えっ、盥と洗濯板 知らないの? 川の水 只だから どんどん使って!【2013-6-27作文】

※兵頭のPC端末を機種変更してから「ブログ人」へのログインができぬ状態が続いています。MIL短報は臨時にこちらへ掲載します。
一。
 ストラテジーページの2013-6-26記事「The War Against Invisibility」。
  沿岸で使う限り、原子炉を搭載しない電池動力の潜水艦はきわめて探知し難い。
 米海軍は半世紀前から核動力の潜水艦しか所有していないが、ポスト冷戦の電池潜水艦対策はずっと研究してきた。
 2005~2007には、そのためにスウェーデンから潜水艦を借りて、米国にとっての「最悪シナリオ」を実演してもらい、米海軍のSSNなどがASWの腕試しをした。スウェーデンはたった5杯しか潜水艦を持っていないのだが、クルーごと、リースをしてくれた。乗員以外の民間技師も数十人ついてきてサンディエゴに寝泊りした。
 ゴットランド級のスウェーデン潜は長さ65m、1500トンと小型で、乗員は25名である。
 その前には、米海軍は、豪州の潜水艦を相手によく訓練していた。しかしゴットランド級はAIPである点が、最悪シナリオにふさわしかった。
 イランと北鮮にはAIP建造能力はない。したがって最悪シナリオとは、中共のAIP潜水艦が密かに米国近海に接近し、そこから米本土を核攻撃する可能性に関係する。
 米海軍の最新ASWには、音、磁気、熱だけでなく、匂い(海中の化学物質)を追跡するものまでがある。
 現在米海軍は、環境団体に圧迫されている。南加州沖が潜水艦の訓練場なのだが、低周波ソナーを使うとクジラが死ぬからやめろと環境団体は文句をつけている。それでは中共の潜水艦を中共沿岸で探知できなくなる。
 今日、39ヵ国が、400隻の diesel electric 潜をもっている。
 うちシナが50隻、イランが3隻(+ミジェット潜航艇×25)、北鮮が20隻(+ミジェット50隻)。
 3国の大型潜のうち半分は古すぎるし、うるさすぎる。
 3国のミニサブの半分も、同様だ。
二。
 ストラテジーページの2013-6-23記事「Tardy Terrier Finally Arrives」。
  車外からリモコンしてロボット工兵にもできる装甲工兵車を、英陸軍が受領開始。
 開発に14年間かけた。
 この装甲ブルドーザー「テリアー」は自重30トン。従来装備していた17トンの FV180 をリプレイスする。
 ※土工車輛はあるていど自重がないとふんばりが効かないので、押したり引いたりする作業で力を出せない。さりとて重くしすぎたり履帯を特殊な形状にしすぎると、こんどは自走機動に不便。痛し痒し。
 しかし多くの国では、用済みになった大量の戦車の一部を、装甲工作車に改造する。砲塔をとっぱらって、装甲キャビンに換え、ドーザーブレードなどを追加するのだ。
 ※戦車は足回りが走行本位なので、サスペンションが効きすぎて土工作業には不便。しかし原理上、じぶんと同じ重さのモノまでは、押したり引いたりできる。
 テリアーは、最近の先進国軍隊の工兵車輛が皆そうであるように、リモコンで無人作業をさせられる(陸自のは、できない)。車外には5個のビデオカメラがあり、全周視界を得られる。モデルによっては、デモリッション砲を装備し、障害物破壊用の爆薬を投射できる。固有武装は、機関銃のみである。
三。
 M.L. JOHNSON 記者による2013-6-26記事「Head of Vietnam-era draft lottery dies at 88」。
  ベトナム戦争中、米国は選抜徴兵制度を敷いたが、その選抜の公平性と透明性を確保する方法を考えた男、カーチス・タール氏が88歳で死去。
 ニクソン大統領が、彼を Selective Service System の長に任命したのは1970のこと。
 それに先立つ1969-12のロッタリー式ドラフトから、タールの提案方式は実行されたのである。
 ※ドラフトとは徴兵のこと。これで思い出すのは、むかし、読売巨人軍の役員が不透明な箱に手をつっこんで紙片を一枚つまみあげると、それが必ず、入団前から最も騒がれた選手を指名できる切符であったこと。あんなの少しも公平でも透明でもなかろう。
 米国でもこのロッタリーの導入前は、どの若者を徴兵し、どの若者をしないかは、地域のドラフト委員会が密室で恣意的に決めていた。それは不評だった。
 どの若者が、徴兵されるか(徴兵されれば必ずベトナム行きとも決まっていなかったが、高率で行くことになった)を決めるのに、タール氏の発明したロッタリー方式なら、「情実が関与している」とか「イカサマだ」といった不平は起こり得なかった。
 では、彼が発明した公平な方式とは?
 プレキシグラス製の透明な多角錐ドラムの中に、365枚の紙片が入っている。その紙片には、「1」から「365」までの番号が書いてある。
 このドラムの回転軸は、横に寝ている。ドラム全体をレバーで手動回転させると、穴から紙片が1つづつ、落ちて出る。
 これを365回、公開の会場にて、繰り返す。(やるのは12月。)
 この籤引きの結果、「1月1日」から「12月31日」まで、1日ごとに、まず、ランダムナンバーが割り振られた。
 さて、1年365日のすべての日について、ランダムに籤引きされたナンバー(とうぜんそれは「1」から「365」まである)がひとつづつ割り振られた結果、たとえば、「5月1日」には「100」というランダムナンバーが、籤によってたまたま割り振られたとしよう。
 これで、翌年の1年間に関しては、「5月1日」生まれの徴兵適齢者は、ランダム番号「1」~「99」に籤で割り振られた誕生日の若者全員よりも、後に、召集される順番がまわって来る――という方式なのである。
 すなわち、某年度に徴兵される新兵さんは、まず「1」に該当する誕生日の若者全員。それでも定数に足りなければ、こんどは「2」に該当する誕生日の若者全員。それでも定数に足りなければ、「3」……、と、どんどん召集して、これを定員充足するまで続ける。
 ゆえに、何番までの若者が入営するかは、年度によって、変動することになる。
 じつは、1970年にはもうベトナム戦争からの足抜き路線は決まっていた。だから徴兵員数も、さいしょから漸減トレンドだった。
 1970年には、「ナンバー1」~「ナンバー195」の該当誕生日の若者だけが召集された。
 そして1971年には、「ナンバー1」~「ナンバー125」の誕生日の若者だけが入営した。
 ついに1972年には、徴兵は必要がなくなった。もはや志願兵だけで、米軍は充員できるまでに、兵力が縮減されたのだ。
 タールは1973まで政府(国務省)にポストを与えられ、海外の軍事プログラムに関与した。それから、私企業や大学を渡り歩いた。
 1970~72に発送された召集令状にはタールの署名がしてあった。だからその時期に徴兵されたアメリカ人は、みんな、タールの名前を忘れていない。
 タールは1924に加州で生まれ、WWIIでは陸軍に入営して欧州戦線で闘った。除隊後、スタンフォード大を卒業し、ハーバードで経営学修士。それからスタンフォード大で論文博士。その論文は軍隊に焦点を当てていた。
 1963にはウィスコンシン州のローレンス大学の学長。
 その時期、同州知事に行政面での協力を求められ、そこから共和党に認知され、ペンタゴンに呼ばれた。そこで、選抜徴兵の長になった。
 ※米軍は駐韓米軍の費用の半分を韓国政府が持てと要求しているそうだ。同様の要求が日本に来ても不思議はないね。