情弱損

 7月4日(米独立記念日)の花火を前に、情報を整理してみた。
 北鮮はノドンをフルレンジで発射したことはなく、フルレンジの7割で発射したこともない?
 過去には1993に1本、2006に2本しか試射を成功させていない。1993には500km先に落とした。2006は不明。
 ほんとうに東京落達に必要な1300kmのレンジがあるのか、疑問としておくのが科学的態度だ。東京に届かないのであれば、まして沖縄には届かない。どうも「対九州飛行場」スペシャルじゃないかと思える。南侵のあいだ、米軍機の離発着を妨害できれば良いと考えているのか……?
 黄海側の射場から北海道沖へ撃てば1000kmのレンジは確保できるのに、その実験をなぜかしていない。
 SSMの弾頭を軽くすれば射程は延ばせる。イラクのアルアッバスがそうだった。スカッドと同じ直径。しかし弾頭わずか190kg。1000km先に落ちたときのCEP4kmだったら、どんな使い道がある?
 しかしイラクのミサイル試射はじつに熱心だった。科学的態度だった。イランや北鮮の何倍も試射していた。領土内の北から南へ撃っていた。
 スカッドの筒体付きでは長射程ではタンブリング問題が生ずるらしく、弾頭にスピンを与えて、導爆索+バネか爆発ボルトで分離する必要がある。それがノドン。もちろん旧ソ連にスーパー・スカッドの計画があり、ゴルバチョフが廃案にしていたのを、北鮮が買ったのだ。このスピンはモーターが消える10秒前にかけるのだが、イランはノドン情報に基づいてシャハブ3をつくって試射したときにこの段階で空中分解した。つまりノドンも1000km超え射程で試射したらどんなことになるか分からない。
 だから、すくなくもマックスレンジの7割で実射してみせる必要がある。5割では何も証明できない。
 シナが核ミサイル保有を世界に認めさせたのは、東風2(そのモデルのソ連SS-3は弾頭に1・5トンを載せられることが既知であった)をフルレンジの7~8割で実射して12キロトンの炸裂をじっさいに空中で起こしてみせたからである。これでシナは米国に認められ、ソ連の支配から独立できた。
 だから北鮮が米国から認められ、シナの支配から脱したければ、北京まで届く800kmくらいの飛翔の後に空中で0・4キロトンの核爆発を起こしてみせる必要がある。黄海の射場から北海道沖を狙えば、それは可能だ。
 0.4キロトンは、パキスタンがガウリ(これはイランのシャハブと違って半国産ですらなく、まったくのノドンそのもの)に搭載するために無理矢理にプルトニウムから作ったサブキロトンの幼稚な爆縮弾頭を、コンセプトだけ真似てみて、やはりサブキロトンの出力になっているものだろう。
 パキスタンは1998に12キロトンの核爆発も起こしてみせたが、これはウラン爆縮で、東風2の古い弾頭の情報をシナから貰ったものだろう。つまり1.5トンもあるので、シナ製のM9やM11には載せられない。だからシナも、このぐらいは売っても許されると考えたのだろう。
 さてそうするとノドンの弾頭重量が気になる。V-2=スカッドAの1トンではないだろう。射程を欲すれば、スカッドBの770kgでもない可能性もある。さりとてスカッドCの500kg未満では後進国にはどんな原爆もつくれない?
