●「読書余論」 2013年2月25日配信号 の 内容予告

▼山岡惇一郎『田中角栄 封じられた資源戦略』2009-11
 造兵学者の大河内正敏について詳しい。ピストン・リングが現代航空戦のキー・テクノロジーであり且つ戦時量産のネックになると見抜いていた慧眼の大河内が戦前に書いたものは国会図書館にたくさんあるのだが、彼自身が戦後どうしていたのかはよく分からなかった。この本のまとめにより、承知ができた。
▼『大正ニュース辞典』毎日コミュニケーション
 泰平組合スキャンダル関係記事を拾った。国会で公然と議論されていたところが、大正デモクラシーらくして良い。
▼『内外兵事新聞』
 村田少佐がつくった「室内銃」について。
▼『偕行社記事 No.282』M35-1
 南部小銃製造所長の小銃談。
▼『内外兵事新聞 第21号』M9-7-31
▼『内外兵事新聞 第22号』M9-8-7
 村田の「軍用銃原因略誌」という寄稿がある。
▼防研史料『自動砲教練』宮沢部隊本部 ?年
▼防研史料『満蒙ニ於ケル兵器使用上ノ注意』陸技本 S9-10
▼防研史料『伐根車 取扱法』陸軍航空審査部 S20-4-5
▼防研史料『蘇軍手榴弾説明書』陸技本 S16-8
▼杉本勲ed.『幕末軍事技術の軌跡――佐賀藩史料「松乃落葉」』S62
▼宮田幸太郎『佐賀藩戊辰戦史』S51
▼『田中角栄 私の履歴書』S41-5 日経刊
 この自伝が出たあと、山本七平は、旧軍体験者との対談の中で何度も、准尉に取り入れば軍隊ではほぼなんでも可能だった、と確かめ合い、角栄は満州の騎兵聯隊で准尉に賄賂をつかませて仮病で除隊したと匂わせていた。その真偽について、ここで精読して判定しよう。ちなみに南次郎によれば騎兵聯隊は不良将校の吹き溜まりだったそうだけれども、田中の回想にはそれらしい記述はない。
▼牧野和春『巨木再発見』1988-6
▼中出栄三『木造船の話』S18-9
▼鈴木雷之助『薩摩大戦記』M10-3-10~M10-4
▼清水市次郎『絵本明治太平記 全』M19-11版
▼馬場文英『改撰 鹿児島征討日記』M11-7
▼塩谷七重郎『錦絵でみる西南戦争』H3
 乃木少佐が軍旗をとられた事実についての政府による検閲が当時あったことは、以上の一連の当時の出版物から、傍証され得る。
▼『公衆浴場史略年表稿本 自明治元年 至昭和四十三年』S44
 日本の煙突史について調べていた頃のメモより。
▼井上哲次郎『倫理と宗教との関係』序文M35-8-28
 日本主義は個人が自存のため「衛善」を怠らないようなものだが、国民の場合、種々の宗教が紛争すると、国民自衛できなくなる、と井上は言う。自存&自衛という用語がコンビで活字となって出てくる、管見によれば日本で最も早いもの。
▼『第三次防衛力整備計画』つづき
 蒋介石は『中国のなかのソ連』で、中共の暴力戦略をこう総括した。「彼らは戦いに敗れると、平和共存を要求し、彼らの実力が強くなれば、平和的話し合いを決裂させて武力反乱を起した。彼らにとってはわれわれとの平和交渉が、とりもなおさず、われわれに対する武力反乱の準備であった。これが、すなわち彼らの弁証法のいわゆる『矛盾の統一』と『対立物の転化』なのである」。
▼『山本七平全対話6』つづき
 会田雄次いわく。教育召集で入隊したとき准尉さんが「君のお父さんも君が戦地へ行くことを心配しているだろうな」という。これは、お前のおやじに連絡して金を包んだら、お前を出征組から落としてやるというナゾだったのだ。准尉殿の当番兵になったということは、命が助かるということ。
 司馬いわく。会津藩の百姓は、会津若松の城が今日か明日にも落ちるというときでも平気だった。会津は後進的だったので侍と百姓が分離していた。官軍の手引きをする連中もいた。商品経済がなかったから、四民平等思想に達しないのだ。
 山本いわく、ユダヤ教世界には、契約の更改がある。それが新約。それをするのが、予言者。イエスは予言者である。あたらしい契約の時代が始まるんだと。
▼防研史料『明治39年陸軍兵器本廠歴史』
▼『偕行社記事 No.213』M32-3
▼『偕行社記事 No.216』M32-4
▼『偕行社記事 No.217』M32-5
▼『偕行社記事 No.218』M32-5
▼『偕行社記事 No.219』M32-6
▼『偕行社記事 No.221』M32-7
▼『偕行社記事 No.228』M32-10
▼『偕行社記事 No.238』M33-3
▼『山本七平全対話1 日本学入門』1984
 司馬遼太郎は1976年頃に積極的にノモンハン経験者に取材していたことがわかる。その咀嚼はしかし、深化しなかった。
▼加登川幸太郎『帝国陸軍機甲部隊――増補改訂』1981、原書房
 山本七平と司馬遼太郎の対談を読めば痛感するように、80年代になってもまだ日本人の戦車の知識など、未熟きわまるものだった。同じ課題を元参謀の加登川氏も抱き、出入りの防研に眠る史料と、戦術面では得意のロシア語文献を参照して、戦中の実相に迫ろうとした力作。しかし加登川氏には戦車の話ではなくフィリピンの話を聞いとくんだったといまさら悔やまれます。
▼小松茂美ed.『続 日本絵巻体系・17』中央公論者S58
 長刀しか無い時代には正面の防護は考えなくてよい。だから兵士のプロテクターは両頬だけなのである。
▼洞富雄『幕末維新期の外圧と抵抗』1977
 いまの神奈川県立図書館から桜木町駅の間のどこかに、幕府が買ったガトリング砲が据えられていたという話。
▼『開拓使 事業報告 第五編』大蔵省 原M18-11pub.→S60復刻
 軍艦・蟠龍のその後の運命について。
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 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)
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 また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。
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