本日の北海道立函館美術館の展示

 2014-11-15から開催されています「浮世絵・雑誌・絵はがきに見る 幕末・明治の戦争イメージ」展(~2015-1-21)を見て来ました。
 収穫は、ざっと、以下の通り。
 M29-2-16刊、木村浩吉・海軍大尉著の『黄海海戦ニ於ケル松嶋艦内ノ状況』という発禁冊子のカラー挿絵。敵弾により備砲の装薬が爆燃して全身に大火傷を負った赤裸の将兵たちがとりあえず士官室に集められて薬缶の水を呑まされながら海戦の終わるのを待つしかないという図。手足と頭部の火傷が特に酷くなることが活写されている。
 M27に同じ「三代歌川国輝」がデザインした2枚の錦絵。ひとつは「我軍鳳凰城ヲ破ル」、もうひとつは「田庄台焼打之図」。共通タイトルとして「連勝倭魄[やまとだましい]輝天下」。
 まったく構図が同じで、タイトルだけ差し替えてある。細部の着色等に異同があるが原図は寸分違い無し。
 どちらがオリジナルかと見比べると、鳳凰城の方には、大砲の洗桿の上に「立見支隊」と注記がしてあり、こっちじゃないかと思える。
 なぜか会場の解説文にも、また別売り図録にも、この同一絵柄の使い回しについての指摘は無い。
 この図の興味深いところ。野砲の弾薬車を人夫たちが曳いており、その人夫頭の半纏襟には「五十人長」と書いてある。
 「第二軍旅順口攻撃図」。日清戦争における野戦電信隊が描かれている。これは珍しい。
 M37印行の小林清親・画「浦潮港海軍之攻撃」。
 『八雲』の左舷上甲板を描いているのだが、なんと、ミトライユーズが描かれている。舷側砲もリアルだし、これは写真を参照しながら絵におこしたものに相違ないだろう。だとすれば史料的に貴重である。
 マカロフの乗艦が機雷で沈むところを水中まで描いた縦三枚続きの錦絵。
 M37なのに機雷のディテールが描き込まれている。ディテールの真偽は不明。
 M27の『風俗画報』#81の挿絵。「軍艦松島號修復於呉鎮守府」。やはりこれも写真を元に絵に起こしたと思えるもので、ドライドックのディテールが貴重。なお、別売り図録では「呉」の字が脱落しているぞ。
 青木少佐か休戦軍使となって行こうとすると清兵が発砲して来るという図。ちゃんとこうやって国際宣伝していたんですね。M28に。
 錦絵全般について。日清戦争の図は例外なく兵隊が「草鞋」履きなんだが、これはどうなのだろうか?
 日露戦争の図でも、兵卒にワラジを履かせている図がある。
 輜重兵や輸卒が日露戦争のときも草鞋だったのは事実なのだが……。歩兵は違うんじゃないか?
 鉄道を匪賊に破壊されたときそれを緊急に警報する「信号烽火柱」というもののイラスト。線路脇に支線を張って高い木柱を立て、可燃性の藁のようなものを縛着しておく。点火すれば、遠くから見える。
 「満洲軍中 露探の斬首」という写真。M38-12-13博文館。東洋人のスパイは目隠しされているが、両手は縛られておらず、ダラリである。斬り手は、ちゃんと危ない方の脚を後ろに退げている。
 古い写真帖の奥付によく出てくる「小川一真」は「かずま」と読むことを知った。1860生まれで、M15に渡米して写真を修学し、M22に国内で開業した草分けの一人。