 パキスタンの技術力は、インドやイラクはもちろん、イランにすら劣る。それでもサブキロトンができた。これに北鮮が元気付いて、真似してトライしてみたら、やっぱり0.4キロトンができた。
 たとえば1.2トン弾頭を1300kmとばせる弾道弾があったとすると、その弾頭の重さを800kgに減らせば射程は1700kmくらいまで伸ばせる。
 2007-2時点でイランのシャハブ3=ノドン模倣品は、760kgの弾頭を1000km投射することは可能らしい。
 パキスタンのガウリも800kgという話があるが、誰も証明したわけではない。実戦場で不発弾を回収しないかぎり、これは分からないのだ。
 1991では、液体燃料ミサイルは発射手続きが190分かかり、固体でも90分もかかっていた。
 テポドン改造宇宙ロケットの第三段はシナの「紅旗2」(ソ連のSA-2もどき)の固体ブースターもしくは液体サスティナーかもしれない。北鮮のSA-2なのかもしれない。古い兵器だが、なぜかこの固体ブースターもしくは液体サスティナーだけの重量データがインターネットでヒットしない。おおざっぱに半分として1トンか。1トンなら0.4キロトン原爆が間違いなく積める。それが3850kmkm先に落ちたとしたら、たしかにグァム島攻撃力はあることになる。米海兵隊がグァムからも逃げ腰になっているとしても不自然ではなくなる。
 北鮮の長射程ロケットの発射管制塔がシナの長征用とクリソツである。つまり北鮮ミサイルの背後にはシナがいるのであって、ロシアとはすでに縁が薄い。
 シナとウクライナはノドン1用のTELで協力している。このTELは イタリアの Iveco トラック車体を模倣しているし、クレーンは オーストリア製のようだ。
 ロシアの北鮮情報はトンチンカンなものが多い。2006-7のスターマインではミサイルの本数を3つよけいにカウント。ノドンの分離ブースターを数えてしまったのか。ロシアのOTHは当てにならないのか。2006-10のイールドも間違えている。
 2009年4月5日のロケットは、グァム島攻撃能力を実証したのか?
 地球上の2つの座標を入力すると、その直線距離を教えてくれるウェブサイトがある。
 対イカオ通告は座標1点だった? そこからのひろがりを図にすると、最も西端は164度。その南端は29度、北端は34度。射場の広がりの西端は129度62分、その北端は40度84分
A地点 緯度:164度分 経度:29度分
B地点 緯度:129度62分 経度:40度84分 と入力すると、
距離:3940km これがマックス値。
A地点 緯度:164度分 経度:34度分
B地点 緯度:129度62分 経度:40度84分 と入力すると、
距離:3837km
A地点 緯度:164度分 経度:34度分
B地点 緯度:129度62分 経度:40度60分
距離:3831km ※これがミニマム値だが間違いなくこれより短い。
A地点 緯度:164度分 経度:29度分
B地点 緯度:129度62分 経度:40度60分
距離:3930km
 ちなみに北鮮は衛星の軌道傾斜角が40.6と発表している。射場の北緯と微妙に違うのは、重力ターンの関係か。
 では北鮮とグァム島との間はどのくらいか?
A地点 緯度:39度39分 経度:124度42分 ※黄海側の新射場
B地点 緯度:13度28分 経度:144度46分 ※グアム座標
距離:3514km 
 結論は、微妙である。防衛省は、「3000km以上飛翔」としか公表していない(2009-5-15文書)。
 つまり防衛省は、北鮮がグァム攻撃力を持ったと認めたくないのか? 普天間問題がチャラになっちまうから?
 ファットマンの次のMk.4原爆が、重さ4.95トン。直径1.15mで、ファットマンより重くなった。
 1952完成のMk.7は重さ900kg、 直径78cmだが全長はかえって長くて4.7m。
 リビアは米艦(コーストガード)の存在するイタリア領土沖の海面をめがけて数発のスカッドを発射したことがある。1986に空爆されたことに対する返礼として。
 1991に港の水中に落下して不発になったスカッドがある。
 1989-12-7、イラクはスカッド5本を束にした宇宙ロケット「アルアビド」を、垂直に打ち上げ、また落下させる試射。2段目はスカッド×1、3段目は謎だが、どちらもダミー。
 1990-5にノドンがロンチパッドで爆発。6月にスカCを500kmとばしてみせる。
 それで韓国は1990からKSR-1を考え始め、1993に完成。
