歯科医の二俣さんとの面白談論と遇懐

 直線距離的には歩いて10分かからぬであろう、美原5丁目27番にある「二俣歯科医院」を発見できたのは、全く偶然であった。
 この医院は、ふだんはわたしには通る用事の無い狭い道路に面しており、しかもそこに最短時間で向かおうとすれば、中間の住宅街を迷路のようにすり抜けないと、決して辿り着けぬロケーションだったのだ。
 数年前……。函館市内の高丘町から美原に転宅したあと、さいしょに歯医者にかからねばと考えた折のことであった。症状は、フィリング・イズ・アウト……つまり、詰め物の金属がポロリととれてしまったのだ。
 朝方人間であるわたしは、医療機関ならふつう午前の9時前からでも受付くらいは開始しているであろうと、つい首都圏の感覚で予断をして、9時前に家を出、まず目当てであった最寄りのX医院に、9時ちょうどに着いた。
 しかし、なぜかそこの玄関は閉まっているし、人が中に居る気配もない。曜日も時刻も間違ってはいないはずなのに、臨時休診とかの表示もない。
 わたしは門前で10分くらい待ってみたが、夏の好天でもあって馬鹿々々しくなり、すぐ近くのY歯科医院もしくはZ医院をたずねるべく、歩き出したのだ。さいわい、高丘町とちがって美原では、病院や医院ならば、歩き回ればナンボでもある感じだ。(そもそも小児科や薬局が多いことが、引越し先にここを選んだ理由であった。)
 ところが、探索順路がたまたま悪いのか、どうも9時半より前から待合室に入れるようになっている歯科医院には、とんと行き当たらぬ。それで、ついついわたしは、道端の色のくすんだ古看板に誘導されるままに、二俣歯科医院に辿り着いた。これが、幸運というより外にないのである。
 この二俣歯科医院が面している道路は、チセイ堂の2001年版市街地図帳によれば「赤川中央線」とあり、グーグルやヤフーのマップでは「富岡美原道」となっている(たぶん地元民の多くは、いずれの呼称も知るまいと疑われる)。美原三丁目のスーパーマーケット「アドマーニ」および「日本一金物」さん前の、信号のある四辻交差点を、赤川一丁目がある北東の方角、すなわち、新しめのラーメン屋さんを右手に見ながら通り過ぎる方向へ数分間歩いたところに、その医院は現われる。(ちなみにそのラーメン屋さんや、広壮な渡島支庁ビルが建っている街区は、美原の四丁目だ。富岡美原道は、美原五丁目と四丁目の境も成しているようだ。)
 この道路が不思議に、北海道にしては狭い車道。しかも微妙に、まっすぐになっていない。
 美原というのは基本的に「新開地」で、昔は畑か熊笹の原野しかなかった土地柄だとわたしは見ているが、このような道路はきっと、古くから存在する生活街路だったのに違いない。とすれば、そんなところには、古手の先生が開業している可能性があるではないか。
 〈弁護士は若いほどよく、医者は年寄りほどよい〉と、わたしは以前から聞いていて、わたし自身、それを承認する。
 医療行為は、決して〈サイエンス〉化することのないトライ&エラーの連続であり、気力・体力よりも、経験から来る慎重さが、いっそう患者のためになるのであろう。
 わたしの歯の詰め物が、何年かして外れてしまうのだって、歯科治療が決して〈枯れたサイエンス〉などではなく、千差万別な活物相手の〈アート〉であることを、示唆してくれているのだろう。
 さて、「二俣歯科医院」の表の標示をながむるに、診療日が月・水・金・土で、午前は九時半から診療が始まる、と書いてある。待合室に9時30分前に入れるのは(首都圏感覚ではあたりまえだと思うんだが)、有り難い。
 そして、その待合室内の貼り紙を見て判明したことは、ここの先生は、火曜と木曜は、函館市街から20kmくらいも東(つまり亀田半島の太平洋岸)にある田舎町の分院へ行っておられるらしい。
 わたしは想像力を膨らまし、「とすると、ここでは小説の『氷点』にでも出てきそうな、典型的な開拓地風の治療を体験できるのか」と考えた。
 この法外な空想が、まさか半分当たろうとは……!
