廃憲に関するよくある疑問 FAQ

Q 「改正」ではなぜいけない?
A 外国軍が日本の国体を法文上で強制変更した1946憲法が成立している、と、事後的に、平時に、意志的に、日本国民が認めたことになってしまうから。「だったら、もういちど同じことをしてやれ」と、シナ人、韓国人が思うだろう。それは日本人の安全を長期的に損ねる。
Q 廃憲の手続きは?
A 拙著『「日本国憲法」廃棄論』では論じていない。すでに「無効論」の先達たちがさんざん論じているので。あくまで一案として。内閣総理大臣が閣議を経た上で発議し、国会の定員の過半数による「成立無効決議」。もっと簡便な、あるいは法律テクノロジー上すぐれたし方もあるかもしれぬ。
Q 廃憲したら、現憲法下での施策も無効?
A 勅令で「当座そのまま」にすればいいだけ。小山常実氏(『「日本国憲法」無効論』2002)など、先行する「無効論」者の人々の著書には、いろいろと具体的な方法が書いてあります。兵頭独自のアイディアは特になし。というのは拙著の目的は「いちばん大事なこと」を語ることにあり、内閣法制局の有能な法律テクノクラートの方々の仕事を奪うことではないからです。大事なことと大事でないことの区別をつけないのが日本人のいつまでも治らない病気だ。大事なことさえ定まれば、あとはどうにでもなるもんだ。
Q 1946憲法で、国体は変わったのか?
A SCAPは「変わった」とソ連その他の諸外国に説明できた。日本の指導層は心の中で「変わっていない」と思い得る。日本の反日左翼は「変わった」と主張し得る。ひとつ確かなのは、法文上のどこにも日本が立憲君主制であるという明示は無い。法文の上では、対外的に、日本の国体は変えられてしまっている。あとは、日本国民自身がどう考えるか。拙著は、その問いを喚起した。
Q 明治憲法は、よいものだった?
A 制定当初は瑕疵がすくなかった。しかし「天下は活物、法は死物」。死物を硬性(改正しにくい)としたために、昭和前期において国家を死物にしかけた。
Q 新憲法はどのようなものであるべきか?
A あくまで明治憲法の条文をひとつひとつ手直しし、またはそれに加除するというスタイルで作業をすすめないといけない。1946憲法の条文をひとつひとつ手直しし、加除するというスタイルではダメだ。それは1946憲法の成立を承認したに等しい。それでは、日本国民の、現在および将来の自由は、担保され得ない。
Q 石原慎太郎氏をどう見る?
A ご本人におたずねしたことがないので石原さんの国体観を承知しない。1946憲法が国体変更憲法であるがゆえに石原さんは反対なのか。それとも、反米だから反憲法というだけなのか。そこにわたしは関心がある。あるいは石原版の独自憲法草案を教示してくださればそこはおのずからあきらかになるはず。
Q 憲法96条改正の動きをどう見る?
A 一言で言えば「けがらわしい」。帝国憲法第73條改正でなくてはいけない。
Q 現憲法にも評価すべき点はあるのか?
A 天皇制を実質、守ってくれました。
Q なぜ「主権在民」ではまずいのか?
A 「オレが法律だ」といって勝手気儘をして誰からも刑務所に放り込まれないことが「主権」。人民にそんな主権があるなどと思い上がってはいけない。しかし人民本位に考えないのは近代じゃない。末端の一兵卒が同心しなかったら君主は存続できない。だから吉野のように民本主義とでも言っておくべし。近代の「憲政」を言い表す、適切な用語だろう。そして主権配分(君主、人民、国家)よりいぜんの重大事として、防禦すべきものがあり、それは国民の安全と自由(法の下の平等を前提とす)である。
Q 米国憲法には国民主権についての規定がない。外国の憲法と日本の憲法を比較すると、いろいろおかしな点がないか?
A どの国の憲法も、外国人からみたら「おかしい」ものだ。
Q 五箇条の御誓文をどう評価する?
A 大事でない細かなことを書き込みすぎてない。それによって、ほんらい「死物」であるはずの法文が「活物」となった。その好例。現代日本人のよくない癖は、本当に大事な大切なものと、どうでもいい瑣末なことの区別がすぐつかなくなること。幕末の日本のインテリには、その区別はついていた。
Q 産経案をどう見る?
A ずっとまえの読売案のときもそうだったが、とにかく日本語が役人の作文そのものでみっともなくて読み苦しい。また、前文は、「いままで外国の圧力で奪われていたものを取り戻す。1946からいままでがずーっと間違っていた。だからそれを正してこれを制定する」という主旨の海内への宣言でなければならぬところ、そうではなくて、終始、余計な説教ばかりが書かれてある。この冴えない説教節を数世代後の日本人にも暗誦させるんかい? 据傲というか阿呆というか……。このレベルの説教は、首相談話として同時公表するにとどめておけばいいだろ? 一般にどうして日本人は憲法にいろいろと「書き込みすぎ」たり「硬性」にしとこうとするかというと、それは日本人民の国体観が「意識的」でなく、外国や反日勢力の宣伝にまどわされるのではないかと恐れるから。二等兵=人民の国体観がいちばん重要。そこさえしっかりしてれば何も恐れなくていい。三行憲法でもいい。
Q 憲法に国防の義務を盛り込むべきか?
A 明文で盛り込まずとも近代憲政ではその義務はあるのがあたりまえ。だが、1946憲法はそれがないかのように誘導したものであったから、その害悪を廓清するためには、あらためて明文で盛り込む必要がある。近代憲法は、「いままでおかしかったところを正す」「ついせんだって克服した危機をふたたび招かないように強調し確認しとく」という機能を持つべきだろう。