 1991-12-18、ノテウは韓国に核がなくなったと宣言。
 父ブッシュは、韓国から核弾頭をなくせば北鮮は核ミサイル武装の努力を止めると信じていた(シナから思い込まされていた)。次のクリントンも同じ洗脳を受けた。
 韓国が1992-8-10に最初の衛星をアリアンで打ち上げたのに刺激され、金日成は対抗して衛星をつくらせようとする。
 1993年5月29~30日 ノドン1の発射。500km先の海上ブイに向けて。同時に北鮮はNPTを守ると強調。
 韓国は1段式で直径42cmの固体ロケットKSR-1を1993年6月にオゾン観測ミッションとして打ち上げた。弾頭は150キログラム。高度7万5000mに達した。ジェーンは、韓国はこのロケットを、弾頭200kgで射程150kmのSSMに転用できるだろう、と。
 北鮮にはこれがわかっていたので、その機先を制した。面子の張り合いだ。
 1993-9に韓国2機目の衛星。これで同年末に金日成は衛星を急げと発破。もう50歳を過ぎた息子に早く箔をつけたかったのだ。
 1995-7月と8月にシナは台湾近海でミサイル発射実験。李登輝を威嚇。1995 July 21~26中共大演習。1995 August 15~ 25 実弾演習。11月には上陸演習。1995 December ミニッツが海峡通過。
  1996年の台湾総統選挙直前のMarch 8 ~ 15日 に、中共軍は大規模な軍事演習を行い、台湾近海へ東風15×4発を発射。
 この前後、〈台北よりロスが大事だろ〉とシナ将軍が脅した。つまりこのシナ将軍も、北極点中心地図が頭の中に無いのだ。困ったもんだ。
 1996年9月18日~、北鮮潜水艦鹵獲事件、&ゲリラ・チェイス。
 北鮮、1996 October にまたノドン発射準備。これも米国の圧力で中止。
 1997-2時点で、韓国が1999に三段式宇宙ロケットを完成するつもりだという意図が漏れる。
 韓国は1997年7月10日に、2段式固体ロケットKSR-2をX線天文観測のために打ち上げ。最高高度は151.5km。2トン。ペイロードは150kgだった。Jane’s Strategic Weapons Systems いわく、このロケットはペイロード次第で900kmまで飛ばせると。しかし重いペイロードなら100kmまでだ。
 1998-4-6、北鮮のノドンをパキスタンは試射。Ghauri-II と称した。
 1998-5末パキスタン核実験。あきらかに輸入ノドン=ガウリ弾頭用のサブキロトン×4回を含む6回。
 1998-6-11、韓国の国産観測ロケット打ち上げ。前と同じもの。
 1998-8-31に北鮮がテポドン1発射。3段。ブースターは253km先に落ちた。そのブースターがもちあげた、2段目の重量は、もしスカッドCだったなら、弾頭コミで6.4トンとなろう。
 三段目が「紅旗2」なのか? 紅旗2は二段式で、2.3トン。弾頭は200kg。固体ブースタと液体サスティナー。
 第三段はデブリとなって4000kmくらいのところに落ちた。
 北鮮衛星の公開写真は、シナの最初の衛星の東方紅(重さ173kg)にクリソツ。あきらかにシナがバックにいるのだ。シナをこそ非難せよ。
 1998年11月に韓国は、2005年までに宇宙センターを建設すると決定。発射場の選定に入る。
 1998-12-26 の北鮮の 労働新聞 は、北鮮が将来また衛星を上げると予告。
 1999-4にパキスタンはノドン(ガウリ)の2度目の試射。15日の同国公式発表によると、弾頭1トンで射程750kmだと。※とすれば東京には届かぬ。
 1999-11に北鮮はイランに12発の中距離弾道弾を売った。ノドンのエンジンをボーイング747カーゴ機につんで平壌近くのスイナン国際空港からイランへ11-21に到着。
 2000-7-15、イランがシャハブ3を完全射程で飛翔テスト。これは国産エンジンではなく、ノドン・エンジンを使ったらしい。そして満足したらしい。弾頭は1トンで、最高速度は4,320 mph (1,931.04 M/sec.) に達したと。
 2001年1月に韓国はスペースセンター敷地の選定結果を発表した。韓国は2001-3にMTCRに加入させられた。 そして射程300kmで弾頭500kgのSSMを開発しても良いと米国から許された。 韓国は、液燃を一部だけ入れたSSMを2001-11に試射し、その射程は100kmを越えている。
 2001-4、北鮮から1年ぶりに大量のノドン・エンジンがイランへ輸送された。飛行機でシナ領上空を通過したようだ。シナは許可を与えている。
