いろはにはちかにくからで

二八というのは2×8=「16歳」のこと。二九で2×9=「18歳」。旧幕時代の大衆よみものの、定型的な表現だった。
 ところが「数えで15歳」以下の女について、大人の男が乙に言いあらわす表現はない。これが興味深い。
 女が色気づいたと見られる年齢に古今東西の差もなかろう。ただしそれは妊娠可能下限年齢とは、伝統的にも決して一致したことはない。
 『娘道成寺』の清姫は13歳くらいですでにサカリがついていたとみなされていた。が、理性ある男は(イケメンの若い坊さんでなくとも)、決して13歳女などを相手にしてはいけなかった。
 八百屋お七は17歳だったからもう刑法上の理性はあるとみなされて火あぶりに処された。もし15歳ならば放火犯でも死刑は免れたところだった。
 現代の英語圏の近代大衆歌謡では、15歳女には「only」という、社会的保護の必要性を暗示する形容詞が fifteen に前置されることはあっても、「sweet」という独立人格の性愛対象になりそうな形容詞が前についた歌詞などとんと聴かぬ。これが16歳女となれば、ときとして「sweet」という形容詞も前置されるようにはなる。
 つまり性的関心の対象としていることを公言しても社会的に咎められない。16歳が高校生であろうとなかろうと関係ない。彼らの社会ではそこに伝統的慣習的なタブーの境界線が在るのだなと分かる。それがなんと偶然にも、江戸時代から明治前半くらいまでの日本の大衆の伝統的モラル(集合智)と一致するのだ。それは江戸時代には新制高校などなかったからだ。わたしは今日の日本にも新制高校など要らないと主張している。中学からいきなり大学でいい。それで日本のエロ問題も過半は解決するはずだ。
 もしニューヨークに14歳の街娼がいたら、それは「ベアリー・リーガル」(ギリギリ合法)なんてもんじゃなく、確実にアウトである。しからば男は14歳女には一切性欲を覚えないのかといえば、覚えるからアングラで市場が成り立っている。それを描いた映画が『タクシー・ドライバー』だった。げんざい日本の国会で審議中と聞く、近代国家のローメイカーとして逆に世界に対して恥さらし千万になるだろう「児ポ法」が通れば、日本で廃棄されねばならない洋画記録媒体や古い映画のポスターは、シャーリー・テンプル以降、ちょっとした数にのぼるだろう。おそらく可決されたりしたらクラスアクションは必至だろう。
  もし1972年の満17歳時代、それより数歳は幼く見えるようわざわざ胸にサラシを巻いてTVカメラの前で太モモも露わに歌を歌っていたと聞くAgnes陳美齡女史のセクシーな1/100人形を個人的に造型した未成年が居たとしたらどうなってしまうのか、誰かに訊ねずにおられない。二次元描画がアウトなんだから、さらに立体感あるフィギュアなんか全部アウトだよね? どうみても18歳以上に見えない○○ちゃん人形が男子大学生の部屋で発見されたなら、どうなるのだろうか。また、ロリ/ペド物ポルノをみずから製作して所持して楽しんでいた人物が、17歳男子とか14歳男子だったらどうする気なのか、ローメーカーは見解をハッキリして欲しい。兵頭の存念では、それは近代憲法精神への背馳である。ちなみにマック偽憲法は近代憲法典の範疇に入らない。
 禁酒法はアル・カポネを肥やした。世の中は暗くなったし景気も悪くなった。児ポ法は日本のヤクザや在日の地下商会に、戦前のシカゴ・マフィア以上の収益チャンスを提供する。マイクロ化されたヤミ媒体で日本中が溢れるだろう。手品のように瞬時に燃やして消せる媒体が発明されるだろう。必要は発明の母だから。性的関心は、飲酒欲よりも強烈な、ヒトの本然なのだから。
 性に関する社会ごとのタブーには、科学的合理性などはない。
 たとえば、もし本人の成人としての判断力を重視するのであれば、男子に婚姻を許可する下限年齢と女子のそれとが一致しているのでなければ、近代的啓蒙主義とは言えまい。しかしそこまで理詰めに民法を固めている国家も州も、慣習法圏において例外的でしかあるまい。
 そもそも合衆国を構成する州によって、婚姻可能下限年齢が異なっている。そして合衆国連邦憲法は、その州ごとの差異を放置する。そんなことは、共同体の慣習にこそ任せておくべき問題だからだ。
 婚姻年齢規定について、ある州の憲法が正しく、ある州の憲法がまちがっていると、ヨリ高いところから判断できる「スーパー憲法」なども存在しないし、してもならないのだ。国連はもちろんその領分に介入しない。いわんや「なんちゃってユニセフ」に、何の資格がある。