 治療は、テキパキと、アッという間に済んでしまった。その日の昼飯前に工事完了、だ。(わたしは取れた詰め物を持参していた。)
 最も安価かつスピーディに、患者の悩みを解決してやろうという誠意が、その先生の堅確な腕の先から伝わってきた。
 そして、これはどういうポリシーであるのか、歯科技工士さんとか女子事務員さんが、院内には一人も見当たらない。なんと、一切を、先生がお一人でなさっている。
 最後の、受付での保険の点数計算までも、ご自分で記入しておられるのだ。
 首都圏のみなさん、想像できますかい?
 二俣先生は、無精髭が似合いそうな、そして小泉元総理のように頭髪ゆたかな60代の方であった。(後で知ったが、非常な読書家であった奥様を、亡くされていたのである。)
 その後、歯の不具合が発生する都度、わたしはこの二俣先生の速攻治療スタイルのお世話となり、毎回、十分な満足を覚えてきた。
 そしてつい数日前、短時間であったが、「政談」まで交わす機会に恵まれた。わたしはこれで、二俣先生のキャラクターの一端をいままで以上に了知し、ハッキリ言って、意気投合してしまったことを、ご報告せねばならない。
 ぜんたい、わたしの「ファン」であると呼称する人々の中にも、わたしの指向するところをからっきし理解していない人は、珍しくはないのだ。しかるに二俣先生ときたら、わたしの過去の著述など、ただのひとつも知らない人であるのにもかかわらず、考えていることが、驚くほど近い。
 たとえば、「テレビはもう駄目だが、ラジオにはこれから未来があるだろう」との判断も、そのひとつだ。
 二俣先生のご自身のご論拠はこうである。――老人は、視力の衰えに伴い、テレビから細かな視覚情報を得ることは苦しくなる。彼らが習慣的にテレビをつけているのは、むしろ音声を聴取せんが為だ。ラジオは、このような需要に応ずることができるはずだ――。
 さらに、アイテム数の多すぎる活字の新刊書籍の存在および梗概を市井人が労することなく把握するにも、インターネットのように目で画面を読む紹介ではなくて、耳で聞く紹介の方が便利なはずだ。寝ながらでも、車を運転しながらでも、あるいは書店で立ち読みをしながらでも、それを聞くことはできるから――と。
 なるほど……。わたしはこの話を承り、インターネット・ラジオの技術を駆使した「読書余論」の音声版のような収益事業も、将来は考えて良いのではないかと、ただちに直感したのである。
 保険制度についても二俣先生は卓見を持っておられる。それは、〈何年間も医者にかからなかった人には、政府が金一封を与えよ〉というのだ。
 これも大いに検討すべきことじゃないか。
 より具体的には、小額の現金をペイ・バック感覚で交付するのでも良いだろうし、60歳、70歳、80歳の節目に限定した「勲章」でも良かろう。受診ゼロというのではなく、同年代の平均的回数よりもずっと少なかった人について、何か、比例式に褒賞するという方式も、考えられるのではあるまいか。
 〈新商品のチョコレートは、必ず買ってきて自分で試食をする。それも、ウィスキーを飲みつつ〉と仰る先生は、ご自分の歳でいまさらインターネットを始める気にはどうもなれないのだと仰っていた。(ちなみにわたしは菓子パンを頬張りながら麦焼酎の水道水割りを飲むのがいちばん正しいと思っている。)
 世に聞かれる価値のあるお考えをお持ちであるプロフェッショナルな人々が、インターネット環境にアクセスせず、その高見を埋もれさせているのは、日本の為にはならないことだ。(たぶんグーグル社の全くあたらしいOSが、諸事敷居の高すぎるウィンドウズを世界から駆逐し去ったとき、この二俣先生のような方も家電感覚でインターネットとつながるのだろう、と期待をかけよう。)
 とりあえずわたしとしては今、このような宣伝的な書き込みを私的なブログ上に是非残しておかねばならぬと決心をさせられた次第である。
 二俣先生のような人士が、きっと全国に、もっともっとたくさん居られる。
 そうした人達のあたりまえの感覚を糾合できる簡単な方法は、未だ、発見されていない。