 2002年11月,「テポドン2」燃焼試験中に爆発。
  2002-November 28 に韓国のKSR-IIIが発射され、高度は42.7 kmに達し、距離は 84 kmだった。 ジェーンの見積もり。このロケットは高度350kmまで届かせるつもりであった。そして韓国は射程900kmのSSMを欲している、と。
 2002、韓国は完全国産の3段式宇宙ロケットを2007までに打ち上げると発表。
 ※つまり韓国のSLVより先にと狙ったのが2006-7-4の白頭山2だ。
 2002- December -10、スペイン軍艦がイエメン沖でスカッド15発押収。北鮮いわく、これは海賊だと。
 2003イラク占領作戦でイラクは緒戦でクウェートに向けて8発のスカッドを発射したが、フォートブリスからやってきたパトリオット部隊は、8発全部を着弾前に破壊した。
 2003-4-24 北鮮が核兵器保有を明言
 2003-8、韓国のナロ宇宙センターの起工式。
 2003-8-28、最初の6か国協議の場で北は、すでに核武装しており、実験をする、と。
 2004-6初旬、イスラエルが大規模な空軍演習。イランの核施設を意識したもの。
 2004-9-22、ノドンB=ムスダンリ? の発射訓練
 2005- September-19に米国は6か国協議の場で、たとい通常兵器でも、北鮮を攻撃しないと約束した。
 2006-6中旬、テポドン2に燃料注入。
6-14、米国はICBM実験で脅かし。ミニットマン3をVandenbergからマーシャル島へ撃ち込んだ。
 6-23、米軍、沖縄にPAC-3を配備。
6-24、ベトナム戦争以後、最大の太平洋域演習である Valiant Shield を派手にやり、シナ人武官にも観戦させ、北鮮にプレッシャーをかけた。
 テポドン発射の数日前から、GBIのサイト近くの民間機の飛行は制限された。
 2006-7-5、北鮮、モラトリアムを破り、日本海に向けて7発の弾道弾を発射。7-4の米国建国記念日を狙ったもの。イラン人が1~2人、立ち会っていたようだ。テポドン2は失敗。
 2006-7-15、国連はすごい要求決議をした。北鮮は、もうどんなミサイル関係テストもするな、というのだ。「関係」だから、ロケットや人工衛星だろうと、ダメなのだ。よって2009実験はすべてアウト。
 2008-6-9、イランは、1トン弾頭を2010km投射できると彼らじしんが説明するシャハブ3をホルムズ海峡近くで発射。ところがこのときの写真がモロバレの合成だった。フォトショップを使って、失敗したミサイルを成功したように直しているようだ。
 2008-6-26、韓国人がロシアの宇宙船に乗る。また、韓国の発射場施設は2008年末に完成するらしい、と。
 衛星10周年として平壌ラジオは、2008 August 31日に、こう放送した。すなわち北鮮は将来また衛星を打ち上げるだけでなく、2007に閉鎖したばかりの Yongbyon での プルトニウム処理を再開すると。
 2008-9-11に、黄海側に北鮮の全くあたらしい射場ができあがった。イランの射場に酷似。新射場はシナ国境から50kmしか離れていないので高速偵察機ではシナ空軍とぶつかる。グロホならば問題なし。
 イランは早ければ2008-10にも宇宙ロケット上げるつもりだった。テポドンのブースターで。
 イランの成功。2009-2-2に、 Safir SLV を使い、 Omid data-processing 衛星 を low Earth orbit に投入した。イラン衛星は寿命が50日であった。3-27再突入か。
 イランは9番目の自力衛星保有国になった。
 北鮮は、2009-2月24日に衛星を打ち上げると発表し、中止。
 イランの15人のロケット専門家が、09-3月はじめから訪朝。
 北鮮はイカオに2009-3-11に手紙を渡した。
 3月12日に宇宙条約に加入と宣言。
 燃料注入は4-2開始。
 2009年4月5日 「なんちゃって人工衛星2号」太平洋着。
 イカオには、4月4日から8日のあいだ、ロンチウィンドーは国際標準時の2時から7時だと。(プラス9時間だと11時から16時か。)
 事前通告において、第2段は3600km先に落ちると。
 ナンチャッテ1号衛星のときは、発射方位が東86度(つまり北寄り)だったが、今回は90.5度(つまり南寄り)だ。角度を変えて、悶着を防ごうとした。
 さあ、7月には何が起きるでしょうか?