、そのHP掲示板では、匿名投稿は一切受け付けさせぬつもりです。
 匿名投稿環境は、組織をバックとした間接侵略工作勢力によっていとも簡単に汚染されてしまう可能性が、今年くらいよくわかったことはありますまい。
 どうぞ正式のチラシの裏をご覧下さい。そのフォーマットで正式の登録をしていただいた方々のみに、JSEEO-HP掲示板の書き込み権を進上しようと思っています。
 匿名タレコミ情報のようなものはすべて事務局でメールを受け付けます。その事務局で裏を取れない情報には取り合いません。
 ところで故・江藤淳は、AM中波ラジオ局が夜間に放送しているような、しんみりした「語り」の番組が好きだと言っていました。わたしも、関東地方に居住していた頃には、中波の米軍放送(これは長野市くらいだと、短波で聴取ができた。キャロル・ツザキさんの頃です)やら、放送大学のFM番組などを昼寝しながら聴いていた覚えがあります。『寝ながら学べるのは良いことだ』と気づいたのはその時分でした。(余談ですが北海道その他の田舎でFMの放送大学をCS/ケーブル抜きでは聴取できないというのは、フザけてますよ。全国から集めた税金で、中央と地方の情報ギャップがますます強化されてるだけじゃないか。税金を投入している放送大学の意義を、その税金を使っている連中は、まったく分かってないのです。もう、腐れ利権ですよ。あんなのは今ならインターネットで済むはずです。JSEEOでは、こういうのを他山の石にしようと決心しています。)
 密室のスタジオのマイクの前で放送原稿を読み上げる式の、内容濃度の濃い「ラジオ講演」の場合、適切な尺数はどのくらいなのだろうか? わたしは1回分が15分から20分の間でおさまっているのが、適当ではないかと愚考しているんですが、皆様にご異論あらば拝聴したいと思います。