「雑草は5cm残せ」――イスラエルの対ゲリラ国策をひとことで言えば。

 中東人は雑草で困ったりしないからこんな格言は無い。これは ひきちガーデンサービス著『雑草と楽しむ庭づくり』(2011刊)の142頁に書いてあったことから兵頭がヒントを得たのである。刈り高5センチにしておくと、地表は日蔭になるので新たな雑草の発芽はなくなる。また、地際で刈られた草株は全力で再生しようとするけれども、地上に5センチだけ残っていれば、そのパワーは出てこないという。
 よって、除草剤を用いないで庭の雑草を最小に抑制して行くには、常に長さ5cmで刈り続けるのがよい。抜くのは徒労であり、地力にも悪影響がある。
 ISILはイスラエルが育てた。それはシリア国家を弱めるために都合がよかったからだ。またスンニ派と敵対するシーア派ヒズボラがロケット弾を発射するための秘密拠点についての情報なども、見返りに受け取ることができた。
 アサド政権は原爆を造ろうとしていた。それを不可能にする最善の手が、ISILその他の反政府ゲリラを後援して、シリア政体をガタガタにしてやることだった。
 シリアに秩序が戻れば、スンニ派であれシーア派であれ、また原爆を造ろうとするだろう。だから、ISIL戡定後も、イスラエルはどこかのゲリラを後援するつもりだろう。ぜったいにシリアにもイラクにも安定した政権はつくらせない。イスラム過激派集団は、イスラエルにとっては小さな害のある雑草だ。ヒズボラやハマスがそうであるように、常に長さ5センチ程度に抑制しておいてやれる相手なのである。
 ゲリラは、しょせん正規の安定した政府ではないので、さすがに核兵器までは造ることはない。核兵器は、連続性のある国家が安定した開発環境を用意しないならば、決して作られない。
 イランやアラブの核兵器は、イスラエルにとって国家の死を意味する(おそらく国民は逃散する)。だからアラブ国家が核兵器製造をしようとするのを邪魔する、それら国内でのゲリラ跳梁や内戦の永続という小害は、イスラエルにとっては圧倒的な大益となるのである。
 イスラエルは、サダム・フセインが原爆開発をするだろうと予想して、アメリカをそそのかしてイラク国体を2003年にぶっ潰させた。アメリカは、有害雑草を根こそぎしたつもりだったが、その地際からISILが再生した。
 もしサダム政体が5センチだけ生かされ続けていたなら、どうだっただろう。それは1992年から2002年までの事態に近いかもしれない。しかし米国人は、米英軍機にときおり地対空ミサイルを発射してくるイラク軍は、我慢ができなかった。5センチどころか15センチくらいはびこっているじゃないかと見えた。イスラエルにとっても、1992年から2002年までのイラクに「内戦」の混乱がないのが不満であった。それは「5センチ」に抑制された事態とは違うのだ。サダム政権は安定して地下で原爆を製造しているのではないかという疑心暗鬼がつのった。
 このとき、イラク内に反政府ゲリラを育てて暴れさせるというプランは、模索はし難かった。なぜならそれはシーア・セクトを応援することに他ならず、アメリカがその天敵イランと共闘することを意味したからだ。
 しかし今、イラクでは何が起こっているかといえば、アメリカとイランの事実上の共闘なのである。
 余談。
 明治初めの斗南藩は、どうして下北半島を東西にブチ抜く小運河を掘らなかったのだろう? 今の六ヶ所の近くなら、もともと低湿地が東西に伸びており、それは簡単だったはずだ。
 あの農業にまったく向いてなかった風土では、とりあえず沖に出なくてもいい「内陸運河漁業」で楽に確実に糊口をしのぎ、かつ、通航料収入で政府を維持するというマスター・プランが、現実性と将来性を兼備していたはずだ。
 とにかく公務員(幕末世襲武士)には、智恵がなかった。亡びるべくして自滅した。
 この運河案は、今日でも有効だ。
 日本海の港から津軽海峡を抜けて関東の港に向かうとき(あるいはその逆コースのとき)、青森港は引っ込みすぎていて、気軽に立ち寄ることなどできない。
 しかし「下北半島横断運河」があれば、立ち寄るのがむしろ普通になり、かつまた、海象が穏やかで安全である。
 また環境面でも何の問題もない。むしろ陸奥湾内の水質が浄化されよう。
 日支戦争は空爆では決着がつかない。それは立ち技である。
 決着は機雷戦で着く。それは寝業である。高専柔道である。
 中共は機雷で亡びる。機雷がチョークスリーパーホールドになる。
 その結果、戦後の津軽海峡の通航量は激増する。恒久的にだ。いつも地球儀を見ている人間ならば、推測ができるだろう。
 米小艦隊も津軽海峡に常駐するだろう。
 日本海から太平洋へ抜ける艦船は、かならず下北運河を通らねばならぬというようにしてもいい。大間原発を韓国駆逐艦の奇襲攻撃から守るために。