議事堂を見下ろす高層ビルこそ「反民主主義的」と何故心付かぬ?

 雑誌『表現者』のもうひとつの座談会で宮崎正弘さんが、「昔は皇居を見下ろすなんてとんでもなかった。皇居の前のビルは全部上限十二階だったんですよね。」「尊皇の心なんてないのではないか。」(p.24)と言っておられるのは、趣意としておおむね正しい。
 関東大震災が起きる前の大正9年に、もう政府は「市街地建築物法」を制定していた。別名これを「百尺規定」という。
 100尺=31mである。
 オフィスビルでは1フロア分が垂直3~5mをとると考えれば、この規定に従ったビルが、12階にもなることはないだろう。
 「十二階」とは、震災で半壊し、赤羽工兵隊によって爆破処分されている浅草の「凌雲閣」の別名で、その避雷針までの高さは52mあった(兵頭・小松共著『日本の高塔 写真&イラスト』1999刊を参照)。
 100尺=31mは、あとかたなくぶっこわされちまった旧丸ビルの軒高である。隣の旧国鉄ビルも同じ軒高で揃っていたものだ。
 それは決して威圧的でない高さで、空も広々と見える高さであった。
 要するに東京のビルの高さ規制は特別に皇居周縁だけに適用されたわけではなかったので、昭和38年に建築基準法が改正されるまでは、都心に丸ビルを超える商用ビルは、民用としては新築が不可能だったのだ。
 旧丸ビルの高さであったら、かりに皇居の内堀に面して建てたとしても、大内山の九重の奥を覗く事は物理的に不可能であったろう。
 だから大正9年以後は、安全基準が、同時に不敬防止になっていたともいえるわけだが、効能は決してそれだけにとどまるものではなかった。
 この軒高統制のおかげで、昭和40年くらいまでは、首都の公共建築物に、無理なく美的な威厳が備わっていたのだ。
 たとえば国会議事堂は65.4mで、いまなら超高層というものではないけれども、周辺がぜんぶ百尺どまりだから、巍然として聳え立って見えたわけだ。
 オレがまだ函館に引っ越す前に、この国会議事堂の近くに、とんでもない高層ビル(ホテル?)が建てられた。(『表現者』最新号の表紙の空撮写真の右上に、それが見えている。)
 これをつくったオーナー&工事会社もとんでもないが、これを許可した役人も、心底が見えたという感じだ。こんな蕪雑な高層ビル(ホテル?)に見下ろされている国会議事堂を、いったい誰が有り難がるんだ? 国会議員も一人くらい、怒ったらどうだ? もうあのビルの計画が許可された瞬間、日本の戦後民主主義なんて、メッキの剥げ落ちたマッチ箱細工も同然に煤けてしまったのだ。
 役人が徹底的に立法府をバカにしていることが、代議士がそれに甘んじていることが、もののみごとなぐらい情けない景観により、世界中に広告され続けている。
 日本の議会制民主主義は、進駐軍から戦後に与えられたもんなんかじゃねえんだっていうメッセージを、あの戦前竣工の国会議事堂は、そりゃあ力強く発信していたんだぜ。その明治自由主義維新のシンボルを、てめえたちでビル蔭に抹消しちまいやがってよぉ……。
 ふさわしい。鳩山氏がこんな埋没した国会議事堂で総理大臣に選ばれるのは。
 もういっそ遷都した方がいいと思うよ。東北以北ならノドンは飛んできませんから。
 AFPが8-12に、アメリカの軍人その他が6月からシリアをしきりに訪問していると報じた。
 そしたら8-14に共同が、北鮮製のミサイルをシリアが5月後半に国内の南から北向きに2発試射して2発ともコースを逸れ、町に落下した1発で死者20人とか報じている。
 こういうSSMはもうブースト段階で飛行機(無人機ふくむ)からAAMで撃墜しちまおうという案にさいきん米国は熱心なのだが、David Fulghum 氏の2009-8-14寄稿の記事にはブッとんだ。やはりそうか。
 ジェネラルアトミックス社いわく、「プレデターC」の対日販売は、MTCRに抵触する……だと!
 欲しくても買えねえんだよ。外国の高性能の攻撃用無人機は。
 どうするんだ、F-15の翼下に吊るすようなオモチャみたいな偵察用無人機を4機試作しているだけの防衛省さんは? もう周回遅れなんてレベルじゃねーぞ。おーい。