新しい話題と古い話題

 星条旗新聞のJon Rabiroff記者による2009-11-15付記事「Philippines takes aim at juicy bar trafficking」「Officials hope tougher immigration rules keep Filipinas from S. Korean prostitution」。
 韓国の米軍基地周辺に多数ある「ジューシー・バー」とは、日本のキャバクラで出てくる酒の代わりに、高額のジュースが出されるような店舗らしい。ホステスはすべてフィリピン人。こうした店舗は韓国政府からは免税扱いを受けているらしい。
 このようなあいまい飲み屋は韓国のキャンプ・ケイシィ周辺の「The Ville」地区だけでも70店もあるという。
 アムネスティ・インターナショナルがこれを問題にした。「Disposable Labour: Rights of Migrant Workers in South Korea」という98頁の報告書を2009-10-21に出したのだ。同報告によれば、女たちは、〈韓国の米軍基地城下町で歌手の仕事がある〉との誘い文句でフィリピンにてリクルートされ、韓国へ移送され、そこで奴隷状態にされる。到着すると女衒たちは仕事の真相を開示する。じつは米兵たちの酒間にはべる商売であり、いくつかの店舗では、春をひさぐのである、と。
 報道いわく。フィリピン大使館が移民規制を強化すれば、「ジューシー・バー」でのフィリピン婦人の労働は以降は許されなくなるはずだ。※要するにフィリピン政府がこうした出稼ぎ業態を黙認しているのじゃないかという婉曲な非難か。
 歌唱オーディションをパスして、韓国政府からエンターティナー・ヴィザを取得しないと、就労はできない。
 ホステスは、ジュースの売り上げが割当ノルマに達しないと、カラダを売って補いをつけねばならない。 Many come to South Korea thinking they will be performers, only to find out after they arrive that their primary job is to flirt with soldiers and other customers, and to prostitute themselves when they fail to meet juice-sale quotas.
 店内での売春の証拠はまだ押さえられていないが、キスとお触りがなされていることは、比大使館員の内偵で確認されている。
 女衒の闇チャネル経由で就労しているフィリピン婦人は、大使館の監視が届かないので、虐使に直面する。
 米軍は、女衒の婦女移送には「ゼロ・トレランス」で臨んでいるが、韓国の基地周辺では、なかなか対策できないでいる。
 米軍として取り得る措置は、人身売買の確認された店舗周辺を、兵隊たちの立ち入り禁止場所として指定することだけだ。すでに韓国内の約50店舗が、そのような指定をされた。これにあと20店舗が追加されるかもしれない。
 在韓の比大使館の出稼ぎ担当官いわく、2010年春までには比政府が米軍基地や湾近くのバーで女が接客業に雇われることを禁じてくれることを望む、と。
 比政府は、同国民が、イラク、アフガニスタン、レバノン、ヨルダン、ナイジェリアへ出稼ぎに行くことを、危険を理由に禁止している。新しいパスポートには、「イラクへは行かれません」とスタンプされてしまう。
 そういうところは逆に良い稼ぎになる。そこで彼らは、古いパスポートを使ったり、密出国手引き人の世話になる。これは空港職員などが涜職しているのだ。
 次。
 NYTの Op-Ed Columnist 欄。ROGER COHEN氏の2009-11-12付の記事「Of Fruit Flies and Drones」。
 2001年以降、イラクとアフガンですでに米兵は5000人死んだ。
 イラクに2003に乗り込んだときは、ごく僅かの無人機しかなかった。いま、米軍には7000機の無人機がある。※自衛隊は陸自の砲兵観測用無人ヘリが少々という現状かな? 空自は3機ぐらい?
 パックボットのような無人の車両は、2003にはゼロ台だったが、今は12000台もある。※陸自は限りなくゼロ台に近いですよね?
