夏が長すぎるところに住んでいれば、短い人生は無駄になりますよ

 Rod McGuirk記者による2015-8-29記事「WWII ‘Great Escape’ Survivor Dies at 101」。
 史実の『大脱走』に参加した元捕虜の豪州人パイロット、ポール・ロイル氏がパース市にて死去。101歳。
 彼は1963年の映画の中で、スティーヴ・マックウィーンがオートバイで走り回るシークェンスが大嫌いだったという。
 この脱走には76人が加わっていた。場所は、ベルリンから南東へ160km〔おそらく今はポーランド領〕にある「シュタラグ・ルフト3」という捕虜収容所で、最寄の町はサガン市である。
 ロイルが死んだことにより、残る唯一の生き証人は、いま英国デヴォン市に暮らす94歳の元編隊長のみとなった。
 史実の脱走は、1944年3月に実行された。
 映画と史実との大違いは、この収容所には、アメリカ人など一人もいなかったのである。全員、RAFの空中勤務者ばかりだった(ただし元々の国籍は雑多)。もちろんオートバイで逃げた者もいない。
 根気のいる、執拗な試みであった。またポーランドの土地柄は陰惨である。それを映画は過剰に明るく、テンポよくしている。そこが、元捕虜たちには気に食わない。
 史実では、3人だけが自宅に帰りつくことに成功した。ノルウェー人が2人と、デンマーク人が1人である。
 23人はシュタラグその他の収容所へ連れ戻された。
 トンネルの長さは110mだった。搬出した土をズボンの裾に入れて、目立たないように外に排出するのが、いちばん苦労したところであった。
 ロイルは雪の積もった森の中に2日間隠れていたが、けっきょく捕まった。最終的に1945-5-2にドイツ内の別な収容所から、英軍によって解放されている。
 ロイルはRAFの中尉で、フランス上空で1940-5に撃墜されていらい、ずっと収容所暮らしであった。
 ロイルは1914パース生まれで、豪州西部の鉱山調査技師であった。
 1939にRAFに志願。
 ロイルの息子は、じぶんの父が有名な大脱走の参加者であったことを、1970年代にそのノンフィクション本を読むまで、知らなかった。
 しかしロイルはかつての仲間の死亡記事などは、切り抜いて保管していた。
 ロイルは戦後は、鉱山の仕事に戻って、1980からパースで引退生活に入った。
 次。
 Matt Yurus記者による2015-8-29記事「Oshkosh, B’Gosh: The US Military Is Finally Replacing the Humvee」。
 5万5000両もペンタゴンがお買い上げくださるであろう高機動軽装甲車JLTVの契約先は、オシュコシュ社に決まった。
 まず初期納入分1万7000両の契約だ。これだけで $6.7 billion である。
 最終納入は2040になるだろう。オシュコシュ社はウィスコンシン州にある。
 この新しい「多目的軽量戦術自動車」は、底面と側面が装甲されている。
 しかも丸ごとチヌーク・ヘリコプターで運搬可能な重さ。MRAPだと重すぎてこれは無理なのだ。
 側面については軽戦車と同じ防弾力。底面に関してはMRAPと同じ耐爆力。そしてATVとしての機動力が求められた。
 JLTVはこれまでのハムヴィーを更新する。
 ハムヴィーは、正規表記はHMMWVなのだが、発音すればHumveeなので、マスコミは記述もHumveeとしてしまうことが多い。
 ちなみにイラク政府軍はモスル市周辺で、2300両もの米国製 Humvee を遺棄し、そっくりISに進呈してやった模様である。無能政府への武器援助は、ただゲリラを強化してやるだけに終わるのだ。
 このたびの競試に参戦していたロックマートは、このペンタゴンの決定には納得がいかないようだ。彼らは告訴を検討している。政府調達をめぐってこのような抗議があった場合は、GAO(会計検査院)が仲裁裁判所のようなものを開催し、政府決定のプロセスを仔細に検分することになる。
 今回の競試は2012によびかけられ、3社(あとひとつはAMジェネラル)がそれぞれ22両づつのプロトタイプを提出し、それを陸軍と海兵隊が14ヶ月もテストしてきた。
 オシュコシュは2016の春から量産を始める。陸軍は2018年までに部隊配備する予定。