マック偽憲法と戦う気はあるのか

 たとい憲法不文でも「国防の義務」は「納税の義務」と同様に全国民にあるものだ、というのが近代憲法と古代いらいの民主主義政体のなりたちからの推定だが、1946マック偽憲法は、真っ向からこれを否定しているとしか読めない構成になっている。つまりそれは近代憲法ですらなく、偽民主主義の作文だ。
 戦後いったんこのような偽憲法が普及してしまった以上は、脱・戦後の改憲作業がなされる際に「国防の義務」が明文化される必要が、恥ずかしいことだが、あるだろう。またもちろんその必要を、改憲の前から全国民に理解させる言論運動が必要だ。
 改憲を党是としていたはずの自民党内に最近になって愈愈「国防の義務」を説く者が稀なのはじつに憤慨に堪えない。要するに民主主義について彼らも基本根底の理解はしていないのだろう。一から物事を考えることがないのだろう。
 「国防の義務」が憲法で確認されておれば、外患誘致や内乱などに関連する刑法を「国家叛逆罪」の概念でとらえなおすことが無理なくできる。しかし偽憲法下では、あらゆる反国益行為が、偽憲法そのものを根拠として、正当化され得る。とんでもないことになっているのだ。
 よって今のマック偽憲法を黙過したまま、外国人にみだりに日本国籍を与えたりすれば、その「新日本人」が国家破壊工作に専従することもいとも容易に可能。それは共同体としての日本社会の終焉を加速させるかもしれない。
 反対に、国民の「国防の義務」が憲法からして明白に示されていれば、新日本人だろうと旧日本人だろうと、売国活動が見逃されることはない。
 帰化を拒否する長期居留民は、国防の義務が無い以上、納税の義務を負いつつも、日本人と違った権利しか与えられないのは当然である。
 これに対して帰化を選んだ者は、日本人とまったく等しい義務を負い、売国活動は、生まれながらの日本人以上に社会から厳しくチェックされるのが自然である。
 これが近代国家だ。日本はマック偽憲法を奉戴する限りは、他から一目置かれるような近代国家ではない。
 公人が公的な約束を破って恥じず、日本社会の破壊を目的とする「工作員」が、国会や政党内や大手マスコミ内や教育界にこれほど堂々と棲息できているような国は、日本だけだ。
 1997年に設立された「新しい歴史教科書をつくる会」は、マック偽憲法の売国許容主義精神風土に対抗するNGO&NPOとして、画期的な成功をおさめた。
 その成功因のひとつは、シンクタンクを気取って文部省の役人の向こうを張り、総合文教政策を提言するなどというマネをせずに、マル歴学者集団に反発する、もうひとつの教科書執筆者グループとして名乗りを上げたことにあった。
 ほとんどの学者・言論人は「一人一家」を成す。それが多数人糾合されたのは、〈マル歴はいかがわしいし有害だ〉と理性ある個人を悟らしめる、1970年代からの複数の論筆家による前駆言説が浸透普及していたおかげだろう。
 シナ・朝鮮その他の反近代勢力発の間接侵略を拒止せんとするJSEEOの言論運動は、マル歴と違ってまだ誰もあきらかに敵の把握すらできていない脅威を、民主主義の初歩から併せて人々に得心させるところから始めねばならない。路は至って遠いのであり、焦っても仕方がない。この運動が日本の亡びに間に合わぬとしたら、それは国家の命が窮まったのでありしょうがない。
 JSEEOの事務局は、かつて「つくる会」に関わっていた人たちだ。インサイダーでもあったかれらいわく、「つくる会」の内紛は、そのHPの「掲示版」に一因があった、と。それでわがJSEEOのHPには、掲示板は設けないことになった。
 〈匿名を許さず、且つ、一日のうちに書き込める文字量を寄付金額に比例させたなら、それが寄付の額を増やすモチベーションともなり、良いのではないか〉とわたしは提案したのだが、かれらは掲示板そのものに絶対反対のようだ。過去によほど酷い経験をしているのだな、と想像するばかりである。
 ところで寄附金額の最低が一口1万円、しかも毎年、というのは、敷居が高すぎやしないだろうか? もっと小額の、たとえば1000円とかそれ未満の額の寄附を一回ポッキリでも広く気易く受け付けるようにしないと、生計形態が甚だ流動化している今日の日本において、怒れる意識的な零細自由業民に基盤を置く大衆ムーヴメントとはなり得ないのではないかと、わたしはおそれるのである。