『「日本国憲法」廃棄論』の文庫版が出ました。草思社から820円+税。

 文庫版での追記として、集団的自衛権の話を書いているので、興味のある人は巻末をお読みください。
 「裏吉田ドクトリン」というものが、内閣法制局本流と吉田の弟子筋には1954年から継承されているのではないか。それを、外務省条約局(イコール米国政府)と、朝鮮や台湾との人脈が太い非吉田系の総理大臣たちがタッグを組んで破却しようとし、暗闘をくりひろげてきたのが、2014年までの流れじゃないかなと、兵頭は疑っております。
 吉田茂が最終的に総理大臣を辞めたのは1954年(昭和29年)12月7日でした。
 この年はいろんなことがあった。自衛隊もできた。韓国は竹島問題を国連司法裁判所へ提訴させないとわめいていた。吉田は李承晩や朝鮮人が大嫌いでした。無理もなかったでしょう。
 吉田は朝鮮戦争のさいも総理大臣だった。そのとき米国はとんでもない要求を持ち出してきました。30万人規模の日本陸軍を再建しろというのです。米国は日本に「日本国憲法第9条2項」を押し付けたのに、それはもうどうでもよくなったからそっちで適当に始末しとけというわけです。で、その日本兵をどこに使おうというのか? 朝鮮半島で李承晩を救うために米軍の指揮下でシナ兵と戦えと言い出すにきまっていた。馬鹿な旧軍参謀たちも、蒋介石の「大陸反攻」のためにまた一肌脱いでやってもいいと、いろいろ妄動していました。
 吉田は、心の中でどれほど怒ったでしょうか。
 吉田は、自衛隊が米軍の足軽にされる事態だけは未来永劫、予防しろと、内閣法制局に言い含めておいたに違いない。敗戦翌年の押し付け憲法の受容過程で、吉田と内閣法制局とは、一心同体の同志関係になっていました。
 このリクエストに応えた法制局の名答が、「必要最小限度」という言い回しだったのでしょう。これは、国際法学説上の自衛権発動の3要件のひとつ:「プロポーショナリティ」を訳したものです。
 1954年に内閣法制局は、「必要止むを得ない限度の実力行使」は(個別的)自衛として許されるから自衛隊は合憲だと説明したのですが、2年後に、「必要最小限度の措置」は自衛の範囲であるというふうに言い直し、以後、「必要最小限度」がだんだんに定着します。
 こういう表現にしておけば、将来、日本の経済がどれだけ復興しても、陸自が30万人とか50万人に膨れ上がることはないでしょう。米軍と一緒に、あるいは米軍の命令で外地で戦闘させられることもないでしょう。そのイメージと「必要最小限度」という日本語の表現は、どうも整合しないからです。
 しかし1994年にクリントン政権が、北朝鮮の核施設を「自衛」を名目に先制空爆しようと思ったとき、日本政府が「裏吉田ドクトリン」を楯に、完全な傍観者になるつもりであることを伝えたときから、米国政府も問題の所在を把握しました。
 そこから外務省条約局の巻き返しが始まって、2014年にはついに日本版NSCが外務省主導で成立した。外務省条約局出身者を内閣法制局長官にした上で、「裏吉田ドクトリン」を破壊することにもアメリカは成功しました。
 歴史は皮肉なもので、いま、「裏吉田ドクトリン」を最も力強く応援してくれているのは、かつて吉田が嫌悪した韓国政府です。韓国海軍のイージス艦のソフト更新に予算をつけないことによって、また海上自衛隊の軍艦旗などにイチャモンをつけることによって、日米両海軍とのMD連携を拒絶。しょうがないから米軍も地上型のTHAADを持ち込むしか手がなくなっています。バカのバイデン(ゲイツ元国防長官が自伝でそのバカぶりを暴露している)を使って麻生氏や安倍氏に「靖国に行くな」と圧迫させ、逆行動を誘発したりしてくれる。こんな韓国政府あるかぎり、自衛隊員が「平壌治安維持部隊」として派兵されることもなさそうですから、万歳でしょう。自衛官は、韓国人やシナ人のために血を流す仕事は、ごめんをこうむります。
 「お断りだ!」――吉田茂が米国使節の面前で飲み込まねばならなかった言葉を、わたしたちならば口に出せるでしょう。