「サーベランス・ソサィエティ」で何が悪い?

 ドライブレコーダーが普及したことで、見過ごされずに「記録」された道路交通法違反行為は、さぞ多いであろう。
 かたや、「ドライブレコーダーのせいでプライバシーが侵害された」と文句を垂れている奴は聞かない。それは人の家の中まで覗き込めるような撮影装置ではないからだ。
 一方では、ドライブレコーダーを装着した運転者本人の「行儀」が改まった、という、思わぬ効果が、運転者の家族や周辺者の福利に貢献しているはずだ。そう、住民個人による公共空間監視行為は、その個人をも、責任ある「市民」にするのだ。
 わたしにいわせれば、ドラレコの普及に「優遇税制」を適用しない交通行政は、ずいぶん非合理的だ。金額的には有限なのに、達成される安全、救われる人命は、はかりしれないのであるから。
 まったく同じことが、「自動録画機能付きテレビドアホン」や「自動録画機能付き玄関前監視カメラ」についても言える。
 わたしはこの主張をもう2009年から繰りかえしてきた。
 このたびの関西における未成年者誘拐殺人バラバラ死体遺棄事件を聞いて、政府からの監視を毛嫌いして自治体による監視カメラ増設にも常に反対をとなえてきた心やましい「贋市民」どもにも、ようやくどこに「安全の理」があるのかが、呑みこめるであろう。
 この犯罪も、コンビニの駐車場を昼夜見張ってコマ撮りしているような安価な監視カメラがもっと街路に普及していれば、予防することができたのだ。
 昔の家主は、じぶんの家の前の道路の掃除に責任を感じていた。陶器片や折れ釘などが落ちていては、草鞋履きの通行人が怪我をするかもしれないからだ。
 現代のビルのオーナーと持ち家の住人は、じぶんの建物の前の道路を昼夜にわたりビデオ録画するのが、社会基盤をよくする貢献ではないか。地所持ちにとって、その金銭的負担は、比較的些細であろう。
 もし、地域を震撼させるような猟奇事件が発生したときに、玄関前監視システムの設置者が、それらの録画画像を任意でインターネット経由で警察に提供できるような慣行を、普及させるべきなのだ。犯人は、公共の道路をなにがしか使わずには移動はできまい。そのあしどりが全部、ビッグデータから拾われて、辿られるであろう。
 住民個人による任意の画像記録提供がなされて、それがビッグデータとしてつきあわされ、つなぎあわされるという手間のかかる処理工程を経ないかぎりは、誰かの無害な一日の行動のすべてが逐一世間に知れ渡ってしまうといった「個人のプライバシーの過度な報告」の問題は、生じない。
 このような地域システムは、(即日に日本を離れる予定の外国人犯罪者たち以外の)あらゆる猟奇犯罪を、それがその地域で実行される前に、抑止してしまえるであろう。