 他方で合衆国連邦最高裁判所は、一部の州で優勢だった某宗教の「重婚」教義には早くから厳しく対応をした。もしそれを許せば近代啓蒙主義の基本的人権思想が破壊されると考えたのであろう。
 この「重婚」と「妾」とは異なっている。蓄妾・二号は黙認しても、「重婚」は黙認できないというのが、近代国家である。婚外性交渉(や脳内の「姦淫」)を黙認しないのは、宗教だ(もちろん多情の宗教ボスも古今東西珍しくはないけれども)。
 宗教を法律に持ちこまないのが、近代啓蒙主義であり、そのイデアのカタチである近代国家なのだ。
 昔のビニ本(わたしは「援助交際」という目新しい熟語を1992年頃に神保町のエロ本屋内でブラウジングしたビニ本雑誌の読者交歓欄で初めて見たことを思い出す)や、今のインターネットの二次元描画等のポルノ・サイトは、この「妾」に相通じた非公然の欲望世界ではないかと兵頭は考える。こんなことまで法律で禁止しようとしたら、技術的に公法の権威が全国津々浦々で広範に半公然裡に無視される、アナーキーな状態を招くのが目に見えている。アナーキーに振れた社会を再統制しようとすればファシズムに陥る。馬鹿者のラッシュインする扉だ。
 英語圏のポルノ・サイトにも立派なタブーがある。それは「18歳」以上を堂々と売り物にすべきだとのコンセンサスで、もしも18歳未満だと公言してあったなら、それはアウトだ。ブラウザー側では、スチルやムービーで掲示されているモデルが撮影当時、戸籍謄本上、満18歳以上であったかどうか、確認しようのあるわけがない。「もっと若く見えるかもしれないけど、これでちゃんと合法なんですよ」というウェブ製作者の建前を信ずるしかない。この「18歳未満女に見えなくもないが、たぶん合法なのだろう」の境界線は「ベアリー・リーガル」等と表現され、違法でないことを強調して閲覧者を安心させている。
 仄聞するところでは、「児ポ法」推進論者は、外国では所持禁止が常識だ、とかいっているそうな。 …Really? それは生写真の話だろう。
 エロマンガまで禁止されている? いないでしょう。禁止されていないその証拠に、いくらでも米国の2次元サイトにヒットしますよ。アクセス可能になっている。
 PCを持っている者なら、誰でもその場で確かめられる事実にすぎない。ローメーカーは事実を確認しなさい。妄想被害に基づいて法律をつくるな。実写のロリ/ペドには確かにヒットしないから「これはほんとうに規制されてるんだな」と知れる。しかしCGのインセストはどうだ? 出まくりじゃないか。あきらかに、所持規制なんかされていない。システム的にコピーやダウンロード禁止措置がとられていないようだと合理的に判断ができる。これだけの品質のものが無料でおびただしく用意されているというのに、何を苦しんで日本の幼稚なアニメ絵のエロゲーなんぞ、違法に入手する必要がある? マスかいてて哀しくなるだけだろうがよ。
 日本の国会は、某外国機関発のマイノリティリポートを針小棒大にブラックプロパガンダかまされているだけじゃないのか? 和製エロゲーなんて、北米在住の某&某々東洋系コミュニティ内の一部方面で違法複製して、オカズにしているだけじゃないのか? きゃつらの嘘宣伝にひっかかったとしたら、コトが下半身だけに、情け無さ過ぎるよ、一国の国会議員としてさ。
 同じロリ/ペドでも、毛唐と日本人は「ツボ」が違うんですよ。それは、サイトをたくさん見比べれば、誰だって見当がつくことだ。あきらかに、向こうで受けている絵柄と、日本国内でよく消費されている絵柄は、別ジャンル・別世界・別次元である。もっとハッキリ言ってやろう。日本のエロゲーでは、米国在住米国籍白人男性は、ヌケない。日本のマンガ/アニメなんて、エロに関してはそのレベルだよ。これで満足できるのは東洋人(系)だけだろ。
 国会議員は、PCを使って「海外視察旅行」してみて欲しい。いや、斯かる法律を審議する以上、彼らにはその義務があるだろう。モノホンの「視察」と違ってヌケなくて申し訳ないですけどね。
 兵頭が瞥見するに、英語圏ポルノ・サイトの興味深い特徴は、実写の少年愛映像などはキビシく制限しているように見える一方で、CGで描きこんだインセスト・タブー表現に、驚くばかりリッチに製作資源が投入されているように見えることだ。これは、ニッチなマニアにとどまらぬ数の、そこそこジェネラルな支持や需要が、海外ではあることを示唆している。インセストCGが合法市場を成している証拠でもある。そしてかたやおそらく日本では、インセスト物CGは(ウラだろうと表だろうと)これほどには支持も需要もされまい。要するに文化の構造が違うからだ。
