捕虜の焼き殺しは彼らにとって珍しい文化でもなかった

 バグダッドの米国大使館で2004~2006に人質捕虜事案対策に任じていた元米海軍シールズ隊員が、既に2004年のイラクにおいて、アルカイダが捕獲したイラク人の警察官複数をいちどにガソリンで焼き殺すビデオを見たことがあるし、連中は十年も前からそんなことはしょっちゅう実行している――と証言している(Howard Altman記者による20155-2-5記事「Brutal treatment of prisoners is traditional jihadi tactic, former SEAL says」)。
 その内容は、自分たちで掘らせた塹壕の前に、ガソリンをぶっかけた捕虜を一列にひざまづかせておき、まず一人をつきおとして点火。そのあとから次々に他の捕虜もつきおとす、というものだったと。
 ちなみに米軍航空隊ではクルーにSERE教育というのをしている。Survival, Evasion, Resistance and Escape=捕虜にならない。なったらいかにして脱走するか。
 ただしこれが通用するのは、米国や米軍と同じ文化を共有する敵の場合だけだ。
 ISによる捕虜処刑やそのビデオ公開は、「ISはその勢力拡大運動を維持しつづけている。ISは他のセクトよりも勢いがあるから、みんな、ISに加われ」というPRのためだけに実行されている。
 そこで、リアルの陸戦で敗退して旗色が悪くなったときが、処刑やビデオリリースのグッドタイミングである。
 たとえば、シリアのコバネ市からISIL軍が叩き出された直後のタイミングでISILは後藤を馘首するビデオをリリースした。
 またイラクのキルクーク市郊外では、クルド部隊が8つの橋をISILから奪回した。その時点でISILはアルカセスベー操縦士の焼き殺しビデオをリリースすることにした。
 焼き殺しはそのずっと前だったが、12月下旬のラッカ空爆のダメージが大きかったからこそ、操縦士の焼き殺しによって身内の気勢を維持する必要があったのである。
 なおISは、アルカセスベーのビデオの末尾で、他のヨルダン空軍パイロットたちの氏名と居場所のリストを表示して、こいつらを殺せば純金100ディナールを償金としてくれると言っている。
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 Slobodan Lekic記者による2015-2-4記事「Analysts: Pilot’s death may give Jordan’s monarch freer hand against Islamic State」によると……。 2005のアンマン爆破事件では、確実な死者は57名だという。
 ヨルダンは内戦が起きていない数少ない中東国家である。
 そして、シリアからは150万人、イラクからは45万人もの難民を受け入れている。米国は13億ドルの資金をヨルダンに援助している。
 米陸軍はヨルダン内にパトリオットSAMを展開。また米空軍のF-16×1個飛行中隊も進出している。
 ヨルダン空軍機は、ISに対する空襲を、2014年9月22日から開始した。
 ヨルダン人口のマジョリティは、パレスチナ人である。しかしヨルダン政府とイスラエル政府のあいだは、緊密である。
 アメリカとイスラエルに、中東諸国は対抗できない。そればかりか、その政府はむしろアメリカやイスラエルと結託しようとさえしている。これに絶望した若者がISに身を投ずるのである。
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 Vivian Salama and Bram Janssen記者による2015-2-4記事「Westerners join Kurds fighting Islamic State group in Iraq」。
 豪州は、法律により、自国籍人が豪州軍ではない軍隊といっしょに戦うことを禁じている。
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 これはNYTによるすっぱぬき第一報の後追い確認記事らしい。
 ROBERT BURNS記者による2015-2-4記事「US: Key Arab ally no longer flying airstrikes over Syria」。
 UAEはシリア空襲を中止した。12月から抜けていた。
 それなのに米政府は、UAEもずっと空襲を続けているような公報をしていた。
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 MATTHEW PENNINGTON and ERIC TUCKER記者による2015-2-4記事「FBI analysis suggests Philippines killed terror suspect」。
 マレーシア人の大物イスラムテロリストがフィリピン南部に入り込んでいたが、比島警察隊が2015-1-25に仕留めた。警察部隊も44人死んだ。
 フィリピンは政府が弱すぎるので、米国FBIが全面協力。また米国はそやつの首に償金をかけていた。
 こやつは、英語、アラビア語、マレーシア土語、比島土語をあやつることができ、しかも、爆弾作りの技師であった。教育は米国で受けている。
 インドネシアのテログループ「ジェマーイスラミヤ」のリーダーでもあった。
 2015-1-25の戦闘は比島政府として近来最大の激戦だった。比軍の人数が少なく、首魁の死体をまるごと持ち帰れない情況だったので、指だけ切断してもってきた。