 しかしオバマ政権の9ヶ月半に、パキスタン領内での無人機によるミサイル攻撃がたくさん許可されている。その数はブッシュ(子)政権最後の3年と同じだ。
 すなわちオバマ政権下でのCIAは41回のミサイル攻撃をパキスタン上空のプレデター/リーパーから実施した(だいたい週に1回)。それによって500人くらいが既に爆殺されたのだ。※コーエンは「〔ヘルファイア〕ミサイル攻撃」としか書いてないが、それは不正確で、リーパーその他からのレーザー爆弾による戦果がかなりある筈。つまりレーザー・スポッティング専任プレデターとの共同戦果。
 死者の中には、ビンラディンの長男とか、バイチュラ・メシュドのようなターゲットも含まれていたが。
 “Wired for War”〔いま読んでいますが、メチャクチャ面白いです。しかしロボット史についての認識は浅いという印象。だいたいチェスロボットがナポレオンを負かしたことがあるとか、ネット検索した情報の中からガセを見破る力量がちょっと足りない人ではないか。アゾンも英軍ではなく米軍の爆弾ですよ〕を書いたP.W. Singerがこう言った。今年(2009)、米空軍は、戦闘機パイロットや爆撃機パイロットよりもたくさんの、無人機操縦者を育成する。ビル・ゲイツも、ロボット技術は今、ちょうど1980年におけるコンピュータと同じような段階にさしかかっているところだと認めていると。〔じつはシンガーは、もっとすごいことを言っている。ロボットは、原爆に次ぐ、現代軍事技術上の革命をもたらすに違いない、と。兵頭もまさしくそう思います。実戦に使えない核兵器は、いろいろな意味で、もう古くなりつつあるのです。詳しくは大阪講演で!〕
 コーエンいわく。議会はロボット戦争を監視せよ。そして基本ルールを敷け。
 次。ロサンゼルスタイムスの2009-11-13付のThomas H. Maugh II記者による記事「2 Japanese subs sunk after World War II found」。
 米軍はWWII終戦時に、日本海軍の5隻の潜水艦を鹵獲し、ソ連に技術が渡らぬように、オアフ沖で1946に沈めた。
 そのうち「イ-401」は、2005年のセントパトリックス・デイに、海底で発見された。しかし他の4隻は見つかっていなかった。
 このたび、2500フィートの深海で、「イ-14」と「イ-201」が見つかった。
 来週の火曜日にその水中映像を、米国のナショナルジオグラフィック・チャネルでTV放映するという。
 スミソニアンですでに復元展示されている晴嵐、これをイ-14は、浮上後、7分で発射できた。
 有泉龍之助司令は、終戦時、全潜水艦に、乗員を乗せたまま自沈しろと命じた。The commander of the squadron, Capt. Tatsunosuke Ariizumi, ordered all the planes and torpedoes to be launched and sunk, then ordered the subs to be scuttled with all hands aboard.
 兵頭いわく。これはありえそうにない話ではないか。有泉は終戦時は631空の司令だから、晴嵐の処分を命ずることはできたが、艦長に何かを命ずる権限はなかろ。
 イ-201は、米潜が8ノットしか出せなかったのに20ノットを出せた。また米潜が200フィートしか潜水できなかったのに、ダブル・ハルで300フィート潜れた。
 この記事を読んで兵頭おもえらく。
 潜水艦が浮力を失ってどこまでも沈んでいくと、あるところで隔壁が圧壊して大量の水が一挙に艦内に押し寄せる。すると、ディーゼル・エンジンの空気圧縮点火と同じ現象が起こって、艦内の物が一瞬にしてすべて燃え上がり、その直後に水で潰される。だから引揚げてみると、殉職者は全員、焦げている――という文献を、以前の〈読書余論〉でご紹介したかと思います。(この豆知識は、面白いので、ゴルゴ13の「北緯90度のハッティ」の中でも使わせてもらいました。)
 では、魚雷や砲弾はそのときどうなるのか?
 わたしは自衛隊入隊直前のプータローのとき、物好きにも「甲種火薬類取扱保安責任者」の資格をとってみたことがあります。一度も仕事で行使しなかったので、もはや錆び付いていますが、その折りに仕入れた知識でまだ覚えているのは、火薬類には「死圧」があるということ。つまり、ある程度の高圧下になれば、もう爆発しなくなる火薬/爆薬が多いのです。
 たぶんこの現象が、隔壁の頑丈な潜水艦の場合は起きるのではないかとも想像しています。
 しかしそうしますと、『大和』が水中に没したあと、弾火薬庫が大爆発を起こしたらしいといわれていることは、どう説明がつくのか。この発火も、頑丈な弾火薬庫の隔壁が圧壊し、水圧が一挙におしよせてきたことによる空気圧縮熱によって、まず装薬(発射薬)が自燃して、引き起こされたものではなかったでしょうか?