 日頃オモテで抑圧している部分が違うから、裏で解放されねばならぬLUST/ダーク・デザイアも異なるのだ。(たとえばセーラー服は日本では抑圧のカギであるアイテムだからそこからエロい物語がいくらでも脳内解放されよう。しかし海外ではセーラー服には強烈な物語を脳内展開させる力がない。未成人女子とアイテムがそもそも結合していないためだ。)
 もし日本人が「あんたらのインセスト物は見るに耐えんから、単純所持や単純アクセスも禁止しろ」と言い募れば、「すっこんでろ! 誰にも迷惑かけてねぇ」と言い返されるのがオチだろう。
 昔から有名な話で、大衆向けアクション映画であるダブルオーセブンシリーズでは、女の太モモを見せることがあっても乳首を見せることは絶対にない。英語圏ではエンターテイン業界が、表のチャンネルで子供に見せていいもんとわるいもんを、そこまで峻別して自主規制してきた。これも伝統文化の差異だ。伝統に、科学性も合理性もありはしない。説得不可能領域だ。だからアジアと南欧市場を除いて、日本のマンガとアニメが女体表現に関して顰蹙を買うのもあたりまえなのである。表立って輸出して許される文化と許されない文化があるのだ。
 米国のメジャーのポルノ映画業界は、強姦は絶対に描かないことを申し合わせて、あくまでコメディ・タッチにつくってきた。しかるにインターネットの世界ではCGのインセスト表現もBDSMもほぼ解禁されているようだ。インセストや強姦を合法もしくは許容慣行としている社会は近代ではほとんどないはずだが(一部の国ではゲイ同士の結婚が公許され始めたそうだが)、考えてみれば、想像だけは何だろうと自由であった。また、そこを自由にしておかないと社会は病気になる。
 裏の表現といえどもそれが社会からジェネラルに支持をうけているかどうかは、サイトの増え具合、新作のアップロードのペースを見ていれば粗々推測もつくことだ。あきらかに人々は、キワモノ分野には、素早く興味を満足させていて、継続的頻繁な新作登場を欲求していないように見える。キュリオシティの範囲だ。
 そしてまた日本の20代の素人小僧が報酬度外視で日々多作にいそしんでいるんじゃないかと思えるイラストタッチのアンダー13なエロ画像、これが北米でジェネラルな支持を獲得しているような兆候がまったく無い。それが証拠に、向こうで勝手にコンパイルしている日本国内製素人アニメ投稿絵の画像サイトというものには、ほとんどヒットしないだろう。なにか、日本人の素人少年たちが厖大に量産している絵柄には、(いや、プロが商品として作ったエロゲー絵ですら、)決定的に欠けている細部の機微な観察があって、その表情の壁を超え得ていないために、毛唐のインセスト抑圧、SM抑圧をすら刺激する脳内物語解放力がなく、日本国外では、誰も萌えようがないのではないか。もっと悪くいえば、一種のビザールサンプルとして冷笑のネタにされているに過ぎぬのではないか。われわれはここにまたひとつのガラパゴスを再発見しこそすれ、日本のエロゲーが国外で加害者になっている証拠など探せないのである。
 日本の素人小僧が描いたアンダー13のエロ絵で劣情を刺激されたと言う米国在住の米国籍人が一体どのくらいいるのか? とるに足りない率だと疑う。彼らは、米国製の、彼らじしんのツボをわきまえたインセストCGで、もうすっかり満足してますよ。
 話をまた戻そう。18世紀なかばの日本の大都市において、「数え」で14歳の堅気の女との婚外セックスは、それを疑われるような真似をしただけで、立派なスキャンダルになった。これが「お半・長右衛門」物の、複数の文楽作品(その代表は『桂川連枝[れんりの]柵[しがらみ]』、もちろん浄瑠璃から歌舞伎にもコンバートされて近代にまで伝わる、これを上演したらアウトか?)になった。とうじの社会は、そのゴシップに大いに劣情をかきたてられていたのだ。
 むろん14歳女は妊娠可能だ。武家でも公家でも商家でも14歳未満の正式婚姻は普通にあった。しかしそれと14歳妾とは別な問題だ、と、江戸時代でも考えられていたのに違いない。
 さらに――これは断言ができないので歯がゆいが――旧幕時代に、都市部の公許の遊郭で、(数えで)14歳の女が、一人前に客をとったことは、ないであろう。遊里の建前は、立場対等の自由恋愛である。14歳に自由恋愛など不可能なのだ。だから見習の禿だったはずだ。では何歳が半玉のボーダーであったのかはとても即時に調べもつかぬけれども(ただし明治29年まで生きた樋口一葉の『たけくらべ』の美登利は数え14歳で未だ女郎ではないように書かれていた)、おそらく17歳はもう一人前だったのではないか。
 とするなら、江戸時代の登楼を描写するすべてのフィクションは、いま審議中の「児ポ法」にひっかかりかねない。稀代の阿呆陀羅法案だ。