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 ストラテジーペイジの2015-2-4記事「Afghanistan: That Sense Of Great Loss」。
 東アフガニスタンと南アフガニスタンでは、ISILとタリバンの武力衝突がすでに発生している。
 アフガン人は、阿片とヘロインしか輸出換金できるものがない。
 200万人のアフガン人がすでにヤク中である。
 タリバンに規律と自制力があったうちは、警察や行政当局者への鼻薬も効くのだが、地域でムチャクチャなことをやるようになって住民に恨まれれば、賄賂を提示してもめこぼししてもらえなくなる。いま、その段階。
 さいしょは宗教運動だったタリバンも、いまやマフィアと同じである。住民は誰も支持してない。むしろ米軍機による空襲を待望念願している。
 米軍が撤収準備に入って空襲しなくなる→タリバンが自律をうしなってギャング化する→住民から浮く。このパターン。
 2011にはNATO空軍が連日364ソーティ実施してたが、いまはアフガン政府空軍による19ソーティのみ。
 アフガン軍は機関銃装備のMD-530を2015中にめぐんでもらう予定。
 固定翼機としては、20機のスーパーツカノ(A29 Super Tucano)も2015にめぐんでもらう。※この機体はイイ。現代のP-51だよね。いや、ブラジル製ということはドイツ人の設計だから現代のフォッケウルフなのか。練習機的性格の軽攻撃機。日本の武器援助も、ほんとうはこういう装備から始めるのが理想的なのだが、戦後の富士重工がこういう飛行機を考えてこなかったからタマが無い。日本の武器メーカーの経営陣は、アメリカの真似することしか考えられねえのか。
 アフガンでも過去10年に10万人が戦死/戦災死した。
 しかしアフガン人は年々豊かになっている。だから8割が米国を支持している。
 2001には百万人の児童(すべて男児)しか、小学校に通っていなかった。今は800万人であり、しかも4割は女児。
 電話は2001には1万台だったが、いまはセルフォンが170万台。
 問題は、パキ国境からイスラムテロリストが流入し、アフガン東部と南部に住み着くこと。最近は、ウズベキスタン人が増えている。
 カンダハルでは、IED用の爆弾部品を満載したトラックが摘発された。パキからアフガンに入ろうとした。
 インドのアフガン支援がものすごい。パキを挟撃するためだ。
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 Lori Hinnant and Paul Schemm記者による2015-2-3記事「The cost of leaving Islamic State: Death or jail」。
 欧州と北アフリカには、ISを抜けて戻った連中が数千人も潜っている。
 過去半年で、国外に戻りたいと言ったメンバー120人以上がISじしんの手で処刑されている。
 逃げ戻った男のシリアでの目撃証言。
 ISは女もメンバーに加えているが、彼女らに強制される任務は、野営地で毎晩、違う男とSexすることである。
 APはこの証言の裏を取っている。複数の人物が同様の証言をしている。
 外国からIS参加した者のパスポートはすぐ取り上げられてしまう。これでもはや元の国には戻れぬ。プロパガンダビデオの中では、パスポートを燃やしている。
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 ストラテジーペイジの2015-2-2記事「ISIL And The Future Of Islamic Terrorism」。
 ISILの絶頂期は2014年の晩春から夏であった。
 しかし彼らはバグダッドまでは南下できず。そして勢いは過去3ヵ月で退潮に向かった。
 とはいえ、シリアではラッカを、イラクではモスールを確保していることに変わりはない。
 住民略奪に遠慮会釈がないのは、外国人のメンバーである。
 歴史はそれじしんを繰返す。2007のアルカイダと、ISILの転帰は同じようである。
 アルカイダは、2003の米軍イラク占領時点では、アラブ世界で高い支持を得ていた。だがそれから4年にして、アラブ世界内でも支持率が失墜した。ところによっては9%以下の支持率となった。2007以降、アルカイダは暴力傾向を抑制したが、それは勢力拡大に結びつかず、却って、ISILの駘頭に道をひらいた。そしていま、ISILも人気をうしないつつある。
 2014-6にモスールを制圧したISILは、シーア派の兵隊と警察官を皆殺しにして、カリフェイトの樹立を宣言した。これが絶頂期。
 さいごのカリフェイトは、トルコ帝国だった。それは400年続いたが、1924に消滅した。
 イラクでは、2割がスンニで、6割はシーアである。
 シリアでは、75%がスンニで、15%がシーアである。
 つまり、マイノリティとマジョリティが 逆転しているのだ。
 シリア東部のスンニと、イラク西部のスンニは、民族的・宗教的に一体なのに、トルコと西欧のおかげで分断された。
 かれらは、「スンニスタン」をつくりたいのである。
 スンニのトルコと、シーアのイランが、このアラブ最北の地、すなわちシリア=イラクで、宗教的な角逐をずっと続けてきた。
 トルコは16世紀からそこを支配してきたのだが。
 中東に平和が来るとどうなるか。連中は、伝説物語の中の、イスラム防衛のための戦士たちをなつかしみ、何か事を起こしてやりたくなるのだ。
 だから、ISILが消滅したとしても、また中東では、おなじようなことが将来もずっと、永遠無限にくりかえされるのみ。