 水深の差によって、大爆発したりしなかったりするのかもしれません。もちろん、答えは謎であります。
 魚雷が火に弱いことは、米軽空母『プリンストン』のS19-10-24の被弾で証明されたことがあります。日本の艦爆が爆弾1発を当てたことから上甲板の航空機のガソリンが燃え、それが航空機用の魚雷2本を爆発させた。そこからだんだんと下層魚雷格納庫にまで火が回って、救援作業中の軽巡『バーミンガム』の200名をもろともに吹き飛ばすほどの爆発を起こしたといわれます。
 想像しますに、当時の米軍愛用のトルペックス炸薬の鈍感度が、足りなかったのかもしれません。
 昭和2年8月24日の月明のない深夜、日本海の三保関沖での帝国海軍の水雷戦の演習中に、高速(五十嵐邁氏著『三保関のかなたへ』によれば三戦速28ノット)を出していた駆逐艦『蕨』の船腹に、軽巡『神通』が前方45度から衝突し、『蕨』は中央を真っ二つに割られて、26秒の間に沈没しました。このとき『蕨』はボイラーが破裂して艦橋の背後からオレンジ色の火柱が立ち上ったそうですが、砲弾や魚雷や爆雷が誘爆したという記録はありません。艦首の下半分を欠損した『神通』側にも、火災や爆発のリポートはありません。
 しかし後にトロール網で海底から偶然引揚げられた五十嵐少佐と新田大尉の遺骸は、着衣ともにほとんど傷んでいなかったのに、掌だけが、高温で火傷した印として白くなっていたといいます(五十嵐氏前掲書 p.275)。してみると、手摺りのペンキは燃えたのでしょうか?
 この衝突の直後、こんどは軽巡『那珂』が80度の角度で駆逐艦『葦』の左舷後部に衝突しました。二重衝突事故です。相対速度は秒速30mだったかもしれないといいます(『蕨』艦長の遺児である五十嵐氏の調査によっても両艦の速度はハッキリしないようです)。『那珂』は艦首を大破し、『葦』は後部を失いましたが、やはり、弾薬の誘爆は報告されていません。
 WWII後半の日本の駆逐艦や巡洋艦は、米機の銃撃で魚雷の酸素に火がつくのを恐れ、魚雷を早めに投棄したという記録をよく目にします。しかし、三保関事件当時(皇紀2587年)、93式酸素魚雷はまだ水雷戦隊に普及していなかったことは、幸いだったでしょう。
 もちろん今日の海軍で、魚雷に酸素を使っているようなところはないでしょう。「週刊オブイェクト」さんが太鼓判を押されるように、軍艦の爆発事故などよりも、よほど商船の爆発を恐れるべきでしょう。
 わたしは、硝酸アンモニウムもしくは硝安系の肥料を満載した貨物船による沿岸都市破壊テロを、海上保安庁はもっと警戒すべきであると考えます。
 アフガンで肥料からつくったIEDが話題になるよりもはるか前、北鮮の鉄道駅で貨車の大爆発がありました。あれが、硝安系の肥料の威力です。
 鉱山の発破用にも、硝安系ダイナマイトや、硝安油剤爆薬(アンフォ爆薬)が多用されています。(ということはTNTと違って一酸化炭素のあとガスを発生しないわけだ。環境にフレンドリーなエコ爆薬ですわ。)
 連合赤軍が三菱重工ビル爆破に使用したカーバイド〔でしたよね?〕の荷動きも監視すべきでしょう。もちろん、とっくにそうしていると思いますが。
 インターネットで調べれば、世界の大爆発事故のトップ10の中に、肥料爆発で欧州の某町が半壊したとかいう事実がみつかるはずです。
 ちなみに、爆発事故の堂々第一位は、第一次大戦中に欧州戦線向けの弾薬運搬貨物船が爆発したカナダのハリファックス港の惨害です〔控えのデータが見つからないので委細は省略〕。このときはドイツの破壊工作員の仕業ではないかと徹底した捜査が行われましたが、どうやら、自爆事故だったと結論されています。
 パナマ運河の安全基準はどうなっているのか、外航船の船長さんに、聞いてみたいですね。あそこを米海軍の原潜や弾薬補給船が通航することもあるはずです。また、閘門の外側で船舶が順番待ちする溜まりには、かなりの密度で船舶、ときには軍艦が、まじっているはずです。
 おしまいに、テンプレ。
2009-11-23にJSEEOの大阪講演会があるよ。
場所は、大阪市中央区北浜東の「エル・おおさか 大会議室(6F)」。
時刻は、午後の2時半からだ。
参加費は¥2,000円。
詳細は ↓ JSEEOのHPを御覧下さい。
http://www.jseeo.com
 今回、愚生は日頃愛読しているブログ『中韓を知りすぎた男』の辻本貴一先生に面拝し度きものと思い、ご都合を打診していたのですけれども、先生は海外ご出張のため日程が合わないということが判明しましたのは残念であります。しかし来年2月の神戸講演前後には、また機会もあるでしょう。