キャプテン・ダンク

 Matthew Schofield 記者による2015-8-3記事「How Germany dealt with its symbols of hate」。
 ドイツを占領した連合軍は、カギ十字の表示を1945-10に禁止した。西ドイツ政府は1949にその措置を国内法に追記した。
 今、ドイツで何のマークもない墓石があったら、それはナチ高官のものである。
 ヒトラーの焼死体がみつかった場所は、今、何の表示もない駐車場である。
 ベルリンのシュパンダウ軍事刑務所=シュペーアやヘスの住居があったところは、ネオナチの巡礼地とされないように、あとかたなくぶっこわされている。
 ご念の入ったことに、ドイツ政府はその煉瓦も粉々に砕いて北海へ捨てた。
 ベルリン・オリンピック・スタジアムは、レニ・リーフェンシュタールによって1936にナチの宣伝映画が撮影された有名な場所だが、そこは壊されていない。今もスポーツ競技場として使われ続けている。
 今でもドイツでは、ナチの標章を公の場で着装すれば、最大で禁錮3年の刑、プラス、選挙投票権の剥奪もあり得る。
 南軍軍旗(Confederate battle flag)は、クークラックスクランにより20世紀に復活させられた。
 南部のいくつかの州では堂々と州の議事堂前に掲揚されている。
 今日、カギ十字を採用しているのは、米国内の白人優越主義者だけではない。中東のイスラム過激主義者たちも「スワスティカ」を反イスラエルの合印として使っているのだ。
 ※ドイツ連邦軍の標識として戦後も一貫して戦車や航空機にマーキングされ続けている「鉄十字」マークは、過去の「十字軍」を連想させると思うのだが、そのマーキングのままイスラム圏にコーリションフォース等として派兵されて来たときに、現地人は反発せんのだろうか? これについて書かれている記事を見た覚えがない。ちなみに西独軍が戦前のドイツ軍と同じ鉄十字マークを使用し続けることについてモスクワは過去、一度も文句を言ったことはない。あたりまえだ。それはイデオロギーとは関係がない軍隊の識別標識だからだ。日本の軍艦旗や聯隊旗が政治や政党とは何の関係もないのと一般である。それに文句をつける連中は、ただ日本人と日本軍と朝日新聞を嫌いなだけだろう。
 過去、アフリカから何人の黒人奴隷が北米へ輸出されたのか。だいたい45万人だったらしい。その子孫がたちまち1000万人以上に増えたのである。
 以上に関連して、Danielle Fox 記者による2015-7-11記事「The evolution of the Confederate battle flag … and its meaning」。
 「旗学者」というのがいる。vexillologist と書く。
 南部連邦旗(Stars and Bars)が1861に正式制定されている。開戦時の南部連邦議会によって。
 ところがそのデザインは、それまでの合衆国の旗と、遠目に区別がつきにくかった。それでは戦場で困るのである。
 そこで南部議会の議員の William Porcher Miles が「サザーン・クロス」のデザインを提案した。青い大きな×印の中に白い星。ただし×印のフチは白縁となっている。それは南部議会によって承認はされなかった。しかし、いくつかの南軍の連隊が、自主的にそれを採用した。軍旗として。
 また南部議会は、その代わりに、北ヴァジニア軍(複数の連隊の集まりで、ロバート・E・リーが総司令官)の軍旗を、大きな白地の上に小さく載せたデザインを1863に制定した。これは清純旗(The Stainless Banner)と称される。
 ところが、これが「白旗」と区別がつきにくかった。戦場では白旗は、休戦協議を呼びかける合図、もしくは投降の意思表示である。だらりと垂れた状態では、模様部分は隠れてしまって白旗にしか見えない。こりゃマズイ。
 そこで、白地ではなくするように、赤い垂直帯を描き加えた。これが南北戦争末期の1865年に南部議会により公式に制定された。南部の国旗だ。
 では現在、南部人がよく掲げたがるマークは、以上のどれなのだろうか?
 じつは、正確には、以上のどれでもないのだ。
 「ネイヴィー・ジャック」と呼ばれた、旧南軍の軍艦旗が、いつの間にか旧南部全体の象徴になってしまっているのだ。ネイヴィージャックはサザーンクロスとよく似ているが、旗地が長方形であり、かつ、×印の白い縁取りがない。
 軍艦旗だったといっても、広範に使われたものではなかった。ごくマイナーな旗だったものが、なぜか、今日、南部ではメジャーなのだ。
 そのきっかけは、南北戦争後に、連邦政府に反対する白人たちが、この旗を持ち出したことにあったようだ。白人が働いて収めた連邦税で黒人や貧乏人を養うのはやめろ、というプロテストのために。
 この旗は「反政府」の伝統的な象徴なのであって、「反黒人」の意味ではない、と、使用者は主張する。
 「ネイヴィ・ジャック」は、南カロライナ州においては、1961年に大々的に普及したもののようである。1964の「公民権法」が制定される前の空気が、その背景であった。
 ベトナム戦争に賛成した人々の一部も「ネイヴィージャック」を振った。
 レイナード・スキナードのコンサートにも、この旗が持ち込まれる。
 次。
 ストラテジーペイジの2015-8-3記事「Armor: Israeli Secret Weapon Revealed」。
 7月にイスラエルは、1980年代の軍事秘密をバラした。メルカーバーの採用で旧式になったM48とM60を、ミサイル戦車に改造していたという。
 それらの105ミリ砲はダミーで、主兵装は砲塔後部バッスル部分に収納したスパイクATMだった。「ペレー」という名がその改造戦車には付けられていた。
 スパイクは初期には射程2500mだったが、2000年には4000mに延びていた。射ち放し式である。
 実戦運用では、ペレーは、通常の砲熕戦車とは別行動をとり、後方の高地に占位して戦場を俯瞰していたという。
 ※さて余談。宝島社さんから『零戦神話の虚像と真実』という今月の新刊を頂戴した。一気に読んじまったが、衝撃的なマニア本だった。空自のF-15教官から三菱に移ってF-2を初飛行させた超ベテランの渡邉吉之氏から清水政彦氏が引き出している数々の貴重証言に驚倒。〈AWACSとデータリンクの時代には、いつのまにか後ろを取られるというおそれがないので、過去、さんざん訓練してきた編隊空戦の必要はもうなくなった〉〈日本では新型軍用機はメーカーが技術的な研究の楽しみのためだけに造っており、用兵側はそれを押し頂くだけ〉……嗚呼、やはりP-1とか千葉大の原発監視ドローンなんかも、エンジニアズトイなんじゃね? 航法通信系含めて100%自主開発にこだわるのは、遊びたいからだよね? トドメは、4秒に1回、戦闘機が90度ターンをし続ければ、敵機の「ジャイロ」がいつまでも安定しないので、敵の機関砲弾は絶対に永久にこっちには当たらないという御託宣。そこで思いました。戦闘機搭載の機関砲の軸線を、ほんの数度の範囲でいいから、ロボット制御して可変にすべきではないかと。さすればこっちの機体軸をあまり揺さぶらなくとも見越し射撃できるようになり、したがってジャイロが一瞬早く安定するでしょ? ベクタードスラストよりこっちが捷径ではないのか。